石の宝殿の謎(2部) 石の宝殿界隈を歩く(15)
家紋石(かもんいし)
生石神社にお参りする時、山麓の急な石段からお上りください。
すると、山ろくの石の鳥居の両脇に矢羽模様の家紋を刻んだ大きな石塊を見ることができます。
「家紋石(紋所石とも)」と呼ばれています。
一方は「違い矢」、もう一方は「三本矢」です。
この家紋石は、初めからここに置かれていたのではなく、元は観涛処(かんとうしょ)の北側の尾根上にありました。
採石作業で崩れ落ちたため、昭和50年、ここに移されました。
製作年代も制作者もはっきりしていません。何の目的で作られたのか定説はありません。
ただ興味深いのは、姫路藩の竜山石専売制とかかわるものではないかと一いう説です。
姫路藩の専売制といえば木綿が有名ですが、竜山石についても採掘に際して村々に、石切の許可を与える制度を敷いていました。
寛延3年(1750)年と嘉永4(1851)年の石切鑑札が現存しています。
「専売制になった象徴として作られたのでは」という説は説得力がありそうです。
*『はりま(埴岡真弓著)』(神戸新聞総合出版センター)参照
*写真:家紋石は、鳥居の前に左右に置かれていますが、写真の家紋石は鳥居に向かって右に置かれている家紋石です。
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