おれは、
人間のいいところをみる、
その方が面白いよ。
渥美 清
『 ふうてんの寅さん 』 で有名な 『 渥美清 』 さんの言葉です。
簡単なようで、薀蓄のある言葉です。
仏教も基本的には人間の良い点を根底に据えて見守っていくと言う考え方だと思いま
す。
室町時代の武将 『 足利尊氏 』 は
『 人の悪を見る者は、己の悪を見ず 』 といっています。
人の批判だけしている人は、自分の悪い点は見ないというのでしょう。この言葉も一つ
の真理を表していると思います。
ところが、やっかいなもので、どうも、『 人の悪口 』 となると盛り上がるもので
す。
以前、聞法会のとき、先生が 「 人の悪口ほど面白いものはないね~! 」 といっ
ておられ不思議に思ったことがあります。
『 なぜだろう ? 』 とそのときはわかりませんでした。
『 こそこそ、悪口言うから、ダメだ! 明るく悪口言え! 』
これもまた、わからない言葉でした。『 明るく悪口、それも堂々と言え! 』
今思うと、これは単なる悪口ではなく、深い人間洞察なのですね。
ちょっと分かりづらいかも知れませんが、悪口に聞こえていたのですが、実は
人間の深い痛みに対する、慈悲の言葉でもあるのです。
人間としての 『 性 さが 』 というか、同じ悩み苦しみを持っているやないか!
どうすることもできん。その見抜いたところから出てくる言葉が 『 悪口 』 なので
すが。
昔、法然上人と盗人の耳四郎でしたか、その盗人が法然上人に打ち明けるのですね。
話は分かった、げど、昔から身についた習慣で人をみたら、頭で思うより先に手の方が
出てものを盗ってしまう。どうしたらいいでしょう。
『 おまえが欠け茶碗なら自分は割れ茶碗 』 同じものを持っているじゃないか。
と、共にお互いの業に泣いた、という話があります。
だから、いい点というのも、うわべだけではなく、一旦は人間の 『 悪 』 を共に
知った上で、 『 いいところを見る、その方が面白い 』 となるのでしょう。
人間のいいところをみる、
その方が面白いよ。
渥美 清
『 ふうてんの寅さん 』 で有名な 『 渥美清 』 さんの言葉です。
簡単なようで、薀蓄のある言葉です。
仏教も基本的には人間の良い点を根底に据えて見守っていくと言う考え方だと思いま
す。
室町時代の武将 『 足利尊氏 』 は
『 人の悪を見る者は、己の悪を見ず 』 といっています。
人の批判だけしている人は、自分の悪い点は見ないというのでしょう。この言葉も一つ
の真理を表していると思います。
ところが、やっかいなもので、どうも、『 人の悪口 』 となると盛り上がるもので
す。
以前、聞法会のとき、先生が 「 人の悪口ほど面白いものはないね~! 」 といっ
ておられ不思議に思ったことがあります。
『 なぜだろう ? 』 とそのときはわかりませんでした。
『 こそこそ、悪口言うから、ダメだ! 明るく悪口言え! 』
これもまた、わからない言葉でした。『 明るく悪口、それも堂々と言え! 』
今思うと、これは単なる悪口ではなく、深い人間洞察なのですね。
ちょっと分かりづらいかも知れませんが、悪口に聞こえていたのですが、実は
人間の深い痛みに対する、慈悲の言葉でもあるのです。
人間としての 『 性 さが 』 というか、同じ悩み苦しみを持っているやないか!
どうすることもできん。その見抜いたところから出てくる言葉が 『 悪口 』 なので
すが。
昔、法然上人と盗人の耳四郎でしたか、その盗人が法然上人に打ち明けるのですね。
話は分かった、げど、昔から身についた習慣で人をみたら、頭で思うより先に手の方が
出てものを盗ってしまう。どうしたらいいでしょう。
『 おまえが欠け茶碗なら自分は割れ茶碗 』 同じものを持っているじゃないか。
と、共にお互いの業に泣いた、という話があります。
だから、いい点というのも、うわべだけではなく、一旦は人間の 『 悪 』 を共に
知った上で、 『 いいところを見る、その方が面白い 』 となるのでしょう。