2011年5月24日(火)、今日は信濃川ウオーターシャトル(株)の株主総会で監査報告をしなければならないため、「みなとぴあ」にある旧第四銀行住吉町支店に行った。 会場で久しぶりに会った当社OBで新潟市歴史博物館の学芸員であるK君から、現在市博物館で開催されている企画展「新潟美人」の図録をいただいた。 前からこの企画展の話は聞いていたが、まだ見に行っていなかった。 聞くところによると、まだ予定していた来場者数をかなり下回っているらしい。 大震災の影響もあってだろう。 図録をもらったので何とかして行かねばならず、また少しはPRもしてあげなくてはなるまい。
以下は webにあった開催趣旨である。 http://www.nchm.jp/contents02_gyoji/02_kikaku_201101_top.html#page_top
堀と柳と美人の街―
それは、江戸時代から明治、大正時代にかけて、たくさんの芸妓が往来する、新潟の風情でした。
旅人をとらえた芸妓の華やかさが、書物に記され、また雑誌や絵葉書の写真となり、
「新潟の美妓=美人」という印象が、広く伝播したものと考えられます。
戦後、人々の生活が劇的に変わり、往時の風景は遠い過去のものとなりましたが、
「新潟美人」ということばは、いまも私たちの口にのぼることがあります。
近代のメディアの発達と、大衆化の過程で、「新潟美人」はどのように描写されてきたのか―。
そのイメージ形成の歴史を、約150点の資料でたどります。
興味のある方は是非ご覧あれ!
〈図録の表紙。モデルは誰だか聞くのを忘れた。〉
〈左が移築した旧第四銀行住吉町支店。右が新潟市歴史博物館。〉
〈昔の堀の一部を敷地内に復元している。〉
〈信濃川を挟んで、「朱鷺メッセ」と「新潟市歴史博物館みなとぴあ」。左手前が〉新しく整備された水上バス乗り場である。〉
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