最近、若者達をこう呼ぶのだそうです。
「 さとり世代 」
「 ゆとり世代 」 が終わって、
それに続く社会現象でしょうか。
山岡 拓 氏の 「 欲しがらない若者たち 」
から、出てきたようですが …
面白い表現をするものです。
そういわれて、回り見てみると、
「 さとり世代 」 といわれる若者たちの現象は
1.車に乗らない
2.ブランド服も欲しくない
3.スポーツをしない
4.酒を飲まない
5.旅行しない
6.恋愛に淡白
などなど、
「 草食系 」 を通り過ぎて
「 干草系 」 ともいわれているようです。
なるほどという一面を
垣間見るような気もします。
無欲恬淡 ( むよくてんたん )
というところから、 「 さとり世代 」
と、名付けたのかもしれません。
しかし、さとりを求めるということも
無欲になるということではありません。
内にはほとばしるほどの情熱がないと
さとりを求めることは出来ないのです。
私たちの世代は物のない時代に育ちました。
それで、人一倍いろんなものが欲しかったのです。
「 車 」 ということも、最終的に欲しいもののひとつでした。
何でもかでも憧れたものです。
三浦先生からは、
「 上見れば、あれ欲しこれ欲し
欲し ( 星 ) だらけ
下見て暮らせ ( 星 ) 欲し
の 気 もなし 」
といわれたものです。
それでも 「 欲しいものだらけの若者たち 」
だったのです。
仏教でも、 「 清浄意欲 」 ということがあります。
また、 「 煩悩即菩提 」 ということもいいます。
煩悩がなければ悟りもない。
仏道を求める意欲がなければ、
修行は続けることは出来ません。
学生時代、大学の講義で
ある有名な先生の集中講義に出ました。
本は読んでいて、とてもデリケートな
繊細な言葉使いをされるので、
インテリで華奢な先生かと想像していました。
ところが出会ってみると、
手は骨太でごつく、体つきも肉体労働でもされたような
圧倒されるような姿でした。
なるほど、仏道を求めるとは
体つきからして情熱の塊のような
エネルギーが飛び散っている
そういうものかと、
あらためて思い知らされました。
確かに無欲というということは
一面にはあると思います。
それは、足るを知るということであって、
こころの中はどこまでも
自分の煩悩対治、
コンプレックスの克服に一生
情熱を持って立ち向かっていくことだと思います。
「 団塊の世代 」 も
内面的には 「 さとりの世代 」 であって欲しい、
どこまでも、自分のこころの姿を見続け、
死ぬまで煩悩と戦いつづけて欲しいと思います。
それこそが、私たちに与えられた
「 さとりの世代 」 でしょうし、
「 さとりの世代 」 にしていかなければなりません。