「 ほとけさま 」 といっても、
いろいろな姿かたち、そして働きも違った、
方たちがたくさんいらっしゃいます。
「 阿弥陀如来 」 とか 「 大日如来 」
「 薬師如来 」 といった、 『 如来 』 と名のつく仏さま。
そして、 「 観音さま 」 として知られる 「 観世音菩薩 」
「 地蔵菩薩 」 といった 『 菩薩 』 といわれるほとけさま。
とても馴染みの深い 「 大黒さま 」 という 「 大黒天 」
「 弁天さま 」 といわれる 「 弁財天 」
というように、 「 天 」 と名のつく仏さまがいらっしゃいます。
その中でも、一番くらいの低い方が 「 四天王 」 といわれ、
一番上にいらっしゃる方が 「 有頂天 」 という
ほとけさまです。
人間の心の状態を十の位に分けて説明します。
地獄
餓鬼
畜生
修羅
人間
天
声聞
縁覚
菩薩
如来
「 地獄 」 から 「 天 」 までが迷いの世界
「 声聞 」 から 「 如来 」 までがほとけの世界です。
「 天 」 という仏さま、人間と仏さまの間にいる方です。
面白い位置関係です。
人間からいきなり仏さまになるのではなく、
「 天 」 という世界を超えて、ほとけになっていく
三島由紀夫の小説で有名になった
『 天人五衰 』 ということも、
この 「 天 」 という世界を象徴しています。
天 という位というか、仏さまは
人間が考えた最高の状態、ということを表しています。
人間が望むことはすべて満たされた、
という世界です。
では、それで満足かと言うと、そうではなく
「 天人五衰 」 ということがあるのです。
天人が滅びていくなかで、特徴的なのは、
「 自分がいまいる境遇に満足できない 」
ということがあります。
そこからやっと 「 ほとけの世界 」 が始まっていく、
『 天 』 という世界は、大きな転換点をあらわしています。
「 人間が終わるところ、仏が始まるところ 」
という、二つの意味を持っています。
『 十界 』 という、一つの道程に見えますが、
人間の延長線上に仏があるのではなく、
別物ではないのですが、
人間の中にあるのですが、
人間を否定して生み出してくる
そこに、一線を画している 「 位 」 が
「 天 」 という立場です。
先ほど、ふっ~っと 出てきたのが、
人生でいう 「 定年 」 ということは
一つの区切りでもあります。
今までの自分に死して
( 積み上げてきた実績とか世間でいう地位財産もろもろに、
別れを告げて )
新しい、新の自分として生きなおしていく
ということと、
仏教でいう 「 天 」 という世界が
重なって見えたのです。
人間は常に誕生を繰り返しながら
生きていくものだと思います。
年を重ねるごとに、誕生を繰り返していく
そこが 「 無我 」 ということでしょう。
が、反面、自分の執着をきれいさっぱりと
切り捨てることが出来なくて、
悩むというか執着している自分もあるのです。
いま、密かにチャレンジしてみようと思っていること
それを書き出しています。
もう時間がないといえば、そうなのですが
どこまで出来るかわかりません。
読み深めなければならない本がたくさんあり、
それを考え自分の心にしみこませるには
時間が足りないかもしれません。
いっぽ いっぽ です。