お寺さんぽ Ver.03

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”四町四方に足りぬ”という赤坂城 (楠木正成)5

2009年12月27日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
南北朝時代を勉強中…ということで、時代の英雄「楠木正成(くすのき・まさしげ)※写真」についてお送りしております。
随一という戦功を上げ、数年のうちにこの世を去ることとなった、”歴史に残る戦術家”の活躍をご覧下さい。

実権を取り戻すべく、精力的に活動する「後醍醐天皇」
元弘元年(1331)の計画は事前に発覚してしまいましたが、京都を脱出した彼は遂に笠置山にて挙兵したのです。
付近の土豪ばかりが集合する中、スピリチュアルな体験(笑)から”楠木多聞兵衛正成”という武士に出会いました。
しかし、籠った笠置山は幕府勢の猛攻を受け、約一カ月ほどで陥落。
山中をさ迷った「後醍醐」は捕えられてしまったのです…。


「後醍醐天皇」は京都へと送られ、六波羅探題に幽閉されました。
笠置山を無事に陥落させた幕府勢。
続いて、「楠木正成」ほか五百の兵が籠る赤坂城を包囲しました。
ようやく登場した今回の主役ですが、いきなり大ピンチです。

正成が籠ったという、有名な赤坂城。
こちらは”四町四方に足りぬ”という小城だったようです。
しかも、彼が籠城した際は、まだ築城最中の未完成な状態であったとされています。

完全ではなかったんですねー。
びっくりです。

足なんて飾りですよ」と言ったか、言わなかったか。(←それは別の話)
笠置山が彼の予想以上に早く陥落してしまったため、正成は工事半ばにして幕府の大軍を受けることとなるのです。

ここでちょっと気になったのが、”四町四方に足りぬ”という大きさ。
※四町四方:
 四方は東西南北の四つの方角のこと。
 一町は三〇〇〇坪、約109.09メートルなのだとか。
 そうすると…一万二千坪以下?
 東京ドームが約一万四千坪らしいので、城としては小さい…のかな。
 よく分かんないですが。
 なお、寺院での四町四方の場合は大伽藍という説明でした。
 
さて、赤坂城は総勢一万という幕府の大軍によって包囲されました。
第四軍までで構成されていたようですが、後に活躍する「足利尊氏」は、その第四軍を率いる大将として参加していたようです。

ちなみに、赤坂城は正成というより、「後醍醐」の息子「大塔宮護良親王(おおとうのみや・もりながしんのう)」が身を寄せているという情報がありました。
そんな訳で、取るに足りない程度の小城でも、幕府にとっては”捨てておけない存在”だったのでした。

すっかり侮っていた幕府勢。
しかし、ここで正成の得意とする縦横無尽な奇策に対し、さんざんに翻弄された…と、伝わっています。
当初の予想に反してしぶとく抵抗したものの、城は未完成で兵糧の蓄えも少なかった赤坂城。
だいたい一週間ほどにて、落城してしまうのでした。

元弘元年十月 赤坂城 落城

⇒ つづく。
  次回は「護良親王・吉野山に挙兵」 (6/16)
  
[関連記事] 【歴史・その他】
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 でも…足あっても勝てたかどうかわかんないですね。


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