お寺さんぽ Ver.03

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知ってる?信長のお兄ちゃん (織田信広・前編)

2010年10月24日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はかの有名な「織田信長」のお兄ちゃん、「織田信広(おだ・のぶひろ)」です。

歴史小説とかドラマにて、信長が自分のことを「三郎信長」とか名乗っているのを見た事ありません?
まあ、はっきり言って漢数字がためでない(※)ものの、信長は嫡男でないのです。
結構知らないことでしょ?
(※例えば武田家嫡男の「武田晴信」は「太郎」という名乗りですが、他大名家を見る限り名乗りと漢数字は関係ないみたい。書き出しなのに申し訳にないですが)

天文三年(1534)に誕生した信長の母は、父「織田信秀(※写真)」の正室「土田御前」です。
それに対して、今回の主人公「信広」の母は側室であったため、生まれとしてはトップであったものの、相続者とは見られなかったのです。
厳しい時代なのですよー。

なお、信広の母については、名前すら伝わっていません。
だいたい、初子であるのに信広自身の生年も不明。
通称は「三郎五郎」…って、彼も漢数字関係ないですね。
織田家の一門が多く名乗っている、「津田(信広)」という名もありました。
もし、正室が男子を産まなければ…おそらくは織田家の当主となり、また異なる運命になったでしょう。
なお、伯父「織田信康」の養子となった「織田信時(秀俊?)」は信広の同母弟で、生年順から次男(信長から1つ上の兄)であるという説もありますが、これも不確か。
歴史に名を残した信長の血族、しかも兄ですが、はっきり分かっていない事は多いのです。


天文九年(1540) 
当時、尾張にて最も勢いがあった織田家。
だいたいこんな感じ。

1・尾張の守護(名目での支配者)は斯波家「斯波義統(しば・よしむね)」
2・守護代(実質の支配者)は下四群を支配する清州・織田家「織田[大和守]達勝」、上四郡を支配する岩倉・織田家「織田[伊勢守]信安」という二家。
3・その清州・織田家はさらに”清洲三奉行”と言われる織田家があり、因幡守家、藤左衛門家、弾正忠家…という三家のうち、勝幡を拠点とする「弾正忠家」の織田氏が、「織田信定(祖父)」、「織田信秀(父)」、「織田信長(弟)」と続くのです。

息子「織田信長」が目立つものの、その父「織田信秀」もかなり優れた大将でした。
守護・守護代の下、家老に過ぎなかった彼ですが、他家を圧倒して勢力を拡大しています。
(※争いはしたものの、打倒まではしていない)
いまいち国内には不安定さが残っていたものの、他国にも侵攻しているのです。
相次ぐ当主の死によって混乱していた松平氏の隙をつき、「織田信秀」自ら出陣した織田勢は安祥城(あんじょう・じょう)を攻略。
西三河をその支配下としたのでした。

⇒ つづく。


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