本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

「さとり世代」 !?

2013-04-26 21:35:52 | 住職の活動日記

 最近、若者達をこう呼ぶのだそうです。

「 さとり世代 」

「 ゆとり世代 」 が終わって、

それに続く社会現象でしょうか。

 山岡 拓 氏の 「 欲しがらない若者たち 」

から、出てきたようですが  …

 面白い表現をするものです。

そういわれて、回り見てみると、

 「 さとり世代 」 といわれる若者たちの現象は

1.車に乗らない

2.ブランド服も欲しくない

3.スポーツをしない

4.酒を飲まない

5.旅行しない

6.恋愛に淡白

などなど、

「 草食系 」 を通り過ぎて

「 干草系 」 ともいわれているようです。

 なるほどという一面を

垣間見るような気もします。

 

 無欲恬淡 ( むよくてんたん )

というところから、 「 さとり世代 」

と、名付けたのかもしれません。

 

 しかし、さとりを求めるということも

無欲になるということではありません。

 内にはほとばしるほどの情熱がないと

さとりを求めることは出来ないのです。

 

 私たちの世代は物のない時代に育ちました。

それで、人一倍いろんなものが欲しかったのです。

「 車 」 ということも、最終的に欲しいもののひとつでした。

何でもかでも憧れたものです。

三浦先生からは、

 「 上見れば、あれ欲しこれ欲し 

   欲し ( 星 ) だらけ

   下見て暮らせ ( 星 ) 欲し

   の 気 もなし 」

といわれたものです。

 それでも 「 欲しいものだらけの若者たち 」

だったのです。

 

 仏教でも、 「 清浄意欲 」  ということがあります。

また、 「 煩悩即菩提 」  ということもいいます。

煩悩がなければ悟りもない。

仏道を求める意欲がなければ、

修行は続けることは出来ません。

 

 学生時代、大学の講義で

ある有名な先生の集中講義に出ました。

本は読んでいて、とてもデリケートな

繊細な言葉使いをされるので、

インテリで華奢な先生かと想像していました。

 ところが出会ってみると、

手は骨太でごつく、体つきも肉体労働でもされたような

圧倒されるような姿でした。

 なるほど、仏道を求めるとは

体つきからして情熱の塊のような

エネルギーが飛び散っている

そういうものかと、

あらためて思い知らされました。

 

 確かに無欲というということは

一面にはあると思います。

 それは、足るを知るということであって、

こころの中はどこまでも

自分の煩悩対治、

コンプレックスの克服に一生

情熱を持って立ち向かっていくことだと思います。

 

 「 団塊の世代 」  も

内面的には  「 さとりの世代 」  であって欲しい、

どこまでも、自分のこころの姿を見続け、

死ぬまで煩悩と戦いつづけて欲しいと思います。

それこそが、私たちに与えられた

「 さとりの世代 」  でしょうし、

「 さとりの世代 」  にしていかなければなりません。

 

 

 

  

コメント
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