本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

唯識三十頌 写経

2013-04-12 07:26:45 | 住職の活動日記

 整理していましたら、和紙の便箋を発見 !

このような便箋、もう出す相手もいないか ?

と、   そうだ !

写経をしてみようと、

「 唯識三十頌 」  の写経を始めました。

結構、すらすらと筆も進み、

二十頌のところまでは、昨夜書き終わりました。

 

   

 

唯識も断片的にしか勉強しておらず、

たまたま、縁があって少し講義を聴いただけで、

それから、折に触れて読み進めておりました。

 

 先日は、パソコンで書いてみたのですが、

こうやって筆で書いてみると

新たな発見があるものです。

 今まで何気なく聞いていた言葉達、

こういうところにあるのか ??

いろいろ出てくる煩悩の言葉、

書いてみるとまた新たな趣があります。

 

 浅田次郎さんが、感動した文章は

何度も何度も読み返し、

さらにはまた書き写してみる。

 ということを話されていました。

なるほど、読んだだけでは見落としてしまいそうな

ことばをたくさん発見できます。

 

 そういうこともあり、

今朝の勤行で、いつも読んでいる

『 理趣経 』  というお経、

今日は、 「 所謂 」 ( いわゆる )

という文字が目に飛び込んできたのです。

お経のなかでは意味的には重要なことではないと思うのですが、

「 いわゆる 」 というように、

説明をされているところと思うのですが、

各段ごとに、この言葉が必ず出てくるのです。

 これはいま写経をしている

「 唯識三十頌 」 の中にも出てきます。

『 所謂 』 ( いわゆる ) という説明でもあるし、

お経を読むときのリズムのようなものにもなっていると思います。

 

 『 所謂 』  日本語的には { いわゆる } でしょう、

漢文的には ( しょい ) と読むのでしょうが、

『 理趣経 』 の場合は

所謂 を 「 そうい 」 と読むのです。

 

 写経も夜とか、朝方とか

世間の雑音がしないときのほうが

集中できるようです。

 

 

 

 

コメント
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