大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

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私本東海道五十三次道中記~広重の描いた風景探し(茅ヶ崎・平塚・大磯)

2012年11月29日 22時24分29秒 | 私本東海道五十三次道中記
雲一つない秋空のもと湘南エリアの東海道街道めぐりを楽しんできました。そもそも茅ヶ崎は東海道の宿場町ではありませんが、藤沢宿と平塚宿が3.5里(13.7㌔)と距離があるために休憩場所として成立した「立場」として知られています。

茅ヶ崎市内の松並木

「立場」の成立条件としては宿間の距離が長く、且つ眺望が利く場所、街道の重要な分岐点、橋のない大きな川に接しているなどが挙げられます。そんな茅ヶ崎の立場は国道一号線が「千の川」を越える手前の南湖と呼ばれる地名の辺りに集中していたようです。

東海道はここ南湖辺りで大きく曲線を描き、北西方向へと向きを変えます。このためそれまで街道筋の遥か右手に見えていた霊峰富士がこの場所で街道筋の左手に姿を見せるのです。これが東海道中で有名な「南湖の左富士」と呼ばれている場所なのです。

広重の南湖の左富士之景

確かに現在でも旧街道である国道一号線はここ南湖あたりで大きく右手にカーブしています。以前から一度徒歩で南湖を歩き、この目で「左富士」を見てみたいと思っていた私にとって、今日ばかりは是非雲一つない秋晴れを期待していました。

幸運にも今日は絶好の散策日和。この調子であれば「南湖の左富士」はくっきりと姿を見せてくれるはずだったのですが、南湖に着いたのが午後ということもあって、富士の高嶺には生憎の雲がかかり、美しい姿を見ることができませんでした。

南湖の左富士
南湖の左富士

とはいえ全く姿が見えないということではありません。一部頂上付近に雲がまとわりついていましたが、白く化粧した姿と流れるような稜線をはっきりと見ることができました。

南湖の左富士碑
欄干の左富士レリーフ

あの安藤広重も見た「南湖の左富士」は時代を越えても、まぎれもなく同じ位置にありました。というより現在の国道一号線が昔のままのルートを走っているんだな、と実感した瞬間です。

今日の街道巡りでは広重が描いた五十三次や絵図に現れる場所を歩けるという大きな楽しみがあります。

「南湖の左富士」の次に楽しみなのが、同じく広重が描いた東海道五十三次の平塚之景に現れる「高麗山」を間近に見ることです。

広重の平塚之景

広重の平塚之景に描かれている「高麗山(こまやま)」は平地に突然盛り上がったような丸みを帯びた山なのですが、実際にはどのように見えるのかがたいへん楽しみだったのです。

高麗山

かつての平塚宿の京口見附にさしかかると、その丸い山の姿が広重が描いたアングル通りに目の前に現れます。さらにその丸い山の右手に広重の絵と同じように富士山が姿を見せてくれるのです。まさに広重が平塚の景を描いた場所に立っていることに今日二度目の感動を覚えたのです。

ただ広重が描いた平塚之景にはもう一つの山「大山」が描かれているのですが、私が立っている京口見附からは大山は遥か右に位置し、構図の中に大山を組み入れるのは無理があるのでは、と思わざるを得ません。

高麗山の裾を流れる花水川とその向こうに連なる丹沢連山と大山の風景はどこか遠くの田舎町を思い起こさせるような雰囲気を漂わせています。



そして平塚宿からわずか2.9㌔で次の宿場町である大磯宿が迫ってきます。そんな大磯宿を広重は雨降る中に街道の松並木を描いています。画面には細い街道の両脇に松並木がつづき、その並木の中に太い幹を斜めに傾けた1本の松の木が描かれています。

広重の大磯之景

樹齢を重ねた松であればこそ、太い幹が斜めに延びることは十分に考えられます。そんな「斜め松」が広重の絵と同じように街道を飾っているのかが楽しみだったのですが、なんと本当に「斜め松」があるではないですか。
それも1本だけでなく何本も。

大磯の斜め松

大磯宿の江戸見附に着いたのは宵闇迫るころでした。西の空を赤く染める晩秋の夕日を背景に大磯の斜め松は美しいシルエットとなって私の目の前に現れました。

大磯の斜め松

その昔、街道を旅する人たちは暮れなずむ街道の松を見上げながら、そそくさと宿ののれんをくぐり、一日の旅の疲れを癒していたのでしょう。





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