志方町をゆく(136) 横大路(11)
大内家のこと(1) 大内家の伝承
今日は、まず大内家の伝承を『志方町誌』に見ておきます。
横大路の大内家の歴史は、以下のような確かめようのない「伝承」から始まります。
でも、後に紹介しますが志方地域の中心とした始まった大家であったことは確かのようです。(文章は若干変えています)
横大路・大内家の伝承
大内重信の祖先は百済国(くだら)の琳聖太子は百済国の皇子で、推古天皇19年の時来朝して、周防国(現山口県)佐伯郡多々良港に上陸ので、天皇から多々良という姓と土地三郡を賜わりました。
また、館を大内郡に建てて、そこに住んだので大内を称するようになりました。
この子孫はのち周防国山口の城主となりましたが、茂信は琳聖太子から数え19代目大内藤根の三男で、志方に来て横大路大内家の姶祖となりました。
志方に来たいきさつは、10歳の時母に死別、哀慕のあまり神社仏遍歴の旅に出て、たまたま但馬国気多郡妙見山に参寵の夜、夢を見て横大路に来住したものです。
承和九(842)のことで茂信25才の秋と伝えています。
茂信が旅装を解いたのは横大路ではなく、宮谷(宮谷玉の緒の地蔵尊の近く)であったとも伝えられています。
志方八幡社は櫛橋氏が志方に城を築いた時、鎮護の神として宮谷から今の宮山に勧請しました。それは明応元年(1492)のことです。
*写真:志方町横大路ルピナス畑
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