大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

お江戸高輪・天下のご意見番「大久保彦左衛門」所縁の寺~立行寺

2011年02月10日 21時50分11秒 | 港区・歴史散策
東京でも一二を争うほどのお洒落な住宅地高輪、白金には由緒ある寺院が密集していることで知られています。瀟洒なコンドミニアムが似合う高輪界隈の路地を徘徊していると、角ごとに次から次へとお寺が顔を出すといった具合です。寺好きの私にとっては高輪、白金地区はまさに歴史散策の素材の宝庫といったことろです。

立行寺山門

その高輪、白金地区で是非訪れてみたかった寺が立行寺なのですが、当寺にはお江戸の初期の頃に活躍したあの直参旗本「大久保彦左衛門」の墓があるのです。私にとって、大久保彦左衛門は幼い頃に連れていかれた映画の中でしょっちゅう登場してくれた人物であったのですが、父親に毎週日曜日に連れていってもらった映画館で上映されていたのが東映の時代劇で、ストーリーも判らず見ていた画面にしばしば登場したのが、どういうわけか大久保彦左衛門と一心太助だったのです。そしておぼろげながら一心太助役がいつも堺駿二(堺正章のお父さん)であったことを覚えています。しかしあの映画の題名はいったい何だったのか知るよしはありませんが、大久保彦左衛門が登場していたことから考えると、おそらく家康、秀忠そして家光公の時代の物語だったのでしょう。

この方、大久保彦左衛門は十六歳で元服し、家康の元で大阪の陣にいたるまで数々の武功を挙げてきました。開幕間もない頃に駿府にいた家康公に召し出され、そのときに直参旗本に任ぜられ、三河国額田郡坂崎の千石を賜りました。そしてその後に千石が加増され知行(領地)二千石の旗本となりました。
とはいえ、たかだか二千石の貧乏旗本であった彦左衛門が「天下のご意見番」と言われる理由には、実は徳川家康が臨終のとき、彦左衛門に残した遺言があるのです。
「彦左衛門のわがまま無礼を許す。今後将軍に心得違いがあるときは、彦左衛門に意見させよ」-これが「天下のご意見番」ならしめた理由なのです。
それがゆえに結構めちゃくちゃなことも平気でできたのしょう。それは有名な「たらいに乗ってのご登城」の話です。旗本以下の駕籠を使っての登城が禁止されたことに対し、「年寄りや病人など足の不自由な者もいるのに、それをとどめるとは言語道断」。彼はそう言って、大たらいに乗ってで登城したそうな。それを見とがめた役人に「たらいは駕篭にあらず」と一喝。でも、この噺は真実かどうかわかりません。

こんな破天荒な方の墓はきっと期待を裏切らないだろうと勇んで立行寺へと向った次第です。立行寺は地下鉄南北線の白金高輪駅から徒歩数分の距離にあります。桜田通りから角を曲がると前方に山門が見えてきます。赤く塗られた山門を見る限り、この寺が江戸初期の寛永7年(1630)に創建された名刹とは思えない雰囲気を漂わせています。そもそも当寺は寛永7年(1630)に現在の六本木の土地に「大久保彦左衛門」によって創建されました。このため別名「大久保寺」と呼ばれています。

立行寺山門

山門をくぐると正面にご本堂、そして境内の左手に鐘楼が配置されています。境内には大きな一枚岩の「大久保彦左衛門忠教頌徳碑」とこの碑の傍らに「一心太助碑」が仲良く並んでいます。

立行寺ご本堂
鐘楼
大久保彦左衛門忠教頌徳碑
一心太助碑

この一心太助という人物ですが、そもそも鶴屋南北の弟子河竹黙阿弥(1816-1893)が書いた歌舞伎の演目で世に知られるようになり、その後講談・小説などに登場した実は架空のキャラクターなのです。ですが、ここ立行寺には一心太助のお墓らしきものが、彦左衛門の墓のすぐ側に置かれているんですね。一説によると、一心太助なる人物は彦左衛門の草履取りだったとも言われているのですが、はたして事実かどうか?

ご本堂の左手一体が墓地が広がっているのですが、さすが彦左衛門自らが創建した寺ということもあって、大久保家の墓地は鞘堂付となっているのですぐに判ります。

墓地内に建つ大久保家の鞘堂付墓地
大久保家の鞘堂付墓地

どれどれどんな意匠のお墓かな?と鞘堂へと石段をのぼっていきます。鞘堂内には幾つもの宝塔が並び、大久保家代々の方々が眠っています。
さ~て、彦左衛門爺の墓はどれかな?
なんと扉の付いたお堂の中に納まっているではありませんか。お堂の扉には大久保家の家紋「のぼり藤に大」が嵌め込まれています。彦左衛門の宝塔はお堂の扉に遮られて、よく見えませんでした。
そして、大久保家の鞘堂の脇に、一心太助なる人物の「石塔」が置かれています。

木製のお堂が彦左衛門の墓
大久保家の家紋
一心太助の石塔
境内の梅の花

尚、大久保彦左衛門の江戸屋敷は現在のJR御茶ノ水駅から至近の杏雲堂病院が建つ場所にありました。





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