二月十一日(火)紀元節
早朝、激しき寒風吹きすさぶ中、神宮参拝禊会 神都世話人・南英雄氏と村田憲彦氏の三人で、近鉄鉄道に乗って橿原神宮まで移動。 途中の駅から一名合流、計四人。
橿原神宮紀元祭式典には8年くらい前から参列させて戴いているが、今年は参列者も一般参賀者も少なかったように思える。 昨年までは電車の中に右系の方も多数見かけたが、今年は全く見かけなかったし、橿原神宮鳥居前の街宣車の数も若干少なかった。
紀元祭 橿原神宮
皇紀二千六百七十四年 平成二十六年二月十一日(祝) 午前十一時齋行
紀元祭次第
当日 早旦 社殿を装飾す
時刻 参列員所定の座に着く 是より先 手水及び修祓の儀あり
時刻 宮司以下祭員参進 是より先 手水の儀あり
次に 宮司以下祭員修祓所に着く
次に 宮司以下祭員修祓
次に 宮司以下祭員参進の後 所定の座に着く
次に 宮司一拝 諸員之に傚う
次に 宮司御扉を開き畢りて 側に候す 権宮司副従
此間 奏楽 警蹕 諸員磬折
次に 権宮司以下祭員神饌を供す 此間 奏楽
この頃 勅使御弊物を奉じて 勅使館より参進 是より先 祓所にて修祓
次に 宮司祝詞を奏す 此間 諸員磬折
次に 勅使参進の後 所定の座に着く
次に 勅使随員御弊物を宮司に進む
次に 宮司御弊物を奉る
次に 勅使御祭文を奏す 此間 諸員磬折
次に 宮司御祭文を神前に納め 勅使に反命す
次に 勅使本座に復す
次に 神楽を奏す
次に 君が代奉奏
次に 紀元奉頌の歌 奉唱
次に 勅使玉串を奉りて拝礼 勅使随員列拝
次に 勅使退出
次に 宮司玉串を奉りて拝礼 権宮司以下祭員列拝
次に 参列員玉串を奉りて拝礼
次に 宮司御弊物を撤す
次に 権宮司以下祭員神饌を撤す
次に 宮司御扉を閉ぢ 畢りて本座に復す 権宮司副従
次に 宮司一拝 諸員之に傚う
次に 宮司以下退出
例年は、正門前には大勢の方々が往来していたのだが、今年はすっきりとしていた。
神楽舞をされる巫女さん達。
衣装も優雅でおじゃりまする。 大勢の方々が写真をパチパチ、私もついでにカシャカシャ。
![Dscn0112 Dscn0112](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/6a/5b88ba29580d4aa74aa9b1393ccae44d.jpg)
社殿内にて。
宮司以下祭員の参進。
粛々と祭儀が執り行われる。
勅使御弊物参行。 弊物の後ろの黒直衣の方が勅使。
社殿への参進。
勅使随員御弊物を宮司に進む。
勅使御祭文を奏す。
勅使本座に復す。
神楽 「扇舞」。 明治天皇御製
橿原のとほつみおやの宮柱 たてそめしより国はうごかず
大正十五年、宮内省楽師多忠朝氏により、作曲、作舞。
「君が代」並びに「紀元奉頌の歌」 奉唱。
祭儀は粛々と執り行われる。
勅使は、玉串奉奠後に退出される。
勅使退出。
今回は、先日購入したコンデジを使用したが、望遠ズームには大満足。 1000mmズーム故、解像度や手ブレ等で期待していなかったが、予想以上のズーム力と解像度に吃驚仰天。 撮影ポジションは最悪だったが、ズームのおかげで邪魔者をカットする事が出来た。
しかし、あまりの寒さの為か、この写真以降撮影不可能な状態に陥ってしまい、耐久性の問題が発覚。 その後、電車内にて撮影したら無事回復。 持ち主と同じで、寒さに弱いようだ。 台湾では使用可能であろう。
式典終了後、社殿近辺にて侍塾・原尾氏と遭遇。 隊列を率いておられたので、軽い挨拶だけとなったが、来月の再会を約束し帰途へつく。 残念ながら牧さんとはお会い出来なかった。
午後二時半まで、一滴の酒も口に出来なかった日の丸おじさん。 さすがに、親分の面前では飲めない。 弁当にも手をつけられず。 押忍!
とりあえず撮影機能回復したのでほっと一安心。
最後は汚い絵を記載して、申し訳ございません。
それでは、また。 ごきげんよう。