絵のタイトルは、「名物男」である。
盆祭りの時は、決まって飲んでいた。
飲むと少しくどいけど、気のいい男であった。
似顔絵を描いて欲しいと言っていた。
描かなければと思いながら数週間が経ち、残念。
今日のタイトルは、「また、友が逝った」です。
私達の年齢になると、これは仕方がないことです。
親を送り、兄弟を看取り、自分の番となる。
その頃には、きっと呆けているから死の実感はないだろう。
また一緒に飲みたいな。と奥さんに伝えていただいた矢先のことであった。
同じくらいの年齢となると、気を使わない。
高度成長期に学生時代を迎え、学生運動も終わっていた。
親のすねをかじり、やりたいことをして遊んだ。
生きた道を大いに自慢するでもなく、互いにおおよその人生が透けて見えた。
立派に生きたとは言えない。分かり合えるのである。
定年を迎える前に、「好きなことをやって過ごしたい」と言っていた。
好きなことは何だったのか、聞かずに終わった。
定年を待てずに闘病生活に入った。
好きなことをやれなくて残念かどうかは、本人だけが知っていること。
定年後だって、決して楽ではない。
毎日が日曜日の生活もすぐに飽きる。
期待されない生活の中に、灯を見つけるような毎日である。
酒田にいる友人が、「話せる場」を作ったという。
その場を維持するためにアルバイトをしていた。
驚いた。
話を聞いた皆さんのやりたいことが、バラバラなんだよと彼は言う。
やりたいことはできることとは違う。
できないことをやりたいことにしたらよい。
できることは、やりたいことの何かの足しになる程度でよい。
できることの延長にやりたいことがあると、それぞれの生きてきた仕事の分だけある。
こんなことなんて、到底無理だ。みんなが無理なら、なお面白い。
友と酒が飲みたかった。
好きなことを聞きたかった。
似顔絵を 渡す日には いなかった
2019年10月26日
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