今日のタイトルは、「一路東へ」です。
こんなに忙しい時でもブログを書いていこう。
ほとんど病気です。
義兄が亡くなって早4月です。
今回は、9月に片づけたときに出たごみ(50リットルx200)を出します。
川崎市の清掃センターから近くまで引き取りに来てくれます。
ケーブルテレビの配線・器具の引き取り立ち合い、片づけです。
今回の旅は、西へ向かいます。
「一路東へ」とタイトルが浮かびました。
遠い所へ出かけるのは、常に東でした。
広島から上京する意識が頭のなかにこびりついているのです。
東には楽しいことがあると思い込んでいました。
太陽があがるのも東からです。
東と聞くとわくわくしました。
都会イコール東みたいな感覚です。
東京で長く暮らしました。
今は、東京からさらに東で暮らしています。
東京に行くのは、意識としては東です。
仮にアメリカ回りでヨーロッパに行くとしても、意識は西へ行くです。
幼いころから見てきた世界・日本地図が、頭のなかに張り付いているのです。
地球儀をみて暮らしていたら、意識は変わっていたでしょう。
日頃から計算高く、効率的にと、常に頭は働きます。
その結果、長い間にインプットされた意識を変えようとしません。
そんな阿保なと言っても、染みついた長年の意識は苔が生えた如く変わらない。
そんなことは、他にもあるんじゃないかと考えています。
箸を持つ手は右という具合に、親から子へ、子から孫へ。
なんか変だぞと思わない潜在的意識です。
日本人だから当たり前みたいな感覚が他にもあるのでしょう。
もういい加減にしたい。
常識なんて、誰が作って引き継いできたのか。
紙を表から見ることばかり繰り返すと、裏から見たとき違和感を感じる。
この歳になったんだから、ひねくれて裏からばかり見る癖を新たにつけようと思う。
無知の知。
きっと、人生二度美味しいみたいな感覚になるでしょう。
飴玉は なめてなんぼと かみ砕く
2018年11月19日
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