志方町をゆく(131) 横大路(6) 集団疎開(4) 腹がへった
*以下の文章は『学童疎開追想』ではなく、妙正寺(志方町横大路)に疎開された小川正さんが『神戸校九十年』(神戸小学校同窓会発行:1974)に投稿された文章です。
〈小川 正(昭和八年三月二十日生)〉
六年生の時、(戦争は)非常事態になりました。
疎開するよういわれ、僕は末っ子で集団疎開に廻され、西志方村(横大路)の妙正寺へ行きました。
食糧も段々と不足して、お粥が常食でした。
疎開先きの田舎の子は銀飯で、まちの子はおかゆ腹! と田舎の子からよく泣かされました。
お寺だったので朝夕のお勤めのお経を唱えてからでないとご飯は食べられません。
育ちざかりの頃なので食べたいの一心で、学校の帰りみち、畦に大豆ができているのをそっと持ちかえり、夜皆が寝てから火鉢の上で、一粒ひとつぶ焼いて食べたりしたこともありました。
ミカンの皮までも焼いて食べ、口の中に入れて毒でないものはみな食べました。
あさましい気持だが、今の子供に話しても信用してくれないでしょう。
「お寝しょう」で、ふとんがにおったこともありました
夜中に眼をさまして泣く子、寝小便する子、はずかしいから、そのままふとんをたたんでかくすので、後からものすごくにおいました。
すぐに干せばいいのですが、格構が悪い。
戦争が激しくなり、僕等はいつ神戸へ帰れるのと、毎日、毎日心淋しい日が続きました。
面会に来てくれる両親も物資不足で、僕らの好きな甘いものも手にはいりません。
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*写真:妙正寺(志方町横大路)
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