2018-10-26 結婚記念日(38周年)に城島高原ホテルさんへ

2018-10-27 22:19:51 | 日常
10月26日は私たち夫婦の38回目の結婚記念日でした。

静かなホテルに行って温泉にゆっくり浸かりたい、と嫁。
『温泉にはジャグジーとサウナと露天風呂があったら良いなぁ、部屋はゆったり広くて、窓を開けると紅葉に染まった山が見えて、食事が美味しくて、それでいてリーズナブルなホテルに行きたい』
いやいや、そんなわがままいっぱいの嫁の希望を満たしてくれるホテルなんてあるわけ……。
ありました(笑)

               
″城島高原ホテル″ 
さんです。

ご存知のように大分トリニータを応援してくれるスポンサー様です。
個人的にも後藤社長さんが大好きですし、なんといっても9年前息子夫婦が結婚式を挙げた思い出深いホテルでもあるのです。

すぐに予約をしました。
結婚記念日は朝から楽しみでした。

ただホテルのチェックイン(午後3時)まで時間があるので午前中は湯布院の"輪葉葉"に行こうと前の日に突然嫁が言いました。
全国でも有名な"福を呼ぶ招きネコ" ですが、希望者が多くて抽選で当たった人しか買うことはできません。
この日は窯出し日。
5~600人の方が全国から来ていました。
(駐車場はすでに満杯)


当たるのは125名。 
4人に一人しか当たりません。
でもこの日はどうしても当選したかったのです。
福を呼ぶ招きネコを当て、そこに"38回目 結婚記念日"と書いて欲しいとの嫁の希望を叶えさせてあげたかったのです。
当たった人の名前が次々に告げられて行きます。
こんなに多くては無理かも……。
しかし諦めるわけにはいきません。
             
77番目!  

ついに私の名前が呼ばれました。
嫁とハイタッチです。



嫁の名前は残念ながら呼ばれませんでしたが4~500人近くの方が当たらなかったことを考えると仕方がないのかもしれません。
今日から我が家に来る"福ネコちゃん3兄弟"です。


3人の可愛い孫たち(青葉、悠月、冬夜)の福を願ってこの子にしました。



底には"38回目 結婚記念日"と先生に書いていただきました。






"輪葉葉" からホテルに行く途中、時間があったので″志高湖″に寄りました。
湖の周りの木々はすでに色づいていました。


″城島高原ホテル 午後3時 到着″   
城島高原ホテルさんのゆったりした綺麗な部屋。
広々とした温泉の中にジャグジー、サウナがあり、扉を開けると露天風呂がデンと構え、一人で入ることができる桶型になった風呂が2つ。
全部入りました(笑)



ロビーにあるハロウィンの楽しいイベントの写真はスタッフの方から撮っていただきました。


楽しみだった美味しい食事。
バイキング形式になっているので好きなものを好きなだけ食べることができます。
私は「お寿司」と「和牛肉」をメインに(笑)


食後のデザートです。
「甘いものは別腹」なんていったい誰が言ったのでしょうかねぇ?
でも好きなものを好きなだけ食べれることは幸せなことなんですよ(笑)



翌朝
すぐ隣に見える朝の城島高原パークです。
子供たちの歓声を待っているジュピター。



朝日を浴びて悠然とたたずむ観覧車。
こんな景色が見られるだけでも最高です。

             
「朝食」

これは私。
パンが大好きな私は洋食です。


これは嫁。
和食ですが多くないですか?
いくら好きなものを好きなだけといっても、、、残したらどうするんでしょう。
な~んて心配は無用でした。   
これにさらに追加したんです   

でも嫁が言うことには「これだけ種類があるってことをブログを見ている人に知ってもらうために頑張ったのよ」
らしいです(笑)

   
「教会」 

9年前 この可愛い教会で息子夫婦は結婚式を挙げました。


この庭でバルーンを空高く上げたっけ。
前日までの台風が嘘のように晴天になったっけ。
懐かしいね。
嫁との話は尽きませんでした。


城島高原ホテルを後にして「男池(おいけ)」に向かいます。
その途中の由布岳です。
「由布岳」


風になびくススキ。
青い空と赤く染まった山。


由布岳は秋真っ盛りでした。


/////////////////////////////////////////////

「男池(おいけ) 到着」



ここは人の手がほとんど加えられていません。



だからこそ自然の持つ不思議な世界にハマっていくのかもしれません。


あまりにも綺麗なコバルトブルーに思わず言葉を失ってしまいます。


空から伸びた巨大な手が大きな岩をわしづかみにしているようなそんな錯覚さえします。


いつしかこの巨石を粉々にしてしまうのではないか。
生きることへの執念、自然が持つ逞しさを感じます。


「生命の木」  
その横のあるのが「生命の木」


生きることがなにかを感じさせてくれる場所です。


一生懸命に生きようともがいている場所です。
命の尊さを教えてくれる場所です。
だからまた来たいと思う場所なのです。



何もかもが感動の一日でした。

結婚して38年。
嫁の幸せが自分の幸せと考えてきた38年間でした。
それは結婚した時から今も変わることはありません。

息子夫婦はこの城島高原ホテルさんで2人の人生のスタートを切り、私たち夫婦は人生の途中に寄ったオアシスのようなやすらぎをいただきました。
後藤社長さん、スタッフの皆さん、私たちの心にかけがえのない思い出が一つ増えました。
                 
ありがとうございました! 




最後に!
山口遠征で無くした時計と同じものを嫁からサプライズプレゼントしてもらいました。
ありがとう!!






























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兄へ

2014-10-23 12:47:12 | 日常
兄が亡くなった。
肺ガンだった。
昨年(2013年)に書いたブログより・・
昨日(9月30日)鹿島遠征から帰ってきた。
今回は4泊5日の遠征だった。

実はこの遠征の目的は鹿島戦ではなく
余命宣告された長兄に会うことだった。
もちろんその事は本人も家族も周りも知っている。
入院はしていないものの、手術は不可能ということだった。

9月27日午後7時過ぎ、病院から帰って来た兄と会った。
夕方まで点滴をしていたということだった。
声やしゃべり方は変わっていないが
顔を見るとむくんでいるためか3年前に会ったときとは別人のようになっていた。

『薬のせいで髪が無くなったよ』
と笑いながら話す兄を見ていると、胸が締め付けられる思いだった。

この兄とは喧嘩をした記憶もなければ怒られた記憶もない。
逆に親に怒られたときには私をかばってくれたし、私の味方になってくれた。

兄弟4人の中でも特に気が合い、大分に帰って来たときは飲みに行ったり、カラオケに行ったり、釣りに行ったりとよく遊んだものだった。
別れるとき『生きて会えるのはこれが最期かもしれない』と思うと涙が止まらなかった。
言葉が出てこなかった。
ただただ黙って手をにぎった。暖かい昔の兄の温もりだった。



この1年間、兄と連絡をとり、甥(兄の子)とも常に連絡をして変化があれば何時でもいいから知らせてくれるようにお願いしていた。
亡くなる1週間前まで元気な声だった。
しかしこのとき体は痛みで限界にきていたのだろう。

甥から父が亡くなりましたと連絡があった。
覚悟はしていたが現実感がまったく無かった。
涙が出なかった。
嫁にもそのことを告げた。
義姉宅に行っても遺影を見てもろうそくに火を灯しても何も感情がわかなかった。

そのとき、嫁が予約していたホテルをキャンセルして「銚子のホテル」をとった。
翌日、犬吠埼に行った。
銚子の海が見える。
「なぜここに来たかわかる?」嫁が言った。
「お兄さんいつもこの海に釣りに来てるって言ってたよね」
「あなたと釣りに行きたいって言ってたよね」
そう言って海に向かって手を合わせた。
嫁が突然ここに来たいと言った訳がやっとわかった。

くちびるが震えた。
涙が出た。
子供のように声をあげた。
兄が亡くなったと聞いて初めて涙が出た。
あとからあとから溢れて止まらなかった。

「また、どこかで釣りに行こうな」
兄にお別れした。





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国宝・臼杵石仏 火まつり(2014-8-30)

2014-08-30 22:43:20 | 日常
国宝・臼杵石仏火まつり。
臼杵石仏のご加護に感謝し行われる火祭りである。
毎年8月最後の土曜日に開催される(今年は8月30日)

午後6時到着。
まだまだ日差しは厳しい。


「深田の鳥居」
これは県指定有形文化財に指定されている。




「かるがも」
臼杵石仏といえば何回もこのブログに登場してくれた「かるがも君」
あれから減ってないかと心配なので見に行った。
1羽、2羽・・・・・・・18羽。  まちがいない。
全員 元気そうで、ほっと一安心(笑)




「60体の磨崖仏」
この臼杵石仏には60ほどの磨崖仏があり、うち59体は国宝に指定されている。





誰が何の目的で造ったのかなど多くは謎に包まれたまま。




「大日如来像」
ここの石仏郡で一番有名な「大日如来像」
午後6時。 臼杵市仏教界の僧侶による「石仏供養法要」が行われた。




昔は首が下にあり、私はこの姿を見慣れているせいか、今の姿のほうに違和感を感じる。




その後、石仏公園中央にて「親火の儀式」が行われた。







午後7時。
花火を合図に約1000本の松明にいっせいに火が灯される。
尚、火祭りの油は環境にやさしい「ヤシ油」を使用している。




周囲は幻想的な雰囲気に包まれる。




さきほどの「大日如来像」から階段を下りてくる人の群れ。
来場者数が何千人なのか見当もつかない。




私達が帰るときにすれ違ったバス。
まだまだたくさんの人が乗っていた。


火祭りとしては西日本最大級と言われている「国宝・臼杵石仏火まつり」
これが終わると今年の夏も終わったんだなと何となく寂しくなる。







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祈り

2014-08-23 20:32:52 | 日常
今日(8月23日)広島から帰ってきました。

広島でおきた土砂災害のあった当日、同じ広島市にいました。
8月19日夜9時過ぎから降りだした雨は雷を伴い、ピカっと光ったかと思うと数秒後には「ドーン」と建物を揺らすほどの強い振動でした。
どこか近くの建物に落ちたのではないかと思うほどの凄い衝撃です。
30分ほどで去って行くだろうと思っていましたが、
午後9時から午前2時まで延々5時間ほどその状態は続きました。
雨の音と雷の音でテレビの音はもちろん、話す声も聞き取れないほどでした。

前日から40度の高熱で起きるはずのない青葉(孫)が雷の音とともにビクッとなり泣き出します。
外を見ると真っ暗で、雷光だけが不気味にあたりを照らし出します。
その後に来るもの凄い落雷の音。
本当に生まれて初めての経験でした。

翌朝のテレビ報道で土砂災害があったことを知り、あまりの犠牲者の多さにビックリしました。
特に2歳、3歳の赤ちゃんが犠牲になったとの報道に涙が止まりませんでした。
横で何も知らずに寝ている孫を見て震えがきました。

危険を察知して逃げ出せなかったのかというコメントがありましたが、
もし私ならあのカミナリと雨の中を1歳4ヶ月の孫を連れて逃げようと思うだろうか?
家の外より家の中にいた方が危ないとその時点で的確な判断ができるだろうか?

新聞を見るたびに増えていく犠牲者の数に胸が張り裂けそうになります。
これ以上の犠牲者が出ないことを祈るばかりです。

広島でおきた大規模な土砂災害によって亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。







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GODZILLA(ゴジラ)を見に行ってきた

2014-07-28 18:14:54 | 日常
昭和29年に生まれた「ゴジラ」も今年で60年になる。
その間に作られた作品は全28作。
今回はじめての3D作品。




私が「ゴジラ」で思い出すことはむか~し、むかしのはるかむか~し、大分市にビデオレンタル店が出始めたときの話。
物珍しさからVHSビデオを借りにいった。
入会金3千円を払い、レンタル料金はそのビデオの定価の1割。
つまり1本2万円の定価のビデオならその1割の2000円を払うことになる。

1本のビデオを借りるのに5千円ちかく払った。
借りたタイトルが「ゴジラ」
私が一番最初に借りたビデオである。
1ヶ月のこずかいが1万円のときの話(笑)






3D、いやぁ本当に迫力ある。
ぜひ映画館で!!








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2014 臼杵祇園祭 DEAI(出合い)7-11

2014-07-12 19:21:45 | 日常
「コンコン チキリン コン チキリン」の祭囃子が聞こえてくると
臼杵っこは夏が来たことを音で実感する。

「祇園まつり」なんて呼んだことはない臼杵では昔から「ぎおんさま」と呼ぶ。
日田祇園祭、中津祇園と並んで、大分の三大祇園祭のひとつに数えられている。
また、平成20年(2008年)3月28日に大分県の無形民俗文化財に指定された。

前回行ったのはいつだったのだろうか?

街中にある提灯。




今年の当番町は「畳屋町」と「掛町」
臼杵市に住んでいても「町 八町」に住んでいないと山車に乗ることはできない。
綱を引くことの出来る人は30歳以下とか細かい決まりごとが定められている。
この山車は「畳屋町」




こちらの山車は「掛町」
18時20分の花火の合図と共に辻のロータリーを2基の山車が全速で駆け抜ける。
その先の鋭角に曲がった道を何トンもある山車がスピードもそのままに見事に駆け抜ける様は見る人に感動を与える。






山車の先端にある「八坂神社」の文字。





「出合い」の10分前。
引き手のみなさんが集まって心を一つに気持ちを引き締める。



20時20分。
その時は来た。
続きは 動画で!!


臼杵祇園祭 辻 出合い(7-11) 動画









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アジサイが咲く町 臼杵

2014-07-02 19:50:05 | 日常
「おはようございます」と大きな声で挨拶をされた。

通学路を学校へと急ぐ自転車に乗った男子中学生だ。




通学路の右側は田んぼが広がっている。





左側には小さな川が。



車もほとんど通らない道路。
その道路に沿ってアジサイが咲いている。




ところで紫陽花(アジサイ)の花言葉を知っているだろうか?
「移り気」や「浮気」という言葉をご存知の方が多いと思う。
これはアジサイの花が成長に合わせて色を変化させることが由来だそうだ。





ところが色によって花言葉は微妙に違ってくる。
青色の場合は「辛抱強い愛情」




ピンクの花言葉は「元気な女性」





また小さな花が集まって大輪の花に見えるので「家族団らん」という花言葉もある。




今までは「移り気」というイメージから結婚式では敬遠されていたアジサイだが
最近ではシンプルな白のアジサイが結婚式のブーケにピッタリ!と言われ・・・
カップルに選ばれるようになったということ。




ちなみにアジサイの語源は「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」が有力であるとされている。




アジサイの花の色は、一般に土が酸性なら青、アルカリ性なら赤になる。




花の色は成長に合わせて色を変化させ緑から白、青紫から赤紫へと変わっていくのも面白い。





漢字の「紫陽花」は中国から日本に伝わったものである。




けれども、この「紫陽花」は唐の詩人の白居易(はくきょい)がライラックに命名したもの。




中国では、あじさいは「八仙花」と呼ばれているから。ではなぜ?



それは平安時代の学者、源順(みなもとのしたごう)があじさいに、誤った漢字を当てはめてしまったということ。
同じ紫色の花だったので間違ってしまったわけだ(笑)




 フランスではアジサイを「日本のバラ」とも呼んでいる。
そういわれれば「そうかな」と思ってしまう(笑)





なんにせよ、見ているだけで癒される。





そんな、なにげないある朝の風景。
そして、もうすぐアジサイの花が大好きな娘の誕生日がやってくる。












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