大分トリニータ 第30節 10月27日 対横浜 0-1 負け

2013-10-28 17:19:45 | 大分トリニータ

指原からの流れで「AKB48の新曲」でぐぐると
「ハートエレキ」がでてくる(10月30日リリース)
この曲が妙に懐かしい。
それもそのはず1960年~70年代のグループサウンド調の曲だ。

そういえば振りもあんな感じだった。
あの人差し指を指す動作で思い出すのは
ジュリー(沢田研二)がボーカルで歌ったザ・タイガースの「君だけに愛を」
もしくはザ・カーナビーツのアイ高野が歌った「好きさ好きさ好きさ」
知らないだろうなぁ(笑)

懐かしついでに書くと、
初めて買ったレコード( CDではない)がビートルズの
『レット・イット・ビー』("Let It Be")だった。
そこからエレキギターを買い、
仲間とバンドもどきを作ったのはいいけど練習する場所がなく、
友達の家を練習場所にしてはうるさいと追い出され、
そのうちにあいつらは不良だから付き合うなと言われた。
長髪とエレキギターは即、不良というレッテルを貼られたそんな時代だった。
苦くて、懐かしい。

それにしても音楽の力は凄いよなぁ。
忘れていたさまざまなその頃の思い出を瞬時に思い出させてくれる。
あの頃使っていた エレキギターっていったいどこに行ったんだろう?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




マリノス効果か、俊輔効果なのかわからないが普段の時間に家を出たはずなのに、
駐車場が早い時間から埋まっていた。
マリノスサポさんの姿が目立つ。
でっかいマリノス君を抱いていたので写真を撮らせていただいた。
ありがとうございました。





今日のニータンはいつにもまして「ハロウィン」のコスプレが似合っている。






細かいところにも気配りしていて胸のかぼちゃを開くと「ローソンデー」の文字と絵が出てくる。





背中だからって決して手は抜かない。
「遊び心」と「ニータンへの愛」があってこそのコスプレだと思う。
センス溢れるニータンの服をいつもありがとうございます。






さてさて、今か今かと待っていたマリノスさんとの弾幕合戦。
「また来たけどまた来れない(T。T)」 
   






これに対して即、返したうちの弾幕

「最愛の幕友よ、また会おう」






マリノスさんからの弾幕に拍手が起こった。

「再来年」






これに対してまだ天皇杯があるよ・・という意味の

「長野には勝つよね?www」

いやぁ、うちの返しも最高ならマリノスさんも最高!!






「中村俊輔」が実は大銀ドーム初めてというのを知って驚いた。
そういえば2010年はうちはJ2だったんだよなぁ。
「マルキ」より「学」の切り込みが恐かった。





「全試合正念場」・・この弾幕のインパクトは凄かった。




マリノスサポさん約800人ということで「遠い横浜」から大分へようこそ(笑)
「すごい指原」はいませんが・・・(笑)





さて俺たちの「ケイスケ」と「タンノ」




今日は「デカ」と「タカマツ」がいないという不安があるが・・ゴールしてくれ!!





ホームで何とか1勝してもらいたいという想いとJ1の試合を純粋にサッカーとして
楽しみたいというそこの線引きが自分の中で微妙に難しい。




練習の時からFK(フリーキック)が決まっていた俊輔。




俊輔の左足はやはり恐かった。
しかし目の前で見れて良かったのか、悪かったのか。
悔しさと感動とごった煮の心境だった。




ターフキッズ
一生懸命に小さな足で地面を馴らしている。
もしかしたら君が未来のトリニータを背負っているのかもしれない。
ガンバレ!!




ビッグフラッグの中にいて見上げるとトリニータの文字。
いやぁ何ともいえませんなぁ。




前線の高さ不足をどうやってカバーするのか不安は尽きなかった。





約13000人の人が見に来てくれた。
本当にありがたい。
来年の事を書くと鬼が笑うかもしれないが
何とか平均1万人をキープしてもらいたいもんだ。



前半45分、俊輔のFKからのゴール。
蹴った瞬間には入っていた、そんな見事なFKだった。
「おみごと」としか言いようがなかった。






11月10日の新潟戦。
この試合、これは絶対に勝ちにいってもらいたい。
色々な都合でホームしか行けないっていう人がたくさんいるはずだ。
そのサポーターのためにも死ぬ気で勝ちにこだわってもらいたい。
選手のみんな。
ホームで勝ってくれ!!
ホームで「大分よりの使者」を歌いたい!!






・・・・・・・・・・・・・・・・・




今日3枚が続いていることを知った。
よく見たら「サカタ」の左腕と「タメ」の右腕がつながった(笑)
これを見つけた人すごいね。












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寅さん・両さん 鹿島遠征(その3)

2013-10-24 16:32:50 | 
寅さんのいる町、葛飾柴又に行ってきた。

高砂、柴又、金町のたったの3駅しかない京成金町線。





駅を出ると「寅さん」が出迎えてくれた。
銅像の下には、旅立つ寅さんの心境を山田洋次監督が語っている。
寅さんこと、車 寅次郎という男について。
そして、寅さんの故郷、妹への思いについて。





「本場アメリカのピンボール」って・・・・。
どんだけ懐かしいフレーズなんだ。
「ハイカラ」って何?  って言うんだろうなぁ、今の若い子は(笑)





柴又の参道

駅から歩いて行くと途中に参道が帝釈天まで延びている。






「男はつらいよ」の第1作から第4作まで撮影に使用した「とらや」





「土・日・祝日限定」の焼草だんごをいただく。
なぜなら・・おじさんと目が合ってしまったから・・・(笑)






磯の香りがして本当に美味しかった。
それにしてもおじさんの「目力に負けてしまった」・・と反省。





寅さんも産湯をつかった、帝釈天。

柴又帝釈天と言う呼び方が一般的だが、正式には「経栄山題経寺」と言う。
この門は帝釈天入口の「二天門」






境内には大客殿、釈迦堂、本堂、帝釈堂、鳳翔会館、喜見城、邃渓園等がある。

帝釈堂

このお堂の前にある立派な松は「瑞竜の松」と言う。
その姿形が、竜に似ているのでこの名前になったのではないだろうか。






山本亭

今回、寅さんの故郷をたどっていたら寅さん記念館に向かう途中にあった。
「 寅さん記念館への近道はコチラ」なんて案内があったので。







いやぁ、知らなかった。

寅さん記念館の名誉館長は、何を隠そう ”山田洋次監督” だったなんて。








寅さん記念館の入り口を入ると、”男はつらいよ” を作ったスタッフの紹介。

このイスに座って監督が指導してたんだって思うとついつい座りたくなったんだが
「座るな」って張り紙がしっかりあった(笑)








「くるまや」 撮影スタジオ

 第1作より最終48作まで撮影に使用したセット。
セットは「くるまや」の歴史と存在感を遺憾無く発揮して、その役割を終えました。
大船撮影所の閉鎖とともに、この記念館に永久保存されることになりました。
                      【寅さん記念館解説より】








この昭和の町ってかんじが懐かしい。
昔々の話
家の前の道路は舗装がされていなく、雨が降ったらでこぼこの道に水たまりができる。
車は1時間に数台しか通らず、穴ぼこを避けるため、右に左に蛇行しながら
自転車なみの速度で走っていた。

テレビもゲーム器も何も無い時代。
だからこそ私達は家の外で小学校1年生から6年生まで20人以上もの近所の子供達と
日が暮れるまで遊ぶ事ができた。
あの時代にもう一度帰りたいと思わないが、あのころの友人達に会いたいと思う。







寅さんのカバンの中身。
ドラエモンみたいになんでもあるんだね。
蚊取り線香が懐かしい(笑)






一つ一つ見ていたら時間なんてあっというまに過ぎていった。






江戸川の土手

野球をする人、絵を書く人、ランニングをする人、カップルで話をしている人。
何もしないで芝生で寝そべっている人(これが一番したい)
ストレスを忘れられるひと時です。







矢切の渡し
 
松戸から柴又へ、柴又から松戸へ。





この川幅は「150m」
この150mを約10分かけてのちょっとした船旅となる。
船に乗れるのは31人。
当然、子供さんやお年寄りがいるので乗り降りは助け合わなければ
ならない。 
知らない人とも肩を寄せ合って、みんな仲良く川を渡る。





船頭さんは川の説明をするわけでも
歌を歌うわけでもない。
疑問に感じたところ、あくまでも人を渡すのが目的なので・・・。
それはそうだ。
余計なものは何もない。
静かに、本当に静かにゆっくりと時間が過ぎていく。






次の目的地「上野」に向かう途中、ふと見た「亀有」の文字。
あわてて降りる。
JR亀有駅で降りたところ「両さんと麗子」がいた。
両さんもでかいが麗子はもっとでかい(笑)


知らない人のために・・・。

漫画本「こちら葛飾区亀有公園前派出所 」通称「こち亀」の主人公の「両さん・中川・麗子」達が
痛快に暴れるという内容。






駅の前には「両津 勘吉」像。
平成18年2月11日に建立したものだ。





続いて「麗子」像。
小さい。
あまりにも小さいので一度通り過ぎてしまった(笑)








でも、両さんの像はなぜかでかい。








こちらの両さんも私よりでかい。
でも足の長さは短い(笑)








そして「中川」像も麗子像とほぼ同じ大きさ。








やっと来ました。
上野「アメ横」








あまりの人の多さにぶつかりながら目指すはココ。
あまちゃんロケ地「アメ横女学園」



まだまだ続く

鹿島遠征(その4)へ













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世界一「牛久大仏」・・鹿島遠征(その2)

2013-10-23 19:56:10 | 
先月、世界一の大きさを誇る「牛久大仏」に行ってきた。

比較してみるとわかるのだが。
鎌倉の大仏が13.35メートル
奈良の大仏が18メートル
自由の女神が40メートル
牛久大仏が120メートル
まさに世界一である。

場所は茨城県牛久市にある。
ただしこの大仏様に行くためのアクセスが大変だ。
JR常磐線牛久駅からバスが出ているのだが
1時間に一本しかない。
駅に着いたときにはバスはすでに出たあとだった。
「歩こうか?」と嫁が言う。
バスで30分かかるところを歩く?
いくらなんでもそんな根性と体力は持ち合わせてはいない(笑)
レンタカーを借りた。
運転は嫌いなのだが仕方がない。


平日とあって人は少ない。
大きな駐車場はガラガラだ。
拝観料 大人800円を支払い中に入る。






でっかい。
青空の中に立つ大仏は周りに高い建物がまったくないせいか
圧倒されるでかさだ。






ふりかえると「釈迦弥陀二尊」が拝める。







左手を見ると池が見え、自然の風が心地良い。






段々近づくにつれて迫力が増してくる。






日本一の「大香炉」がある。
とにかく何でも大きい(笑)






こういうのが大好き。
なのでもちろん「南無阿弥陀仏」と大声で言って6歩で渡った。







この迫力は実際に近くで見上げてないとわかりにくいと思うが
倒れて来たら終わりだな・・と諦める大きさだ。







台座の後に入り口がある。
スイッチを押し、待つこと5分。
ドアが開き中に入る。
真っ暗だ。







「観想の間」・・1階

不思議な安堵感に満ちていた。







「霊鷲山の間」(りょうじゅせん)・・4・5階

地上85メートルの5階までエレベーターで上がる。
大仏様の右足・親指先端の実物大の模型がある。
とにかく大きい(笑)








「蓮華蔵世界」(れんげぞう)・・3階

「蓮華蔵世界」とは極楽浄土のこと。
約3400体の胎内仏に囲まれた金色の部屋。







「知恩報徳の世界」(ちおんほうとく)・・2階

写経を行う空間。
写経席は77席ある。








外に出ると緑がまぶしい。
4月中旬頃から5月下旬にはポピーやかすみ草、花菱草が咲き乱れる。
また4月上旬から中旬には桜と芝桜がきれいということだ。
秋にはコスモスが満開になる。






この大きさは、その目で確かめないと実感できないかもしれない(笑)







大仏様をあとにして土浦市にあるヨットハーバーにやってきた。
「ホワイトアイリス号」に乗って遊覧するつもりだったのだが
なにせこの遊覧船は「不定期」ということなので今日は無理ですと言われた。






そこで急遽お願いして別の船で私達2人だけのクルーズとなった。
「貸切」ということだ。
この船長さん、顔は恐かったのだが非常にやさしく、丁寧に
説明してくれた。(UPはできないが・・)






遠くには先ほど行った「牛久大仏」も見える。






これが霞ヶ浦で有名な「帆引き船」だ。
実際に使っているわけではなく観光用として使われている。
しかし、湖面を渡る風を受け真っ白な帆をいっぱいに張って進む「帆引き船」は息をのむほど美しく、
また、勇壮な姿は霞ヶ浦で代表する風物詩だ。




こういうかんじになるのだろう。
(画像は観光いばらきさんより)





つづく

鹿島遠征(その3)は「寅さん」と「両さん」です。











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山口県 角島

2013-10-20 13:16:11 | 

「デカ」女の子誕生おめでとう!!

昨日の「サカタ」のゴールからの「ゆりかごダンス」
それもサブを含めた全員ってどれだけみんなから愛されてるわけ(笑)

チームは2勝目、公式戦は2連勝そして無失点とくれば
これはもう飲まないわけにはいかんやろう。
明日は年に1回の健康診断やけどね(笑)

「デカ」良かったね。
本当に良かったね!!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


嫁が何年も前から行きたいと言っていた「角島」に行ってきた。


 本州と角島を隔てている海士ケ瀬戸に架かる橋
「角島大橋」




透明感のある海、綺麗すぎ。
想像以上に素晴らしい。
沖縄の古宇利島を彷彿させる橋と海のコントラストだ。





周囲の景観に配慮して橋脚の高さを押さえた構造の橋が美しい。




エメラルドグリーンの海、白い砂、そしてどこまでも続きそうな橋の組み合わせ。





産業道路ではないためにみんなゆっくり走っている。
景色を楽しむことができる。
もちろん無料というのもうれしい。

2000年の秋に開通したとのこと。







角島大橋を渡ると左手に小さな公園がある。






角島側から見た景色。
橋の右手の島が「鳩島」
その右手に「双子島」がある。







この公園から左方向にある「角島灯台」を目指す。
車で5~6分くらいだろうか。
とにかく近い。






「旅」は何といってもその土地のグルメ。
「大浜海水浴場」の近くにある「磯味亭」さんへ Go!!








迷うことなく「ふく唐揚げ定食」を頼む。







「ふく」と「サザエ」さんの最強コンビは700円也(美味かった)





「角島灯台」に到着。
高さ 地上から灯台頂部 約30メートル
   水面から灯火   約45メートル
光の強さ 67.0万カンデラ






入場料金 200円を払い中に入る。
階段の数 105段
たいしたことねぇな、なんて思っていたのだが
かなりきつい(笑)
もうすぐ着くだろうってところに「半分です」の張り紙。
なんかねぇ、ありがたいのかありがたくないのか(笑)
で、やっと上に着き外に出るとすごい風。
腰が引けてる嫁。
私? 高所恐怖症ですから(笑)







この灯台の前にある公園が「夢崎 波の公園」
白いベンチが灯台の白とマッチしている。







「あきちゃん」のような美人海女さんを期待したのだが・・・・
え~まぁ・・・そういうこと・・なので・・・(笑)

サッカー仲間であるSさんの「良かったよ」という情報を元に
この灯台とはまったく逆の位置にある「風の公園」を目指すことした。







走ること5分。
「牧崎 風の公園」に到着。
途中少し道が狭いが着くとかなり広い駐車スペースがある。






「ダルマギク」の看板があるところをみると
その季節には花が咲くんだろう。
先端まで歩いていくが気持ちが良い。
「風の公園」という名前にふさわしく
風が心地よい。






つい先ほどまでいた灯台が見える。
夕暮れが近づいてきた。







あまりにも人の手によって整備された灯台のある「波の公園」より
自然がそのまま残してあるこの「風の公園」の方が私は数倍素晴らしいと思う。







先端から後ろを振り返ったときの自然さがたまらない。
Sさん、教えてくれてありがとうございます。
この風景を見ないで帰ったら後悔するところでした。






この景色に出会えて良かった!!











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青葉 日記 (その3)

2013-10-15 19:11:41 | 青葉 日記


悪友(O・Y)へ

お前がいつものように怒っているということはお前の嫁さんから
来たメールでよ~くわかった。

だから1ヶ月ごとのブログの更新は難しいんだって言ったやん。

多分お前は俺のことを暇を持て余した何もしない奴って思って
いるのだろうが、とんでもないね。
今、青葉が帰ってきているので、てんてこ舞いなんだよ。
朝、昼、夕方のベビーカーでの散歩をお前も経験してみろよ。
なーんだ じゃねえよ。

まぁそれよりなにより今日は青葉の「ハーフバースデー」なんだよ。
知らない?
ははは、無理もない。
俺も知らなかったんだからな。
つまり生まれてから6ヶ月目にする誕生祝いが「ハーフバースデー」ってことらしい。
まぁ俺たちのころには無かったイベントってことだ。

すまんが一緒に祝ってくれ。
青葉の好きな「アンパンマン」だ。
(本日、やなせたかしさんが亡くなっていたことを知りました
ご冥福をお祈りいたします。      合掌 )




これは夏のころの写真だ。(生後4ヶ月目)
このあと娘からメールで青葉が寝返りをするようになったと連絡があったよ。
それも俺たちが帰った翌日にな(笑)




これが5ヶ月目だ。
今まで片手でしかできなかった指しゃぶりが
やっと両手でできるようになった。
(じつは、これは食べ物を食べるという事への大事なステップということだ)





青葉はいつもこんな風にして寝るんだが・・・。
普通上を向いて寝るだろう?
いいのかなぁ?って思いながら見ているが
本人が嫌がらないんで・・・でも良いのかなぁ。





普段の顔はどちらかというとこんな顔(笑)
最近太ってきたからな。
でもまぁ赤ちゃんらしいっていえばらしいんだけどな。





これはママだけに見せる特別な嬉しい顔。
どんなに機嫌が悪くてもママが話しかけると満面の笑みで笑う。
俺には一切無視・・なんてことはしょっちゅう(笑)





離乳食も始めたよ。
好きなものはりんご。
顔をしかめるのはみかん。
じゃがいも、玉ねぎ、鯛、小松菜・・何でも食べる。
見ていて気持ち良いくらいガツガツ食べる(笑)





ケロケロケロッピって名前のカエルを知ってるか?
そのカエルの口マネをするんだよ。
え?  似てない? いやいや似てるんだって。





最近なんでも興味を持つようになってなぁ。
カメラを近づけるとじっと見てくる。
だから・・じじばかだってんだろ。
いいよ・・わかってるから。





第28節のセレッソ戦。
いつもかわいがってくれる「たっちんとラブちゃん」
いらんせわだけど・・仲が良い(笑)






最近のマイブームはこの「飛行機ブンブン」
大きな声で「青葉、飛行機ブンブン」と言えば何回でもやるんだよ。
試しにどれくらい頑張れるか試したら20回を超えたよ。
そのあとママにそのことを見つかってしまい
怒られたけど・・・まぁ男の子だしなぁ(笑)






風呂の中で遊べるように「Swimava」(スイマーバ)を使い始めた。
最初は緊張していたけど何回か使ううちに足を自分で動かして
動くようになったよ。
子供はすぐに覚えるよなぁ。






離乳食が終わった後に「ごちそうさまでした、でした」と2回言うと必ず舌をペロっと出す。
言うたびに舌を出すので何も無いときでも「ごちそうさまでした」って言うと
舌を出すようになった。
こりゃあしつけにならんと思っててもついついなぁ(笑)





心もどんどん成長してんだろうなぁ。
今までは天井しか見えなかったものが、寝返りによって周りが見えてくるし
掴めなかったものが自分の意思で掴めるようになるし
新しい発見にとまどったり驚いたり興味を覚えたりしているようだよ。

声をあげて喜んだかと思ったら、突然大泣きしたり
俺たちが食事をしていたら口をモグモグ動かして
「僕も欲しいよぉ」ってかんじで訴えてくるし。

俺たちも青葉に負けないように日々成長していかないとな。
まぁそんなことをお前に言ってもしょうがないことか(笑)
青葉は明後日広島に帰るよ。
今度会えるのはおそらく正月だ。
そのころにはハイハイしているかもな。

いらん世話だろうが嫁さんを大切にしろよ。
お前にはすぎた嫁さんだ。
じゃあな、又3ヶ月後な。






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手塚治虫記念館と宝塚

2013-10-11 12:50:34 | 

一週間前「宝塚」に行ってきた。

と言ってもあの「宝塚大劇場」ではなくそのすぐ先にある
「手塚治虫記念館」なんだけどね。






で、ビックリしたのがその横で入り待ち?しているファンのおばさま達が
お揃いのマフラーをしてたこと。
初めて見て「何だ?」って思って調べてみた。

宝塚ではFC(ファンクラブ)ごとに、入り・出待ちの際には
会員である証として、何かおそろいの物を身に付けるんだそうだ。
さらに公演ごとにアイテム・色・デザインを変えて作るんだって。

さらにさらに、宝塚のファンのルールとして
生徒さんの学年(入団年)順に、ファンが待つ場所が決まっているんだそうな。

なーるほど、だからあっちに3人、ずっと離れたあそこに5人ってかんじでいたんだな。

一般ファンや通行人に出来るだけ迷惑をかけないように配慮して、
綺麗に整列して統制をとっているって。

たしかに、それくらい気を使ってこそのファンなんだろうね。





そこにめちゃくちゃオーラが出てる人があらわれたわけ。
私は全然知らない、が普通の生徒さんではない事だけは
雰囲気でわかった。




ただ男の私としてはこの「花のみち」と名づけられた道であったり
「いかにも」ってかんじの女性とピンクの時計台の組み合わせだったり




この像のような・・何というか・・・乙女ちっくというか・・・
見ていて気恥ずかしいというか・・






この橋にしたって「普通でいいじゃん」って思うわけよ。





でまぁ、「火の鳥」のモニュメントにたどり着いて
やっと ホっとしたわけですよ。
「手塚治虫記念館」に到着。




これこそ見たかった「火の鳥」
やっぱり男はこっちの像がお似合いだね。
嫁は何の事かさっぱりわからんって顔だったけども。





入り口入ってすぐに「鉄腕アトム」に迎えてもらった。

「鉄腕アトム」
(1952/04-1968/03 「少年」(光文社)連載)

アトムは、お茶の水博士によってつくられたロボット。
けれどもひとたび事件が起これば、アトムはその10万馬力のパワーで、
敢然と悪に立ち向かっていくというストーリー。





続いて「リボンの騎士」
(1953/01-1956/01 「少女クラブ」(講談社)連載)

日本のストーリー少女漫画の第1号。
少年時代を宝塚で過ごした手塚治虫が、宝塚歌劇の雰囲気を少女マンガに置き換えて描いたファンタジーで、
その後の少女マンガに大きな影響をあたえた。
目の中にキラキラと輝く星を描く表現方法などもそのひとつ。





ただこの「リボンの騎士」を私は読んだ事はない。








子供の時代に一気にワープしてしまう。
そんな感覚になってしまう。
わくわくが止まらない。









「ジャングル大帝」・・レオ
(1950/11-1954/04 「漫画少年」(学童社)連載)

人間に育てられた白いライオンの子・レオの成長する姿を通して、
自然と人間の関わりを描いた長編マンガ。

ここに「ケンー」という少年、「メリー」という少女が登場する。
なんだ?  「ケンとメリー」?  「スカイライン」?
って思ったのは私だけか。







廊下には「ジャングル大帝」








2013-6-28から2013-10-28まで「MACROSS」(マクロス)展が開催されている。
今回初展示となる可変戦闘機
VF-1Sバルキリーの実物大コクピットに搭乗した。



「バルキリーと呼ばれる可変戦闘機」





実在の戦闘機に酷似した飛行形態から巨大ロボットに変形する。




「歌」、「恋愛(三角関係)」、「戦争(可変戦闘機)」の3つを題材にしたアニメ。




歴代の本が展示されているが見るだけ(当然だが)




こちらは手にとって見る事ができる。



何とエレベーターの扉にもある。



そしてトイレにも(笑)



「ブラック・ジャック」
(1973/11/19-1983/10/14 「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)連載)

手塚治虫氏は医学博士であり、医者の免許を持っていた。
それで、自分がもし医者になっていたら、こんな医者になってみたいという理想の姿を描いたのが、
この『ブラック・ジャック』ということだ。

下はご存知「ピノコのアッチョンプリケ」





この建物は地下1階、地上2階。
その地下1階にあるのがここのアニメ工房。
PCのマウスで動かすだけの簡単なアニメなので子供でも楽しめる。




キャラクターステンドグラス。
家に欲しい・・(どこにそんな場所があるんだとだれかの怒声が聞こえてくるようだ)笑





おみやげは迷いに迷って「レオ」と「ピノコのアッチョンプリケ」





手塚治虫の心、その世界に、触れて、感じて・・・

少年時代のキラキラした瞳を持った自分に会うことのできる、
そんな空間を体験したい方はぜひ行ってみてはどうだろう。




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2013-10-05 対セレッソ試合終了後 高橋大輔氏とG裏にて・・ 動画です

2013-10-07 20:23:46 | 大分トリニータ

10月5日 対セレッソ戦試合終了後 6時半ごろ
高橋大ちゃんがセレッソ側から歩いてやってきた。

予期せぬ出来事にそこにいた我々は慌てて
最前列まで駆け下りた。

久しぶりに見る大ちゃんは元気そうだった。

これからはサッカー選手以外の道を歩むわけだが
持ち前の根性で道を切り拓いていくことだろう。

大ちゃん、 ガンバレ!

(個人情報等はカット及び編集してます)







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大分トリニータ 第28節 10月5日 対セレッソ 0-2 負け

2013-10-06 17:02:18 | 大分トリニータ


私は頑固な人が好きだ。
一本筋の通った人が好きだ。
決してぶれない人が好きだ。
だから田坂和昭という漢(おとこ)が好きだ。

もちろん、降格をしたのだから
田坂監督に対して批判はあるだろうし、
いろんな想いもあるだろう。

ただ結果がすべてのこの世界でJ1に昇格させてくれたのが
田坂監督であったことを忘れてはいけない。

3年前のあの時、借金だらけのチーム、先の見えないチームに
あえて来てくれた事への恩は決して忘れないし、忘れたくない。

1年間とはいえJ1で戦えたことには本当に感謝している。
おそらく私の想像もつかない重圧があったことだろう。
眠れぬ日も後悔する日もあったことだろう。

それでも毅然とした態度で試合に臨む姿は
一人の人間として尊敬したい。

とはいえシーズンが終わったわけでは無い。
残り6試合、全力で勝ちにいってもらいたい。
天皇杯も残っている。

下を向く暇なんかまだまだ無い。
涙を流すときは共に流したい。

ホームで「大分よりの使者」が歌えたら、
その時はグチャグチャになるまて共に泣こう。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


2006年から2009年まで4年間トリニータに在籍した高橋大輔。



2010年に「大海」「清武」「家長」とともにセレッソへ。



4人も大分から行ったため、仲間内では「セレッソ大分」とよんでいた。
懐かしい。




さて、試合前の選手。
G裏へのあいさつ。



「あとが無い」
「崖っぷち」
「首の皮一枚」
等と何回書いたことだろう。



しかし今日がまさに「その日」・・なのだ。



選手の気持ちの中にも「期するもの」があるだろう。
悔いの残る試合だけはして欲しくない とだけ思った。




結果 0-2 の負け。

負けたため、この時点で降格が決定した。
前半33分、右サイドから酒本がパスをふわりと浮かし
柿谷がオーバーヘッドでG前に返す、
そこに南野が頭で押し込んだ。
鮮やかなゴールシーンに見とれてしまった。




 高松大樹 高松大樹
おまえのゴールで
○ ○ たおせ!



一緒に闘おうぜ 誇りと夢を抱いて~
僕らは 僕たちは 大分トリニータ~         




必ず勝利する 最強のチームなんだ~
最高で 最愛の 大分トリニータ~   



ラララーラ ララララーラ ラララーラ・ララララー
ラララーラ ララララーラ ラララーラ・ララララー 




最後の最後まで選手を鼓舞し、ホームでもアウェーでも
決して応援をやめなかったサポーター。

このサポーターと共に応援できた事、
大分トリニータのサポーターである事を誇りに思う。

ホーム戦このドームに勝利の歌が響き渡る事を信じて!!







・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



試合終了から30分後。
大ちゃんがセレッソ側からこちらに歩いてきた。
5分間くらい話ができた。
(動画は2.3日中にUPする予定)
















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大分トリニータ 鹿島遠征  第27節 9月28日 対鹿島(アウェー) 3-1 負け

2013-10-01 19:15:19 | 大分トリニータ


昨日(9月30日)鹿島遠征から帰ってきた。
今回は4泊5日の遠征だった。

実はこの遠征の目的は鹿島戦ではなく
余命宣告をされた長兄に会うことだった。
もちろんその事は本人も家族も周りも知っている。
入院はしていないものの、手術は不可能ということだった。

9月27日午後7時過ぎ、病院から帰って来た兄と会った。
夕方まで点滴をしていたということだ。
声やしゃべり方は変わっていないが
顔を見るとむくんでいるためか3年前に会ったときとは別人のようになっていた。

『薬のせいで髪が無くなったよ』
と笑いながら話す兄を見ていると、
胸が締め付けられる思いだった。

この兄とは喧嘩をした記憶もなければ怒られた記憶もない。
逆に親に怒られたときには私をかばってくれ
私の味方になってくれる、そんな兄だった。

兄弟4人の中でも特に気が合い、大分に帰って来たときは
飲みに行ったり、カラオケに行ったり、釣りに行ったりと
よく遊んだものだ。

別れるとき『生きて会えるのは
これが最期かもしれない』と思うと涙が止まらなくなった。

言葉が出てこなかった。

ただただ黙って手をにぎった。
暖かい昔の兄の温もりだった。



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本編

試合当日。
この列車に乗った。
茨城県の水戸から鹿島まで湾岸地帯を結ぶ 「鹿島臨海鉄道」
その旅客輸送を担っているのがこの「6000形」
全車両運転台が付いている。
中は転換クロスシートを装備し、木目調の化粧版を用いている。
今の電車の音に慣れている人はこのディーゼルの音をうるさく感じる
かもしれない。
私はどこか懐かしく感じた。








運転席は左側。
右は鎖で入れないが外からは撮影が可能。







なるほどユニと同じ色かぁ・・と変なところに感心した。






駅の階段にも。







「カシマサッカースタジアム」到着






ジーコ像













このスタジアムの外にあるお店屋さんは普段は別の店の方達だということだ。
試合の当日のみ営業。
シーズンオフになると全て持ち帰るということだ。






で、「もつ煮」とビールを2杯頼んだところ
「タコ」と「ビール」をおまけにくれた。
さらに別なものを買うとこんどは「からあげ」をおまけにくれた。
おばちゃん「ありがとう」
又来るね・・・きっと。







「サッカースタジアム」だけあってゴールが近い。
見やすい。
なにより空が青いのが良い。








「大銀」もイスをブルーにしてくれんかなぁ・・と独り言(笑)








よく見るとビジターは一部分ブルーだった。















彼は鎌倉在住の「トリサポ」
話し方に頭の良さを感じる。

「鳩サブレ」・・美味かった。
ありがとう。







本日のゲーフラ。
「マツケン」のゲーフラ・・ありがとうございます。







何と言うか・・・・。
取材陣の多さに・・・。







トリ側から見たらこんなかんじ。








試合前の挨拶に来た選手。
















選手入場・・鹿島サポ。








その迫力に感心した。
が、G裏の上部の人の少なさが人ごとでなく気になった。









さぁがんばれ  気合が入る。








ハーフタイム。
前半 0-0。








後半開始そうそう「デカ」がゴールを決めるも
逆転負け。







試合終了。
座り込むトリニータ選手。








「高木」の肩に手をやり、何か話しかける「深谷」










もちろん勝つことが第一ではあるし、プロとしての意地も見せて欲しいし、
1勝で終わって欲しくないと思っている。

しかし、目の前で汗にまみれ、必死に勝とうとしている選手を見てると
勝ち負けとは別に涙が出てきて仕方がなかった。

チームとして負けたのでは無く、個の力で負けたのだ。

その現実を目の当たりに見ると、
精一杯戦った選手の一人一人が愛おしくてならない。







ただその中でも「昌也」が「小笠原」を
サイドで翻弄した時のプレーが忘れられない。
若い力は使われてこそ
実戦で成長していくものだと思う。
何故この「昌也」をもっと早くから
使わなかったのだろう。
勝負の世界に『たられば』は
禁句だというのはわかっているが
それでも『早くから使っていたら』とつい思ってしまった。





今回の遠征も嫁の精力的な動きにあわせ色々なところに行った。

○ 世界一の「牛久大仏」

○ 霞ヶ浦の「クルーズ」

○ 剣聖・塚原卜伝 及び 鹿島神宮

○ 葛飾柴又「寅さん」
○ 矢切の渡し
○ こち亀「両さん」
○ あまちゃんロケ地 上野「アメ横」

○ 成田山新勝寺 等々



そして今回もそれぞれの場所でたくさんの方々と出会うことができた。

おもしろかった人
不思議だった人
びっくりした人
意外だった人
やさしくしてくれた人

たくさんありすぎて書けない(笑)

書く機会があればいつか書こうと思う。


明日(10月2日)から3泊4日、関西への旅に出る。

10月5日のセレッソ戦の朝に帰ってくる予定だが
フェリーの為天候が心配でならない。

が、それ以上に心配なのが青葉が5日ぶりに会ったせいか
昨晩、私の顔を見て泣くんだよ。
「あんた誰?」みたいに。
目も合わせないし。
それで明日から4日もいなければ完全に知らない人だもんなぁ。

泣けてくるよ。








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