「 なでしこ 」 も漢字で書けば、
「 撫子 」 手偏に無、と書きます。
般若心経にも 「 無 」 という字がたくさん出てきて、
気になる字です。
調べてみると、
『 撫 』 ブ なでる
解字 ― ものの表面をこする意の語源 ( 摩 ) からきている。
手でなでる意からやすんじる意に用いられる。
字義 ― ① なでる。やすんじる。
② よりかかる。
③ 手をそえる。
というような意味があるようです。
「 撫子 」 なでる子、と書いて
「 なでしこ 」 という花になったのは不思議な気がします。
似たような字で、
「 無 」 に、くさかんむりが付けば
『 蕪 』 となり、「 与謝蕪村 」 の蕪になります。
「 春の海 終日のたりのたり哉 」
「 菜の花や 月は東に日は西に 」
という句を思い出しますが、
先日京都では、蕪村終焉の地を訪れました。
「 蕪 」 は一般的には 「 かぶら 」 という
おいしい食べ物ですが、
字義は、無が音を表し、亡からきている。
雑草が生い茂った荒れた土地。
という意味になります。
また面白かったのは、
「 撫 」 の横のページにあった、
「 擅 」 という字です。
一見 「 壇 」 という字にも見えますが、
手偏と土偏の違いです。
『 擅 』 セン と読み、ほしいまま、という意味
独占するという意味の語源 ( 専 ) から
きているということです。
( 今話題の 『 壇蜜 』 という方
壇というより、擅問いう方がニュアンス的
あっているような気もするのですが … ??? )
ことばも丹念に見ていくと面白いものがあります。
お参りに行って 「 なでしこ 」 を見て、
ここまでひろげていくか !!
といわれそうですが、
興味の広がりを見ていくのは
自分なりには、わくわくしながら
あらゆるものに興味を持ってみていっているのです。
今回のなでしこも
が三つでした。