大分トリニータ 第38節(ホーム)10月26日 対岡山 1-0 勝ち(ホーム13勝)

2014-10-27 17:03:48 | 大分トリニータ
昨日(10月26日)は34回目の結婚記念日。
勝ちたい。
絶対に勝ちたい。
勝ってトリニータから最高のプレゼントを貰いたい。
そんな個人的な気合の入った試合だった(笑)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


今日はみなさん「ハロウィン」仕様。
ファジアーノ岡山サポさんも。


かわいい赤ちゃんも。




今日の「ニータン」も。
おや?なぜかポシェットを3個持っている。
なぜ?
一番右の「ハロウィン仕様」はFCのお姉さんが作ったもの。
真ん中の「青と黄色にハートのポシェット」は・・



この綺麗なお姉さんが作ったもの。
凄い。
長さも大きさもニータンにぴったり。



そして一番左の「トリガールポシェット」の製作者は・・・



この人。
ハンドメイド雑貨クリエイターの「maAco」さん



ロゼットの一例。



レプユニにこんな風に付けるとあなたも「トリガール」に。



ただいま仲間がロゼットを製作中。



完成しました。
世界に一つだけのロゼットの完成。
観戦フアッションのワンポイントに!



そんなポシェットに今日もお菓子を入れる仲間の「あやしくないおじさんOさん」(笑)
ニータンが大、大、大好きだそうだ。



ある言葉を唱えるとニータンからプレゼントをもらえる。
Oさんも嫁もニータンからプレゼントされて嬉しそう。




で、当然、私もいただいた。
ニータンから貰うと子供のようにうれしい(笑)



今日の「リバテープ」は右目の横。



この可愛い子は左のほっぺにトリニータ。



「選手 出迎え」
「試合前、バスでスタジアムへ入る時にサポーターがエールを送ってくれたことで、選手も今日のような試合ができた」と監督。




「(スタジアム入りをサポーターが出迎えて)プレッシャーにならないように口には出さなかったが、自然と気持ちが入った」と高木。




岡山相手に選手の中で誰よりも「勝ちたい」と強く願い、誰よりも「勝ちにこだわった」のがこの容平だったのではないだろうか。




うちに来て初めてのセンターバック。
危ないと思ったときには必ずそこにいた。
今日の完封勝利の立役者「ダニエル」




キックオフ 10分前。
恒例の岡山さんとの掛け合い。
詳しくは↓の動画で(笑)




選手入場。
ビッグフラッグの中。




ファジアーノ岡山サポさん。
遠い大分まで来てくれてありがとうございました。




「キックオフ」




開始5分。
容平が頭に怪我をした。
体中がボロボロになっているんだろうなぁ。
あと4試合、いやPOを含めると6試合。
容平 がんばれ!!



前回のホーム磐田戦はRちゃん(息子の嫁)の誕生日で2-0の完封勝利だった。
その流れから今日の結婚記念日も完封勝利のはず、と信じていた。
ずっとうちのペースだった。
カウンターで危ない場面もあったがそこにはダニエルがいた。
後半、決定的なチャンスも無く最悪の引き分けも覚悟したロスタイム。
キジが上げたクロスを気合の入った容平がヒールで落とす。
そこに90分間走りに走った末吉が気迫でゴール。
残された時間はわずかに数十秒。
劇的なゴールだった。
仲間からもみくちゃにされる末吉。



「犬のように走りまわった」と言ったのは「伊佐」だったが・・。
90分間走りに走りまわったのがまさに今日の「末吉」だった。
その末吉が最後の最後に気持ちで入れ込んだゴール。
だからこそ私達にこれ以上ない感動を与えてくれたのだ。
「雄叫びをあげる 末吉」




「末吉 隼也」 感動のゴール! 劇的な勝利をありがとう!!



負けたほうが脱落する。
絶対に負けられない試合に勝った。
岡山との対戦成績は4勝3分け1敗。
ホーム13勝目。



誰かが言った。
「磐田戦が今季最高の試合なら、今日の岡山戦は今季一番感動した試合だった」



全員で勝利の「勝ち点 3」
このあと夫婦で「祝 結婚記念日」「祝 トリニータ勝利」をカンパイしたのは言うまでも無い。


大分vs岡山 末吉 感動のゴール!劇的な勝利! 大分よりの使者 動画です




















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長者原(タデ原湿原)~大観峰へ

2014-10-25 14:50:54 | ドライブ
秋晴れの天気に誘われて嫁とドライブに。
まず臼杵市から国道10号線に出る。
犬飼を経て57号線に入り「道の駅 おおの」で休憩。
竹田市の手前を右折して久住の山々を見て「瀬の本」へ。
紅葉真っ盛りの「やまなみハイウェイ」を走り長者原「タデ原湿原」へ。
そこから来た道を引きかえし、熊本県の「大観峰」への秋の絶景おすすめコース(笑)

「久住」
雲一つ無い真っ青の久住。
高原を吹き抜ける風の気持ちいい事。
手前にはすすきの「黄色」、山は「赤色」、空は「青色」。
あれ? 「赤、青、黄色」? 信号機か?
などとセンスのかけらも無い頭の中身に一人つっこみを入れながら車は長者原へ(笑)




「登山届所」
基本的には提出は任意だが、登山計画書を提出することで、遭難や行方不明時の初動捜索が容易になり、救出が行いやすくなる。
高山登山はもちろん、低山でも提出すべきとされている。
2014年の御嶽山噴火では登山届を出さずに入山した人が多く、行方不明者数の把握を難しくしたとの指摘がある。





登山計画書は登山時に提出するもので、下山報告は必要なく、警察が個々人が無事に下山したかどうかは把握する運用とはなっていない。
下山予定日に下山しなかった遭難者の検知は、警察ではなく家族(あるいは職場)の通報により行われる。
従って、登山計画書は警察だけでなく家族にも渡しておくことが重要とされる。




今なお活動し続けている「硫黄山」
御嶽山でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。



長者原(タデ原湿原)
タデ原湿原は、くじゅう連山の北側(標高約1000m付近)に位置し、火山地形の扇状地にできた湿原。
国際的にも重要な湿地であると認められ、2005年11月に坊ガツル湿原とともに「くじゅう坊ガツル・タデ原湿原」として、ラムサール条約に登録された。





自然研究路が設置され、誰でも自由に散策することができる。
その木道は、バリアフリー設計になっている。



ススキの穂が風に吹かれて振り子のよう。



金色のススキ。



「三俣山」
どこから見ても3つの峰が見えることからこの名がある。
しかし、実際には、本峰、南峰、北峰、西峰の4つの峰から構成されている。



山の秋は短くあと1ヶ月もすれば雪が降ってくる。
昨年(2013年)の初雪は11月14日だった。


色づいた山や・・・



足元の植物に癒されながら・・・



ゆっくりした時間を楽しむ家族連れ。



ここにも・・・



ここにも。



どこまでも赤く・・・



どこまでも青い。



そんな景色を見ていた嫁に変化が・・・。





「坊がつる  4.7km」の標識をさっきから眺めている。
まさか・・・




私達の横を私達よりもご年配のご夫婦が登っていった。
「私達も今から行ってみる?」
「はぁぁああああ?」
そこにちょうど別のご夫婦が下りてきた。
「坊がつるまで何時間かかります?」と私。
「そうですね、片道3時間から4時間ですね」
嫁・・・あきらめた(笑)



と、思ったら「次は登る準備をして来ようね」と次回には登る気満々。
嫁、よく聞いて「私の体力は冬を迎える木々のようにもうすぐ枯れる寸前ですから」(笑)





「牧の戸峠」    
今さっき来た道を再び「瀬の本」の方に帰ると途中にあるのが「牧の戸峠」


見事な紅葉にしばし、うっとり。



「熊本県 大観峰」
阿蘇の山々を一望出来るビューポイントの中でも、一番と言われるのがこの大観望。
目の前に涅槃像(ねはんぞう)として有名な阿蘇五岳が並んでいる。




大観峰茶店。



ここから歩いて10分。


「大観峰」のビューポイントに到着。



大観峰は阿蘇の外輪山が出っ張ったところで、眼下には阿蘇谷が広がる。




反対側には阿蘇の大牧草地帯、その先には九重連山。



雄大な阿蘇がここにある。



最近行った立山黒部アルペンルートの「大観峰」も素晴らしい眺めだったけれども、ここ熊本県阿蘇の「大観峰」も素晴らしい眺めだった。



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兄へ

2014-10-23 12:47:12 | 日常
兄が亡くなった。
肺ガンだった。
昨年(2013年)に書いたブログより・・
昨日(9月30日)鹿島遠征から帰ってきた。
今回は4泊5日の遠征だった。

実はこの遠征の目的は鹿島戦ではなく
余命宣告された長兄に会うことだった。
もちろんその事は本人も家族も周りも知っている。
入院はしていないものの、手術は不可能ということだった。

9月27日午後7時過ぎ、病院から帰って来た兄と会った。
夕方まで点滴をしていたということだった。
声やしゃべり方は変わっていないが
顔を見るとむくんでいるためか3年前に会ったときとは別人のようになっていた。

『薬のせいで髪が無くなったよ』
と笑いながら話す兄を見ていると、胸が締め付けられる思いだった。

この兄とは喧嘩をした記憶もなければ怒られた記憶もない。
逆に親に怒られたときには私をかばってくれたし、私の味方になってくれた。

兄弟4人の中でも特に気が合い、大分に帰って来たときは飲みに行ったり、カラオケに行ったり、釣りに行ったりとよく遊んだものだった。
別れるとき『生きて会えるのはこれが最期かもしれない』と思うと涙が止まらなかった。
言葉が出てこなかった。
ただただ黙って手をにぎった。暖かい昔の兄の温もりだった。



この1年間、兄と連絡をとり、甥(兄の子)とも常に連絡をして変化があれば何時でもいいから知らせてくれるようにお願いしていた。
亡くなる1週間前まで元気な声だった。
しかしこのとき体は痛みで限界にきていたのだろう。

甥から父が亡くなりましたと連絡があった。
覚悟はしていたが現実感がまったく無かった。
涙が出なかった。
嫁にもそのことを告げた。
義姉宅に行っても遺影を見てもろうそくに火を灯しても何も感情がわかなかった。

そのとき、嫁が予約していたホテルをキャンセルして「銚子のホテル」をとった。
翌日、犬吠埼に行った。
銚子の海が見える。
「なぜここに来たかわかる?」嫁が言った。
「お兄さんいつもこの海に釣りに来てるって言ってたよね」
「あなたと釣りに行きたいって言ってたよね」
そう言って海に向かって手を合わせた。
嫁が突然ここに来たいと言った訳がやっとわかった。

くちびるが震えた。
涙が出た。
子供のように声をあげた。
兄が亡くなったと聞いて初めて涙が出た。
あとからあとから溢れて止まらなかった。

「また、どこかで釣りに行こうな」
兄にお別れした。





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信州の旅(松本山雅遠征)・・完結・・銚子電鉄・犬吠埼

2014-10-22 18:20:04 | 大分トリニータ
10月14日 信州松本を離れた。
最初の予定ではもう一日松本に滞在して、まだ観光していないところを行くはずだったのだが・・・。
朝早く、千葉の兄宅に移動した。
その夜 銚子駅に着きホテルに泊まった。



次の日(10月15日)
「銚子電鉄」
JR銚子駅の2・3番ホームを先まで行くと銚子電鉄の黄色い電車が見えた。
あの「奇跡のぬれせんべい」の話を聞いて以来どうしても乗りたかった。



「桃太郎電鉄 ありがとう20周年」
中に入るとイスに「桃太郎電鉄ありがとう20周年」のカバーがあった。
残念ながらこのゲームをしたことがないのでキャラクターのありがたみがわからない。




かわいい車掌さん(袖山さん)と。
この人、帰りの電車でも一緒だったがこの中を忙しく走り回っていた。
この時点ではお客は私達だけだったので気軽に写真撮影に応じてくれた。
ありがとうございました。




銚子電鉄は、JR東日本の銚子駅をスタートして外川駅まで6.4kmの全線区間を約19分、最高時速40kmでゆっくり、ゆっくり走る。
銚子から観音までは中心市街地を走り、本銚子から海鹿島までは概ね住宅地を、そして春にはキャベツ畑、夏にはメロンやトウモロコシ畑を抜けて、犬吠や外川へと進む。




「海鹿島駅」(あしかじま)」
関東最東端の駅  「海鹿島駅」
この町には「国木田独歩碑」「小川芋銭句碑」「竹久夢二碑」などがある。


南国風の樹木の茂る「君ヶ浜駅」を抜けると・・・



見えてきたのが・・・




「犬吠駅」
今回の目的地、犬吠駅。
この駅で下りる。
友好関係にあるポルトガルのロカ岬にちなんだポルトガル風の駅舎だ。


時間が早いためまだ開いていない、あとで来る事にしよう。
それにしてもなんだかおしゃれ。



横を見ると地図があった。
「犬吠埼灯台」と反対方向にある「地球が丸く見える丘展示館」
手書きがうれしい。




銚子電鉄公認の応援テーマソング「みらくるトレイン」のCDが出たようだ。
「銚子元気娘」という2人の女の子が歌うようだ。
あまちゃんの「潮騒のメモリー」と同じくらい売れて欲しいよね。
がんばれ!!



「しあわせ三像の一つ  貧乏がイヌ」
駅の外に出てみると桃太郎電鉄の貧乏神が鎮座している。
 貧乏神?と思われるかもしれないが、貧乏神の頭の上に犬が乗っており、「貧乏がイヌ」ということで、「しあわせ三像」の一つなのだ。
その他にも(仲ノ町駅)には猿が乗っている「貧乏がサル」像
 (笠上黒生駅)にはキジが乗っている 「貧乏をトリ」像がある。
駅を降りて探してみるのも楽しいかも。




ここから「犬吠埼灯台」を目指して歩いてみる。




駅から歩くこと数分。



左手に水族館。



右手に「高浜虚子句碑」を眺めて前を向くと・・



ありました「犬吠埼灯台」


「全国初の白い郵便ポスト」
2012年3月7日郵便事業会社銚子支店が全国初の白い丸型の郵便ポストを設置した。
ホワイトデーにちなんで、3月14日から使用を始めた。
ポストは、茨城県神栖市の郵便局が保管していた1960年製。
灯台を管理する銚子海上保安部の発案で、灯台に合わせて白く塗り直した。
おしゃれ!



「君ヶ浜」
約1kmの海岸線。
日本渚百選にも選ばれている。
白砂青松と豪快な太平洋が眺望できる。



「犬吠埼遊歩道」
灯台を全方位から見ることができる。



海側から見た「灯台」



降っていた小雨もやみ、虹がかかる。



灯台の参観時間 8時半までもう少し時間があるので下に降りてみた。



台風の影響なのか普段からこうなのか荒波が岩場に砕けていた。


海を眺めながら
「お兄さんはこの銚子の海に釣りに来ていたよね」嫁がつぶやいた。



「犬吠埼灯台」
この灯台は日本を代表する灯台の一つで歴史的文化財的価値が高く、Aランクの保存灯台ともなっている。
「世界灯台100選」、「日本の灯台50選」にも選ばれている。
2010年(平成22年)4月28日には国の登録有形文化財にも登録された。
また、最大の第1等レンズを使用した第1等灯台である。
第1等灯台は日本に5つ しかない。



階段は99段。
エレベータは無いらしい(笑)



もう一息。



風が強くどこかにしがみついていないと飛ばされそうになった。



「資料展示館 大型一等レンズ」
敷地内には2階建ての犬吠埼灯台資料館がある。
大正時代に作られた国産第1号の1等レンズだ。
大正11(1922)年から約100年間、沖ノ島灯台(福岡県宗像市)で使われていた。
1等レンズは灯台用としては最も大きい。歯車を使った回転装置の上に乗った、高さ2・53㍍、総重量13トンのレンズは迫力がある。


時間が無くなってきたので再び「犬吠駅」に帰って来た。


売店も開いたので「奇跡のぬれせんべい」お徳用を2個買った。



その後、その丁寧な応対に感激し嫁が昨日、義姉が持たせてくれたみかんを差し上げたら・・・



ぬれせんべいのお返しをいただいた。
かえって申し訳ない。
ありがとうございました。



ここでなにか記念になるものをと思い「キーホルダー」と



「絵はがき」を買わせていただいた。



もう一つ。
「観音駅」で売っている「金目焼き」・・たい焼のこと。
ここ「犬吠駅」で駅員さんに注文しておくと帰りの「観音駅」で受け取れるとのこと。
わずか2個ですが・・お願いしました。





電車が入ってきた。
来るときは「黄色の車両」だったが帰りは「赤色の車両」


一枚一枚、手描きされた中吊り広告。
もうこれだけで、心は昭和にタイムスリップしてしまう。



観音駅でかわいい車掌さんが走ってさきほどの「金目焼き」を届けてくれた。
たった2個しか頼まなかったのに本当にありがとうございます。



型からはみ出る生地の多さと、たっぷり入ったアンが美味しい。
ボリューム満点のたい焼きだった。


帰りの電車の中はこの「銚子電鉄」を生活の足として必要とされている人々が大勢乗っていた。
地方鉄道を知ると言うことは、その地域の楽しさも一緒に知り魅力に触れるということでもある。
地方鉄道は今どこでも厳しい経営を行っているが、沿線に人が移動する目的を観光に見いだすことも一つの活性化対策ではないかと思っている。




これを見て「銚子電鉄」をもっともっと好きになった。
     
「銚子電鉄の動力は電気ではございません」
「皆様の温かい応援を動力に運行しております」 




この建物を抜けると「銚子電鉄」から「JR銚子」になる。
「昭和」から「平成」に抜ける扉のようだ、と言ったら言い過ぎになるだろうか?
「まだまだ頑張れ! 銚子電鉄!」 
「これからもずっと、走る続けるんだ!」   

 




これで空港に行き帰ろうと思っていたら「築地」に行きたいと嫁(笑)



時間を気にしながら、あちこち迷いながらやっと着いたぜ「築地」
ゆっくり見学している時間なんかあるわけないよ。
近くのお店に入り注文。


またまた時計を見ながら食べる、食べる。
周りの白い目なんか どこ吹く風だもんね。
最短時間で完食。
ごちそうさまでした。



こうして6泊7日の旅が終わろうとしている。
飛行機の中で今回の旅で出会った人々、お世話になった人々を思い浮かべてみた。



長野のカタログをたくさん送ってくれたGちゃん。
松本の情報・天気を知らせてくれたPちゃん。
松本を知り尽くし、松本を愛する「大名町のはんこや」さん。
「まるちゃん」の店主まるちゃん。
「8オンス」で知り合ったお客さん。
絶品「松本山賊焼」「煮イカ」に地酒「極寒辛口」の「居酒屋 一歩」の大将。
「琴川 クリアボート」のスタッフのお兄さん。
時間があるからと「早春賦歌碑」まで行ってくれた「安曇野ツアー」のドライバーさん。
「四柱神社」で写真を撮ってくれた山雅サポさん。
アルウィン到着後バスから一緒に案内してくれた山雅の親子サポさん。
開門の時拍手で迎えてくれた山雅サポさん。
アルウィンからバスまでの道、「来てくれてありがとう」と言ってくれた何人もの山雅サポさんたち。
残念会で隣の席にいて帰るときに「トリニータ・コール」をしてくれた山雅サポのご夫婦。
同じく隣で「トリニータ・コール」をしてくれた山雅サポさんたち。
外で全員の写真を撮ってくれたカウンターのおじさん。
一緒に残念会で騒いだ12人のトリサポのみんな。
その会場の世話をしてくれたPちゃん。
上高地・田代池で出会った5人組のおばちゃんたち。
直後に話したご夫婦。
上高地・バスターミナルで話しかけてくれた山雅サポさん。
同じくバス・ドライバーのKさん。
銚子電鉄のかわいい車掌さん。
犬吠駅の売店のお姉さんたち。
羽田空港でカメラを届けてくれた人。
「忘れ物センター」の係の人。
そして何よりも今回試合を含んで4日間もご一緒してくれたBさんご夫婦。

みなさん、本当に、本当にありがとうございました。
生涯、忘れられない楽しい旅ができました。

これで信州の旅(松本山雅遠征)・・完結します。





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信州の旅(松本山雅遠征)・・その5・・雨の上高地

2014-10-21 17:17:31 | 大分トリニータ
信州松本 5日目
今日は台風19号の影響からか朝から雨が降っている。
でも気にしない。
晴れには晴れ、雨には雨の景色を楽しめればいいと思っている。
人生、前向きに生きたほうが楽しい。

今日のツアーは8人。
多分、若いであろうカップル2組に2人掛けの席をゆずり私達4人は一番後ろの席に陣取る。
上高地に向けて、さぁ、出発。
途中、地図を渡され各々でコース決める。
決められた時間は3時間。
アギーレ隊長の提案でまず「大正池」で下ろしてもらう。
そこから「田代池」→「田代橋」→「ウェストン碑」→「河童橋」→「バス乗り場」のコースに決定する。
通常の速さで歩けば1時間かかるところを散策しながらゆっくり3時間かけて歩く。
最近、血糖値が高いと言われている私にはピッタリなコースだ。




「大正池 到着」
9時20分 大正池に到着
この池は国の特別名勝・特別天然記念物に指定されている。


雨がひどくなったので「トリニータ」のポンチョを着る。
ツアードライバーさんに写真を撮ってもらう。
実はこのドライバーさんが凄い人だったと最後の最後に知ることになる。
それは後ほど(笑)




池は、活火山である焼岳が1915年に噴火し、泥流によって梓川が堰き止められて形成された。




池にある立ち枯れの木々の景観は、1928年に「上高地」が史蹟名勝天然紀念物保存法による「名勝及ビ天然紀念物」に指定される際の理由の一つとなった。




「クマに注意」のカンバン。
まさか、こんな観光客の多いところにクマなんて・・・と思っていた私のアンポンタン。



雨で滑らないように慎重に渡る。



もし横道にそれると元に戻れないくらい誰の手も入っていない。



分かれ道には必ず「看板」がある。
我々は左側「田代池・河童橋」の方に行く。




「焼岳」
焼岳は隣接する白谷山、アカンダナ山、割谷山と共に焼岳火山群を構成する。
現在も活動をしているのが焼岳である。
この焼岳は飛騨山脈の中では最も活動の激しい活火山で、約2000年前には最新のマグマ噴火を起こしている。
付近では1968年、1990年、1998年、2011年、2014年などたびたび地震群発を観測している。 
さらっと書いているが書きながら手が震えてしまった。             




「上高地 冊子」
上高地の自然と情報を紹介した冊子を1部100円で販売している。
このお金は上高地の施設維持管理や、美化清掃に使われる。



ここは、標高1500m。
上を見上げると手付かずの木が襲ってくるような錯覚さえしてしまう。



「ツキノワグマ 情報」
10月10日(3日前)大正池ー田代湿原の間でツキノワグマ 3頭が目撃されています。
の看板を見つけてしまった。
甘かった。 やはり近くにクマはいるんだ。 



我々の狼狽振りがわかろうというもの(笑)
いやいや、笑ってはいられない。
「そうだ大声で歌おう」  
「ここに人間がいることをクマに教えようよ」 
「トリニータ・オーレがいいよ」と嫁。
「いやいや、大丈夫。 あなたの大きな声でクマはここに人間がいることを認識したから」と・・・控えめに教えてあげたやさしい俺(笑)




クマを警戒しつつ・・・




周りの景色を楽しみつつ・・・



「田代池」まで100m。



「田代池 到着」
田代池は隣接する大正池とともに、大正時代に焼岳 (2,455 m) の噴火により流れ出た溶岩が梓川左岸の支流である千丈沢をせき止めたことでできた浅い池。
周囲は湿原になっている。
六百山や霞沢岳からの伏流水が湧き出ている。



周囲は猿などの動物が多く見られる。
水面に北アルプスの山並みが映るほど、水の透明度が高く、イワナなどの川魚が生息している。



この写真を撮ってくれたおばさまたち(5人)としばし、大分トリニータの説明?をして別れた。
プロのサッカーチームなんだということは理解していただいた(笑)
写真を撮っていただきありがとうございました。




この頃になると雨も上がりポンチョが暑くなってくる。




ここが分岐点となる。
どちらに行っても合流はするんだが我々は迷わず「梓川コース」に進む。




しばらく歩くと・・・



また、分岐点。
寄り道が大好きな我々は行き止まりの「梓川川原」へ向かう。



「梓川川原 到着」
水の綺麗さが違う。
周りの緑が川面に映えて・・・


川の水が緑に見える。




「植生保護のために立ち入らないで下さい」という看板をたくさん見かける。




我々は恐くてとてもとても決められた道以外には行けないのだが。



この木を見てどう感じるだろうか?
私は生きることの強さを感じたのだが・・・



上流に行くに連れて川幅が狭くなってきた。



ここで「女子2人」が川原で手を洗う・・・・
突然目の前にクマが・・・・・なーんて話は映画の中だけなんだろうな、きっと。



「田代橋 到着」



「おつかれさま」とサルが出迎えてくれた。




田代橋から上流を望む。




「ルミエスタ ホテル」を抜け川が蛇行したところに・・・



「ウェスタン レリーフ」
ウォルター・ウェストンは、イギリス人宣教師であり、日本に3度長期滞在した。
日本各地の山に登り『日本アルプスの登山と探検』などを著し、日本アルプスなどの山及び当時の日本の風習を世界中に紹介した登山家。
死後、日本の山を世界中に紹介したことなどを称えて、日本の各地でウェストンの記念碑、レリーフなどが設置されている。



いろいろなところに寄り道をしたために時間が少なくなってきた。



「河童橋」を目指して急げや急げ。



ところが目の前に広い川原が見えた。
時間が無くても好奇心満載の我々。
すぐに寄り道を(笑)



こんなところにトリニータの守護神「亀」が・・・
と思ったら「アギーレ隊長」の作品だった。



残りの時間  20分。
オーイ! 嫁! 急げよ!・・・なーんてセリフは心の中(笑)




河童橋まで残り 500m。
間に合うか?




残りは直線コース。
走るか? 走るか?  そんな体力・・もう無い。




残り 10分。
あ!  見えた!





「河童橋 到着」



時間もそこそこに・・・
3人で記念写真。
ここでもいつもの「勝ち点 3」



「トイレ チップ制」
トイレはチップ制になっている。
当然、維持管理はかかるわけなので100円をお願いします。




「バスターミナル 到着」
集合時間12時20分ピッタリ。
さすがアギーレ隊長。




バスの前でトリニータのタオマフで写真を撮っていると「トトリサポさん?」の声が。
振り向くと別のバスのドライバーさん。
「松本山雅サポ」さんでアルウィンに来ていたとの事。
時間があれば話ができたのだがすでに他のお客さんがバスに乗っているのでゆっくり話ができなかった。
後ろ髪を惹かれる思いでバスに乗り込むと話の流れからバスのドライバーさんがカミングアウト(笑)
「田中隼磨の中学時代のコーチだった、3年間」
うえぇぇぇぇええ!
口あんぐり。
「横浜マリノスの選手だった」
どえぇぇぇぇぇええ!
心臓麻痺 起こすかと思ったよ。
そんな重要なこと朝から言ってよ。
頭の中がパニック。
「エート、エート、何から聞こう。何を聞いたらいい?」
頭の中、真っ白。
「アルウィン 凄いですね」・・ばかばか、そうじゃないだろう。
「J1に・・・」・・・もう、お前は何言ってんだ。
そのときのアホな俺に一日中説教したい・・・・・。
雨が上がっていたのにバスに乗り込んだとたんに大降りの雨に変わった。
ドライバーのKさん、「私は晴れ男ですから」て言っていた。
どうりで雨が止んだはずだ。
いや違う、こんな話ではないんだ。
Kさん、今度はゆっくりお話を聞かせてください。



「からくり時計」
結局、なにもしゃべれず 松本市内に帰って来た(笑)
時間はまだ早い。
このままホテルにこもる私達ではない
アギーレ隊長ご夫婦は国宝 松本城へ。
私達は市内散策へ。
「そうだ、からくり時計を見に行こう」




雨の中。 行きましたよ。
修理中。 泣きましたよ。



「松本市 時計博物館」
ならば動いている時計を見に行こう(笑)
 昭和49年、本田親蔵氏は、生涯をかけて収集した貴重な和洋の古時計コレクションを、人々に永く親しんでいただきたいと願い、松本市に寄贈された。



その後、市民から寄贈していただいた時計もコレクションに加わり、より充実したことから、さらなる活用を目指して、平成14年、松本市時計博物館が開館した。





【開館時間】午前9時から午後5時まで
 【観覧料】 大人(高校生以上)300円




草間さんデザインのバスを横目に見ながら・・・・



松本最後のお店に入る。


まずは「そば」を頼んで・・・



いつものように、このお店お勧めの「地酒」を聞くと・・・
「33酒あると迷いますね・・そんな時は特製サイコロで決めましょう」と言われた。



冗談を言う店員さんだな・・と思ったら、本当に33面体のサイコロを持って来た。
もう、笑った。
こんなユーモアのある店、大好き。
出た目は「10」



10番は 辛口純米 「喜久水」




おっと、忘れてはいけないのが「信州の珍味」
「イナゴ、はちの子、ざざむし」の3種類。
これを制覇せずに信州を出るなと言われた(笑)
ここに来た初日「居酒屋 一歩」さんで(はちの子、ざざむし)は食べた。
残り 一品 「イナゴ」
しげしげと見てはいけない。
経験でわかる(笑)
甘辛く煮た 「なにか」だと思えば良い。
食った。
よし! 制覇!



名残り惜しいが明日、信州松本を出る。
出会った方々、お世話になった方々、本当にありがとうございました。
予定を変更して明日は千葉に移動する。
明後日は銚子電鉄、犬吠埼でこの旅も完結となる。


信州の旅(松本山雅遠征)・・完結・・「銚子電鉄・犬吠埼」につづく






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信州の旅(松本山雅遠征)・・その4・・立山黒部アルペンルート

2014-10-20 17:26:46 | 大分トリニータ
信州松本 4日目。
天気は晴れ。
今日は松本駅から電車に乗りJR穂高駅に集合。
そこからバスで「扇沢」へ行く。
「扇沢」からトロリーバスで「黒部ダム」「黒部湖」へ。
「黒部湖」から黒部ケーブルカーで「黒部平」に。
「黒部平」からロープウェイで「大観峰」へ。
さらに「大観峰」からトロリーバスで「室堂」というほぼ山の中の旅。
心配した台風19号の影響もまだなく、今日一日晴れ間が続くとの嬉しい天気予報に思わず(自分の)日頃の行いの良さに感謝したくなった(笑)
昨日の松本山雅さんとの敗戦で受けた心の痛みは残念会の大騒ぎの中ですっかり癒され?松本駅から7時48分の大糸線に乗った。


「大糸線」
松本市の松本駅から新潟県糸魚川市の糸魚川駅に至る鉄道で北アルプス(飛騨山脈)の東側を、大町市以南は高瀬川、その北は日本海へと注ぐ姫川に沿って走る。



乗るときは外から「あける」のボタンを押し、中に入ると「しめる」のボタンを押す。
田舎人の私は自動で閉まると思っていた。
後から入ってきたおばちゃんがボタンを押して閉めているのを見てビックリ。
そうか、冬は暖房、夏は冷房をしてるもんね。  なっとく。



「穂高駅  到着」



「道祖神」    
これは集落の境や村の中心、 村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されている。
穂高だけでも83体ある。




今日のメンバーは「アギーレ隊長」(昨夜の残念会で命名された)と部下の3名プラスおとなしいご夫婦2名の合計6人のツアーとなる。
「黒部ダム」のDVDを見ながら車は「扇沢」へと向かう。



「扇沢駅」
立山黒部アルペンルートの長野県側の入口になる。
駅舎は地上3階建てで、1階にきっぷうりば、2階に「レストラン扇沢」と改札口、3階にホームと屋上展望台がある。




駐車場はすでにいっぱいで、今日の人の多さを予感させる。
ここからは車、バス、タクシーすべて使えない。
すべて専用の乗り物になる。
それにしても空の青さがまぶしい。



「乗車券」
「扇沢」から「室堂」まで4つの乗り物に乗っていくことになる。
「扇沢」から「黒部ダム」までトロリーバス 往復 2570円
「黒部湖」から「黒部平」までケーブルカー 往復 1300円
「黒部平」から「大観峰」までロープウェイ 往復 1940円
「大観峰」から「室堂」までトロリーバス  往復 3540円



「関電トンネル トロリーバス」
今回ツアーのためにここにいる滞在時間が決まっている。
タイムリミットは3時間。
通常なら余裕があるかもしれない。
しかし今日は団体さんがたくさん来ている。
考えて行動しなければ時間までに帰ってこれない。
そこでとにかく「室堂」まで見学なしで一気に上っていくことにした(アギーレ隊長 提案)
時計を見ながら下りてきて黒部ダムで時間を使おうということに決定。
バス乗り場に急ぐ。




この人、人、人である。


バスとは書いているがバスではない。
普通のバスとは違って、ガソリンではなく電気を動力として走っている。
現在、関電トンネルと立山トンネルでしか運行されていない日本唯一の存在。
それにこのトロリーバス、実は鉄道の一種として区分されているというユニークな乗り物。



バスを降りて・・・・



「黒部ダム」に向かうと・・・・



「黒部ダム」
目の前には青空を背景にした雄大な景色が広がっていた。




学生時代「黒部の太陽」の三船敏郎、石原裕次郎の迫真の演技を見ていつか来たいと思っていた。


その景色を横目に見ながら「黒部平駅」へと急ぐ(笑)
もう一度降りてきたときにここはゆっくり見る予定。


トンネルを抜けて・・・


「黒部ケーブルカー」
日本でもここだけにしかない「全線地下式」のケーブルカー。
自然景観保護と豪雪による被害防止のため地下式が採用され、黒部ダムから黒部平までの標高差400mを上る。
黒部ケーブルカーに乗り込みたいが・・・ここでも人、人。



やっと来た、来た。



座るなんてとんでもない。
通勤ラッシュなみの混雑さ。



そばを食べてる時間もなく「立山ロープウェイ」にいちもくさん。



「立山ロープウェイ」
急斜面の岩場にある大観峰駅と黒部平間の標高差500mを約7分で結ぶ80人乗りのロープウェイ。
まさに動く展望台で眼下に広がる眺望を満喫できる。



「立山トンネル トロリーバス」
1996年にそれまでのディーゼルバスからトロリーバス化された。
日本では最高所の2,450mの所を走りる。
主峰・雄山の直下を貫き、全長3.7kmの区間を運行している。
自然環境と景観保護、クリーンエネルギーに配慮された懐かしくもあり珍しい乗り物がいっぱいだ。



もう、笑うしかないこの混雑。
アギーレ隊長の「まずは(室堂)に上がって一気に(黒部ダム)に下る作戦」は素晴らしい。



「室堂 到着」
2450mの「室堂」に到着。
空気がうまい。
山が近い、近すぎる。
我が家の最初の計画では「黒部ダム」までで帰る予定だった。
でも2度と来れないかも知れないから「室堂」まで行こうと計画を変えた。
「黒部ダム」までだったらおそらく後悔していただろう。
来て良かった。



松本に着いた日、天気予報では今日は雨だった。
当然、山は霧で見えないだろうと諦めていた。
それだけにこんな素晴らしい自然に触れることができて、普段あまり信じない神様に感謝した(笑)
「かけがえのない仲間と かけがえのない大分トリニータと」



目の前に広がる大自然を前にして「俺ってちっせえ」
わかっていたけど改めて感じた。



「ウォー」とか「オオー」とかしか言葉が出てこない。
360度 すべての景色にため息がでた。




ここで「おにぎり」を食べた。
うまい。
なんで山で食べるおにぎりって美味いんだろうね。




「大観峰」
2316mの大観峰に下ってきた。



支柱のないワンスパーン方式としては日本一の長さがある。
とにかく高所恐怖症のため下が見れない・・・



などとここまで来てそんな甘いことが許されるわけもなく・・・
下を覗いてカメラを撮る。
・・・そんな自分をほめたい・・・(笑)



「室堂」とはわずか1000m。
しかし景色は一変する。
ここ「大観峰」では紅葉の真っ只中。




この色をだれか言葉で表現してくれぇ。
私には無理(笑)




「大観峰 展望台」に上がった。
ここで嫁がめまいがするというのでしばらく休むことにした。
空気が薄いので心配したがしばらく休むと元気になって一安心。



この写真の右から「スベリ岳」、その左奥にあるのが「蓮華岳」、その左に「赤沢岳」
鳴沢岳、岩小屋沢岳、爺ヶ岳とつづく。
えー、山の名前に詳しい方、もし間違っていたらごめんなさい。
寛大な心でスルーしてください。



さてロープウェイで「黒部平」に帰ろうとしたとき。
そうです、知る人ぞ知る、この方。
口上がうまくて、すごい人。
まったく買う気の無かったパンフレット 1冊1000円 買いました(笑)
飛ぶように売れてました。
「大観峰」 名物 おじさん 動画 一番下 ↓



「立山ロープウェイ」の中から見た紅葉



「黒部平」
標高 1828m。


山の向こうに山、そのまた向こうに山。





「黒部平」から見た「大観峰」
今まで、あの地点にいたのか、と少し感激した。


「黒部ケーブルカー」に乗ってやっと「黒部ダム」まで下ってきた。


「黒部ダム」
日本を代表するダムの1つであり、富山県東部の黒部川上流に建設されたアーチ式コンクリートダム。
ダムに貯えられた水を利用している発電所が黒部川第四発電所(黒四)であることから、通称 黒四ダム(くろよんダム)と呼ばれる。





「観光放水」
 黒部ダムの風物詩、観光放水。  毎秒10トン以上の水が水煙をあげている。
期間 6月26日(水)~10月15日(火)
今年はすでに終了している。




真上から見た。
虹がかかっているが・・・見えるかな?


別の世界に感じる。


ただこの工事で171人の方が亡くなられている。
ご冥福をお祈りします。


今から私にとって最後の難関。
左に見えるあそこに登る。
どこって?



ここ!


「ダム 展望台」
とりあえず足がつらないようにアキレス腱を伸ばす(笑)


途中で一休み。


まだまだ先は長い。
とにかく暑い。



「黒部ダム展望台 到着」


後ろを振り向いた。


前を向いた。


遠くを見た。



最高の仲間に最高のロケーション。
帰りのリュックはこの2つで満杯になった。 




「大観峰 名物 おじさん」



明日は「雨の上高地」
でも奇跡も起きるかも・・・
なにせツアードライバーが「晴れ男」のKさん。



信州の旅(松本山雅遠征)・・その5・・「雨の上高地」につづく






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信州の旅(松本山雅遠征)・・その3・・松本山雅戦

2014-10-18 17:34:06 | 大分トリニータ
信州松本 3日目。
天気は晴れ。
気持ちいい一日になりそうだ。
前回、松本山雅さんにホーム大銀ドームで0-2と負けた。
どうしてもそのお返しをしたい。
絶対に勝ちたい。
しかし、松本に来て、ここの人々の人情に触れ、やさしさに触れるうちに戦う気持ちが段々薄れていく。
これはいかん。
決戦の当日になんて弱気な。
よし!  タオマフを持って2人で「四柱神社」に必勝祈願をしに行こう。
まずは戦闘服に着替えていざ、出発。
と、ここで嫁が何か探している。
「いつもの帽子が無い」
そう、嫁のトレードマークというべきいつもかぶっている「サッカー帽」を忘れたらしいのだ。
焦る嫁。落ち込む嫁。ため息をつく嫁。下を向く嫁。今にも涙がこぼれそうな嫁。
こりゃいかん。
笑える雰囲気ではない。
「いつもしないことをしたら、何か良いことが起きるかも知れんよ」と私。
この言葉で少し立ち直った嫁。
よしよし、旦那のパワー炸裂!!


さて 今度こそ「四柱神社」に向けて出発。



「松本市美術館」
神社に向かう途中で草間彌生 の作品があるこの美術館に寄ってみた。


「草間彌生 幻の華」  
この作品を理解できるほどの感性は残念ながら私には無かった。
美術館めぐりが趣味の娘ならわかるかもしれないが・・・。



「マンホールに松本てまり」    
松本てまりは、赤や黄色、紫など美しい色糸をかがった精巧で優雅さをもった手まりのこと。
今では松本を代表する土産品となっている。



「四柱神社」
願いごと結びの神として知られている。
地元では、「しんとう(神道)さん」と呼ばれているそうだ。




嫁の写真を撮っていたら「お写真撮りましょうか」と声をかけてくれたのがなんと松本山雅サポさん。
撮っていただいたお礼を言い、少し話をさせていただいた。
「J1にぜひ行って頑張ってください」と言ったところ
「私達はまだJ2に上がって3年目で、トリニータさんのように長い歴史があるわけではない」
「まだ(核)たるものがないから不安なんです」
「だからこそJ1に上がって歴史を作りたいんです」と言っていた。
クラブへの熱い思いが伝わってくるやさしい人だった。
「今日はお願いします」と握手で別れた。
会う人、会う人、良い人ばかりで困ってしまう(笑)




「旧開智小学校」       
重要文化財。
日本で一番古い小学校のひとつ。
ちなみに隣に現在の開智小学校がある。




「松本市中央図書館」
おしゃれ!!




「アルウィン行き シャトルバス」
何と無料!  びっくりした。
無料で運営しているのはもちろんサポーターの足の確保のため。
しかし、そのためにクラブの経営が苦しくなる。
そのため入場料を少し高くしたそうだ。
しかし、それに対して文句を言ってくるサポータは誰もいなかったそうだ。
すばらしい。




「アルウィン 到着」
キックオフ 3時間半前に到着。
しかしすでに山雅サポさんはたくさん並んでいた。
しかもほとんどのサポさんがレプユニを着ている。
若い人もお年よりもみなさんレプユニにタオマフ。
一体感が凄くてこの時点で圧倒されてしまった。



「のぼり旗」
まぁ、いろんなアウェーに行ったけどここまで「ウェルカム」でやってくれたクラブは見たこと無い。




そして これも! 手作り幕。
嫁はこの時点で感激して「うるうる」してた。



「穂高 地ビール」
北アルプスを眺めながら飲む地ビールの美味いこと。




つまみはこれ。
「信州産 ポークのメンチカツ」
最高!



「山雅人(ジン)トニック」
いやまぁ、びっくりしたよ。
スタグルにカクテル?
私にとって初めての体験。



当然、飲みましたよ。
口当たりが良いのでおかわりしたかったけど、まさか試合前に飲みつぶれるわけにいかんからね(笑)




おばちゃんと合流したので仲間といつもの「勝ち点 3」
がんばろうぜ!!




嫁、ラジオの取材を受ける。
よくあんなにしゃべれるものだと感心しながら聞いていた。



「11時 開門」
入場。
最初はわからなかった。
山雅サポさんが手を振ってる、拍手をしている。
誰に? え? 後ろを振り向いた。 いるのはトリサポだけ。 
なに?   もしかして俺達に? えええええーーー!!
鳥肌が立った。
ここは何なの?
素晴らしすぎる。



「アルウィン」
愛称は、日本アルプスにちなんだアルプス(alps)と、英語で風を意味するウインド(wind)を組み合わせた造語のアルウィン(Alwin)。
入ってすぐに違和感があった。
それはなぜオーロラビジョンがホーム側にあるのかということだった。
通常はアウェー側にありホームの人が見るためにあるからだ。
調べた。
2010年1月、松本山雅FCはホーム側とアウェイ側のサポーターのトラブルの原因を少なくすることなどを理由として、
南サイドスタンドをホーム側、北サイドスタンドをアウェイ側へ変更したということだ。



収容人員:20,000人(観客席は16,000席、立見席・4,000席)
お年寄りに混じって子供さんも多い。
毎試合チケットをスポンサーさんが買って子供(小学、中学生)に無料でチケットを配っているそうだ。
その子供さんとおじいちゃんやおばあちゃんが一緒に見に来るということらしい。
聞いて納得。




アルウィンの最多入場者数は17,148人(2013年9月22日:J2第34節 松本山雅FC×ガンバ大阪)である。
J1に行けば山雅サポさんが夢とする2万人は間違いなく現実のものとなる。




それにしても3000m級の山々に囲まれたロケーションは最高に気持ちがいい。




空は晴れ渡り、寒くも暑くも無く風が心地よい。




このスタッフさんのプラカードを見てビックリ。
ホーム側のトイレならまぁわかる。
人数が少ないアウェーのトイレにまで気を使うってどんだけなの(笑)




なんとアウェーの我々(Bさんの奥さん)に当選した。
え? これってホームのサポだけのものと思っていたのに。




Oさん(Pちゃんパパ)からいただいた差し入れ。
美味しく飲みました。




で、このコップよく見ると「山雅FC」さんのマークが。
もうなんもいえない。




本日「G裏町内会」のゲーフラ。
いやぁバックのトリニータブルーの空に映えますなぁ。




試合直前の山雅サポさんのコールには痺れた。
声が良く出てて、そして良く響く。



味方を鼓舞し、敵を威圧するに充分な迫力を感じた。




うちのG裏。
完全なアウェーだが絶対に負けられない。



頼もしい女性リーダーたち。
シンケン声を出すけんな!!
負けんで!!



◇御嶽山噴火による犠牲者の方々への黙祷◇ 
2014年9月27日に噴火した御嶽山にて犠牲になられた方々へ追悼の意を表し、黙祷。




さぁ、キックオフ!!





前半は前節の良い流れを引き継いで攻めていたのだが、後半は足が止まり別のチームになった。
完全に走り負けた。
前回も、今回も2点差の完封負け。
力の差を感じた。



勝った瞬間、全員でタオマフを回し勝利を喜ぶ姿は屈辱の中にも感動を覚える。




勝負だから当然、勝った負けたはしかたがない。
しかし、目の前で見た「地域に根付いたサッカー愛」は勝ち負けとは別のところで「うらやましい」と思ってしまう。



そして帰り支度をして出ようとしたところ・・・。



「絶対に又来る」と書いたよ。
こんどはトリニータ以外の試合で山雅サポさんのG裏に行きたい。



この大勢のサポさんをどうやって割り振りするんだろう?
どれくらい時間がかかるんだろうと心配していたら・・・。


何の事は無い。
スタッフさんが手際よかった。
ベビーカーは手伝うし赤ちゃん連れは優先的にバスに乗せ、人数を数え、座らせた後に立てる元気な人を乗せるという何とも見ていて気持ちが良かった。
最後まで気配りができるここの運営スタッフに脱帽した。



ということで「残念会」を居酒屋さんで開いた。



総勢 12人。



座って今日の試合の反省をしていたら隣の部屋にいたレプユニを着た山雅サポさんが突然話しかけてきて
「ごめんなさい、こんなユニを着ていたらせっかくのお酒がまずいでしょう」とあやまってきた。
もうビックリするやら逆に申し訳ないやらで「とんでもない、勝利おめでとうございます」と言うのがやっと。
どこまで良い人が多いんだろう、と思っていると、しばらくして
「もう、帰りますがトリニータ・コール」をさせて下さいと言ってきた。
その山雅サポさんの音頭で「トリニータ・コール」をさせてもらった。
そのときの山雅サポさん本当にありがとうございました。


で、それを横で聞いていた山雅サポさん(アルウィンに行っていた人達)と仲良くなって、私達が帰るときにはその人達が「トリニータ・コール」で見送ってくれた。



お店の外に出てみんなで写真を撮ろうとしたが撮る人がいない。
そしたらお店のカウンターにいた人が外に出て写真を撮ってくれた。



もう、本当に書くことが多すぎて書ききれない。
仲間の話を集めただけでも一冊の本ができるのではないかと思ってしまう。

アルウィンから帰るとき。
「来てくれてありがとうございました」ってお礼を言われた。
それも何人もの一般のサポさんに。
「松本山雅のサポーター及びスタッフ関係者のみなさん」
こちらこそ本当にありがとうございました




信州の旅(松本山雅遠征)・・その4・・立山黒部アルペンルートにつづく









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信州の旅(松本山雅遠征)・・その2・・安曇野

2014-10-17 18:35:09 | 大分トリニータ
信州松本の2日目。
天気は晴れ。
10月10日  今日は息子夫婦の5回目の結婚記念日だ。
台風が直撃で結婚式ができるかどうか、というところまで追い詰められたけど、台風が一日早く抜けたおかげで絶好の天気になったっけ。
けんかをしながらもいつも仲が良くて・・・。
元気にずっとけんかができるのって実は幸せなことなんだと思う。
本当におめでとう!!

さて安曇野に向けて出発。
その前にお礼を一言。
今回 松本山雅戦+観光をします と言ったらいろんなパンフレットを送ってくれたGさん。
まったく知らない土地だけに計画を立てるときに大変役立ちました。
お気遣いいただき本当にありがとうございました。


今回のツアーはホテルまで迎えに来てくれるとのこと。
来たのがこの車。
ああ、大きなバスは駅前かな? と思っていると仲間のBさんご夫婦のホテルに行き、4人揃ったところで、さぁ出発ですよ、と言う。
ビックリしたが、これって貸切だよね。
今日一日、気兼ねすることなく観光を楽しむことができる。
これはラッキー。



雄大な北アルプスをバックに明日の勝利を祈って「勝ち点 3」




トリニータ・ブルーの青空を見ながら「安曇野ちひろ美術館」に向かう。



「安曇野ちひろ公園」
安曇野ちひろ美術館のみどころのひとつが、美術館の周囲に広がる36500m2の安曇野ちひろ公園(松川村営)


蓮華岳をはじめとする北アルプスの山々を望みながら、ちひろが愛した安曇野の光や風、豊かな自然を感じることができる。



芝生に寝転んで空を見上げたり、四季折々の花を楽しんだり、
公園の脇を流れる清流・乳川(ちがわ)の川辺を散歩したりと、思い思いのひとときを過ごすことができる。


チェコの絵本画家、クヴィエタ・パツォウスカーがデザインした、2つの池と8つの石のオブジェがある。




「安曇野ちひろ美術館」
1997年、「ちひろ美術館・東京」の開館20周年を記念して開館した。
信州は、ちひろの両親の出身地。
ここはちひろにとって、幼い頃から親しんだ、心のふるさとだ。


嫁が信州に行ったら絶対に行きたいと恋い焦がれていた場所が「安曇野ちひろ美術館」だった。
結婚したときから玄関には「ちひろの絵」があった。
その絵は嫁が幼稚園の先生をしていたころ、退職祝いにとお母さん達からいただいた特別な想いのこもった「ちひろの絵」だった。
ほのぼのとした少女の絵だった。
仕事に行くとき、仕事から帰ったとき、その絵を見て癒された。
私達夫婦にとって「ちひろの絵」は特別の意味を持つ絵だった。



「入場券」
スケッチブックを持つ青い帽子の少女 1971年


入ってすぐ「淡い光」が迎えてくれた。


「お子さまランチ」


「花の国の子どもたち」


この美術館は平屋で全館バリアフリーになっている。
もちろん車椅子、ベビーカーの利用も可能だ。


絵本の部屋、多目的ギャラリー(常時扉開放)以外は、すべて自動ドアになっている。
ちひろ館、世界の絵本館それぞれに、身障者用トイレがあり世界の絵本館に、授乳室を設けている。


ちひろの作品や人生に出会う場所であるとともに、世界の絵本画家の作品にも出会える美術館になっている。
子どもから大人まで、日常を忘れ、一日ゆっくり過ごすことができる。


今日、私達夫婦がどうしても会いたかった絵がこれ!
「バラ飾りの帽子の少女」
来れて良かった。



記念にマグカップを買った。
家に帰って美味しいコーヒーを入れて飲もうかと思った。
結局もったいなくて・・・飲めなかった。



北アルプスを望む、のどかな田園風景が広がる信州・安曇野。
澄み渡った大空と木々を揺らす、さわやかな風・・・・・・。
湧き出でる清らかな水とおいしい空気。
仲間と過ごす静かな時間。
最高のぜいたくだ。





「琴川 クリアボート」
ここは何だろう?
何でも挑戦したい私達、当然乗っちゃいましたよ。


約15分間 900円也。
まず川上に向かって「エッチラ、オッチラ」みんなでバドルを漕いで上がる。
その後、流れに乗ってゆっくり降りてくる。
その後、またまた元の場所まで漕いで上がる。
というハード?な乗り物(慣れるとそうでもない)


まずは4人の息が合わないといけないので気合を入れる。
「ガンバルー Z!」 ←某5人組のマネではない(笑)




「乗船」   
なぜか不安な様子の嫁。
「おお? どうした、どうした?」



全員力を合わせて川上まで何とか頑張って上り、下りになったところでほっと一息。
アツアツのBさんご夫婦の後ろでシンケンにボートを操るスタッフさんの顔がりりしい(笑)
このスタッフさん。
「長野には3つ自慢できるものがあります」
「りんごとそばともう一つは「松本山雅」です」と。
その松本山雅と明日アルウィンで戦う「大分トリニータ」のサポーターです。と言ったら
「おお! サインしてください」・・・ではなく「おお!」で拍手してくれた(笑)
いま思うとあの拍手はなんだったんだろうなぁ。


などといつものように和気あいあいとしていると突然「危ない!!」の声。

危機一髪、セーフ。



「故・黒澤明監督の映画「夢」のロケ地になった水車小屋」   
3基の水車がゆっくりと回っている。
この水辺は、1989年黒澤映画「夢」の舞台として選ばれ、当時のままの風景を残している。
三連水車は黒沢監督が見せ方へのこだわりで、遠近法に合わせて「大」「中」「小」と作られている。




「大王わさび農場」
安曇野の豊かな自然が原点、大王わさび農場
東京ドームを11個分に相当する、広大なわさび田。




年間を通し、平均13度という北アルプスの湧水が、毎日12万トンも畑全体から湧き出してくる。
広大な駐車場や入園は一切無料。
安曇野を体感できる45,000坪の自然の王国。


「水路の人工美」
幾何学模様をなす水路の組み合わせによる美しさに感動。




日本最大規模のわさび園の前でいつもの「勝ち点 3」



「そば処」のごほーでん



そば粉・野菜は全て自家農園で栽培。
そば打ち時に使用する水はもちろん安曇野の名水。
味・風味・香りが最高の安曇野そばが味わえる。


「東光寺」
吉祥山東光寺は、信州七福神の一つで、門前には「吉祥仁王様の下駄」と呼ばれる大きな下駄がある。
大下駄を履くと、願い事がかなうといわれている。




「穂高神社」
安曇野市穂高の本宮(里宮)のほか、松本市安曇の上高地に奥宮、奥穂高岳山頂に嶺宮があることから、「日本アルプスの総鎮守」と呼ばれている。




「パワースポット 孝養杉」
穂高神社「孝養杉」の前で明日の「大分トリニータ」の勝利をお願いした。



「結びの石神」の矢印に導かれて進むと・・・


穂高神社南神苑に並べられた三基の千度石。
境内にあったものを結びの石神として再配置したもの。



と、いうことで今日の観光ツアーは終わりだったのだが、運転手さんの計らいでここにも連れてきてくれた。

「 早春賦(そうしゅんふ)歌碑」 
安曇野の遅い春を待ちわびる心を歌った「早春賦」
この歌の作詞は我が臼杵市出身の「吉丸一昌」



それを記念して昭和59年4月に歌碑が穂高川堤防沿いに建立された。
歌碑の横にはソーラー電池式のオルゴールが設置されていて、いつでも早春賦のメロディが聞けるようになっている。


「安曇野の秋の空」




予定のツアーは終わったがここでホテルに帰る私達ではない(笑)
どこがいいのか相談の末。
「そうだ! 長野の善光寺に行こう!」
一番近い駅で降ろしてもらった。
「明科(あかしな)駅」



ここから「長野」に向けて各駅停車の旅(オオ~、テンションが上がるZ)




姨捨駅(おばすてえき)にてスイッチバック。
初体験に「わくわく」



「初 スイッチバック」
おお!止まったぞ。
なにぃ?バックしたぞ?
で、こんどは発車だと?
って知らなかったら言いそうだなぁ(笑)
松本在住のPちゃん。
教えてくれてありがとう。




「びんずる号」
長野駅から善光寺へは,レトロ調バス「びんずる号」




「びんずる号」は、ワンステップバスをレトロ調に改造した色違いの3両と、車内を木で作った茶色の本格的レトロ調バスの4両で運行されている。
茶色のバスには、茶臼山動物園で人気のレッサーパンダ「茶太郎」が描かれている。
どの色のバスにあたるかは、その時のおたのしみ。


「善光寺」
善光寺(ぜんこうじ)は、長野県長野市元善町にある無宗派の単立寺院。
山号は「定額山」(じょうがくさん)。



「仁王門」
ここでも明日の勝利をお願いして「勝ち点 3」



「仁王像(金剛力士像)」
彫刻家の高村光雲とお弟子さんの米原雲海の合作だそうで、迫力があった。




「初 おやき」



やっぱりここは「野沢菜 おやき」を注文。
熱くて美味しい。




「牛に引かれて善光寺まいり 」
意味  自分の意志からではなく他の人の誘いによって良い方向へ導かれること。
解説
このことわざは、次のような言い伝えがある。
昔、長野の善光寺の近くに信心のない老婆が住んでいました。
ある日、となりの家の牛が、老婆の干しておいた布を角にひっかけて走り出したので、牛を追いかけて行くと善光寺の中へ 入ってしまいました。
老婆はここが霊場であることを知り、それ以降、善光寺へお参りするようになり信心深くなったということです。





「善光寺 本堂」




今日(10月10日)は「G裏町内会」メンバーのご夫婦と一緒に、朝から一日中、目一杯遊んだ。
安曇野から長野 善光寺と。

明日は待ちに待った「松本山雅戦」
最高の応援と最高の試合をこの目で見たいと思う。


その3 (松本山雅戦)につづく






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信州の旅(松本山雅遠征)・・その1・・松本に到着

2014-10-16 16:57:11 | 大分トリニータ
昨日(10月15日)大分に帰って来た。
10月9日に出発したので6泊7日の遠征となる。
アウェーに行く度にその土地の方々と色々な話をするのだが、今回のように相手からフレンドリーに接してくれたのはここ松本が初めてだった。
どなたと話をしても「ようこそ松本へ」とやさしく接してくれた。
「困った事はないですか」と声をかけられた。
たくさんの方達と本当に良い出会いがあった。
そんな出会った方々、ふれあった方々を中心に今回は書きたいと思う。

○ 信州松本に到着  (10月9日)
○ 安曇野へ     (10月10日)
○ 試合(松本山雅戦)(10月11日)
○ 立山・黒部アルペンルート(10月12日)
○ 上高地      (10月13日)
○ 千葉(銚子)に移動(10月14日)
○ 銚子電鉄・犬吠埼へ(10月15日)

以上が今回の旅(遠征)の日程になる。

その前に一言お礼を。
昨晩(10月15日)やれやれと我が家に帰り荷物を開けるとカメラがない。
観光はもちろん、試合、仲間との打ち上げ、タオマフをあげて撮った大事な写真が何も無い。(安曇野観光までは別のカードに保存していた)
2人で記憶をたどり、電話をするも「ありません」の返事。
眠れぬ夜を過ごし今朝9時半。
最後の最後、「羽田空港忘れものセンター」にかけるとこれがドンピシャ。
ありました。
親切な方が届けてくれていた。
カメラは買いなおせば良い。
でも仲間と一緒に撮った写真はお金では買えない。
本当に良かった。
拾って届けてくれた方、本当にありがとうございます。
顔も名前もわかりませんし、このブログの存在さえも知らないと思いますが、本当にありがとうございました。



「出発」
10月9日 佐臼ライナーで大分空港へ
台風18号が過ぎたと思ったら19号が後ろに迫ってきた。





心配した乗り継ぎもうまくいき「新宿西口」から「松本」行きの高速バスに乗る。





バスの窓から見える風景が段々変わってくる。
九州に住む私からすると「北アルプス」なんて聞くだけでテンションが上がってくる(笑)




「松本駅バスセンター」
午後3時「松本駅バスセンター」に到着。
大分を出て9時間半。
やっぱり信州松本は遠い。疲れた(笑)




しかし疲れていても時間いっぱい観光するのが私達夫婦の良いところ(笑)
歩いて「国宝 松本城」へ。
その途中、途中で目に付くのが「松本山雅」さんのポスターに登り旗。
店のショーウインドーにはマスコットにタオマフ。
完全なアウェーにも関わらず気持ちは「わくわく」



「大名町のはんこや」
なにせ「信州」とか「そば」とか「松本」とかいう文字が目に入るだけで「憧れの地」にやってきたという思いが強い。
一度通り過ぎたのだが「無料 貸し自転車」の文字につられて引き返したのがここ「大名町のはんこや」さん。
「自転車借りていいですか?」のお願いに「良いですよ」と快く返事をしてくれた。
そしてこの方こそが今回の旅(遠征)で知り合った最初の方なのだ。
詳しくは後で(笑)




その自転車でさっそうと松本市内を風のように走る「おばちゃ・・ではなく 嫁」
行き先は「国宝 松本城」




「千歳橋」   
その途中にある「千歳橋」・・・「ちとせばし」じゃなくて「せんさいはし」と読む。
元は大手橋と言う、木製の橋であった。
木製ゆえ度々流されたが、1876年(明治9年)になって取壊した大手門門台の石を利用した石橋に替えられた。
石製なので、流される事なく千年も万年もと願って「千歳橋」となった。



「花いっぱい運動発祥の地」
「花いっぱい運動」は,戦後の荒廃の中で「社会を美しく・明るく・住みよく」し, 花を通じて人々の気持ちを豊かにする という願いを込めて,1952(昭和27)年に 当時松本市の小学校教員だった小松一三夢氏が提唱して始まった。




現在 松本市内を歩くと,街中のいたるところに小さな花壇があり 店先には花が飾られて, さりげなく美しい街並みを作っている。




「がま侍」
2005年、東京芸大の学園祭で学生が作製したもの。
カエルの街「縄手」で当時の芸大生の心意気を受け継ぎ「縄手」もがんばっていこうと設置したもの。




「国宝 松本城」
文禄(1593~1594)年間に建てられた五重六階の天守としては日本最古。
幾たびかの存続の危機を、市民の情熱により乗り越え、四百余年の風雪に耐え、戦国時代そのままの天守が保存されている。
10月11、12、13日の3日間「信州・松本そば祭り」が開催されたが・・・日にちが合わず断念した。




明治の大改修後の昭和11年、国宝に指定された(昭和27年再指定)
別名「深志城」とも呼ばれている。
姫路城、彦根城、犬山城とともに四つの国宝城郭のひとつ。
夕陽に浮かび上がる姿が美しい。




周辺は松本城公園として整備されており、北アルプスを抱いた威風堂々とした姿と、季節ごとに見せるさまざまな表情が美しい。




「連結複合式天守」
天守のうち、大天守・渡櫓・乾小天守のまとまりを「連結式天守」と呼び、戦いの多い時代に造られたため、石落しや狭間が多く、窓は少なく、守りやすくなっている。
大天守・辰巳附櫓・月見櫓のまとまりは「複合式天守」と呼び、平和な時代になってできたため、戦うための備えが無い。
二つの形式を合わせ「連結複合式」と呼ばれている。




 ・観覧時間
  午前8時30分から午後5時まで
  ただし、入場できるのは午後4時30分まで
 ・定休日 12月29日から1月3日
 【観覧料】
  ・個人の場合
  大人 610円、小中学生 300円




「階段が急になってるから」
「足を踏み外さんように」
「ゆっくりでいいよ」
と一人一人に言い聞かせるように話す「粋なおじさん」
少しだけ話をさせていただいた。
忙しかったのにありがとうございました。




確かにお年寄りが多かったし、長さも高さもまちまちの階段は登りづらかった。



「第一回松本検定マスタークラス合格」
松本城を後にして先ほど借りた自転車を返して話をしていると突然「トリサポさん?」と聞かれた。
そこから話が弾んだ(笑)
名刺をいただいた。
「第一回松本検定マスタークラス合格  松本の達人」と書かれていた。
そして「大名町商興会 会長」さんだった。




トリニータの事にも随分詳しい。
それもそのはず「Aおばちゃん」を知っていた。
まだお会いした事はないけども・・とは言っていたが・・・(笑)
さっそく嫁がおばちゃんに連絡。
またまた、話が盛り上がる。
商売の邪魔をしてはいけないので再会を約束して分かれた。




「まるちゃん」
「はんこや」さんにお聞きした「まるちゃん」に来た。
もしも「山雅サポ」さんがいれば一緒に酒を飲んで試合前に盛り上がろうかと考えていたが
時間が早かったせいかまだどなたもいなかった。 
あ~あ残念。




この店は、「松本山雅」と「AC長野パルセイロ」との対決、”信州ダービー”を描いた映画「クラシコ」に登場する。
山雅サポさんの中ではよく知られた店。
最初はトリサポが来ていいのかなと思ったが、「山雅サポ」は常に「ウエルカム」ですからと聞き勇気を振り絞ってやってきたのに(笑)
店主の「まるちゃん」は本当に気さくな良い方だった。




お店の中は当然の「山雅カラー」




お店の外にある「山雅伝言版」には
「行こうぜ J1」
「ここまで連れてきてくれた、反町山雅をなにがあっても信じて行こう」と書かれてあった。
同じ地元チームを愛するサポとして、胸が熱くなる。




「8オンス」
次に紹介してくれたのがこのお店「8オンス」
探していたら「どこを探しているの?」と声をかけられた。




その方と一緒に店に入って頼んだのが「塩尻のワイン」
立ち飲みは初めて。
声をかけてきたお客さんは山雅サポさんではなかったがそれでも山雅サッカーを熱く語ってくれた。
松本市民とクラブの良い関係が本当に羨ましいし見習いたいと思った。




「居酒屋 一歩」
今日最後のお店(笑)
【松本山賊焼】の生みの親はココ
 松本市には数十年来市民に愛され続けている「松本山賊焼」という地元グルメがあり、応援団が設けられるほど親しまれている。




「松本山賊焼」は鶏のむね肉、またはもも肉に片栗粉をまぶして1枚まるごと豪快に油で揚げたもの。
ショウガを入れたたれに肉をよく漬け込むのが味付けのポイントだという。
同店の「松本山賊焼」はもも肉を使用し、たれに地元産の信州味噌を加えることで、コクをプラスしているのが特長だ。
本当に美味い。
ああ、書いていて又 食べたくなった。
地酒が豊富で、特に大信州の品揃えは県内一!
私達が飲んだのはこの店の一番人気「極寒辛口」
口当たりが良くほのかな香りが心地よい。
くせがなく何杯でも飲める。



気さくでやさしい店長さん。
又、又 松本山雅さんの話で盛り上がった(笑)



「煮イカ」  
ご存知「県民ショー」に出たようだ。
いやぁ、初めて食べたが美味かった。



信州の珍味(イナゴ、はちの子、ざざむし)
この3品を食わずに信州を出るな・・・と言われた(笑)
「はちの子」を頼んだ(頼むなよ)
目をそむけた。
無理。
パスいち。
絶対に嫁の好きな食べ物だ。
彼女は無類の珍味好き。
くそゥ、嫁より先に食ってやる。
食った。 あれ? あれ?
美味いぞ。
そんなはずはない。
2匹目。 やっぱり美味い。
あれれれ、「ざざむし」もいけるかも。


「ざざむし」      
なんじゃ、こりゃ!!
なんじゃ、こりゃ!
もう、絶対に無理、無理、無理、無理。
ここで嫁が一言。
「へん、たかが虫」
「わたしゃあ、ごきぶりでも、イモリでも、クモでも平気なんじゃけん」
「なーーんともない」
「男やろーもん」
オレはおかまで良い・・・・とは言えんかった。
あ~そこまで言うなら食おうじゃないか。
1匹 口に入れた。
あれれ? けっこう美味いかも。
でも2匹目を食べようとして姿をじっと見てしまった。
ざざむし君と目が合った・・・気がした。
嫁がそんなに好きな好物をオレばかりが食べるわけにはいかない。
全部食べたいがここはその権利を嫁に譲ってやる事にした(やさしい)
嫁 ぜーんぶ食べていいよ。



こうして信州・松本の初日が終わった。
明日(10月10日)は嫁が恋焦がれていた「安曇野」へ。

その2につづく








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松本山雅戦 「勝ってきます」

2014-10-08 17:14:03 | 大分トリニータ
今年、1月20日。
思えば今年の大分トリニータは寒風が吹き抜ける、ここスポパから始まった。



その4日後、1月24日。
別府市ニータン神社。




大分トリニータ必勝祈願がここで行われた。
監督を始め選手、スタッフ、ニータンも。




このとき、ニータンの左手に握られていた「おみくじ」がこれ!




    
願い事  思うままです
旅行   早くしてよし
争事   勝つ

と書かれていた。




35試合が終わった時点でPO圏内の6位。
しかしここからは「松本山雅」「千葉」「岡山」と続く強豪ぞろい。
絶対に負けられない戦いが続く。
まず「磐田」は倒した。
次は「松本山雅」だ。
いままで3試合戦って 1勝1分け1敗 のまったくの5分
ここで白黒つけたい。
前回のホーム(第12節 5月6日)の戦いでは0-2 と完敗している。
借りっぱなしは性に合わないのでぜひお返しをしたいと思っている。
松本山雅さん お借りしている2ゴールとその利子 返しに行きます。
明日 アルウィンに向かって出発します。
今年のニータンのおみくじに書かれていたように
早く出発し、思いのままに勝つ!!

「SEE OFF」「大分よりの使者」はスーツケースに積みこみました。
準備万端です。
勝ってきます!!

























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