絵のタイトルは、「草木春近し」です。
雪の中に、福寿草を見つける日も近いでしょう。
妻が、洗濯機が動かないと騒いでいた。昨日のことである。
洗濯機に風呂の湯を入れて、押し洗いしたと話していた。
今朝は、私が洗濯をした。洗濯機は難なく回った。
昨日は、寒くて洗濯機周りに付いた水分が凍り、回らなかったのだと理解した。
今日のタイトルは、「はっきり言えよ」です。
しばらく前から、「大丈夫です」という言葉が気になっていた。
足りてます。必要ありません。断りの婉曲な言い回しだった。
「お腹いっぱいで、もう食べられません」とか、「興味がありません」とか言って断ればよい。
人間関係を壊さないように配慮された曖昧な表現です。
こんな若者がいたら、後ろから頭をはたいてやりたい。
もちろん、腹のなかだけです。
幼稚園に迎えに行くのは、婆の役目だとカフェのお客さんが言われた。
婆だって働いているのにね。爺はどうなの。と水を向けた。
一人じゃ行きたくない。結局、婆とじゃないとお迎えに行けないらしい。
こいつも、後ろ頭をはたいてやれ。
妻が、コーヒーを淹れてくれる。
砂糖は、ミルクはと聞かれる。全部入れとか、ブラックでとはっきり答える。
欲しいのか、欲しくないのか有耶無耶な返事を聞くことが時々ある。
年をとると、より「はっきり言う」ことにしている。
こうした小さなことから始める。
選択しない、決断しない人生は、認知になりやすいと考える。
分かってくだされや。よきに計れ。これは、殿様でさえ言わぬ。
優しいだけでは、務まらない。
夫婦ならば鍋釜投げ合って、切磋琢磨したいものです。
傷口に塩摺りこむのが、本当の優しさではないでしょうか。
塩こそ、自然治癒の早道ですから。
悴む手 鬼が棲む山 背中押す
20121年1月29日
<<あとがき>>
座卓に座り、仰向けに倒れたお父さんに、「起こしてやろうか」と声をかける。
起きても何にもすることがないから、こうしていた。
婆さんは、玄関の間に置き、家族の皆が跨げて家に入る。
粗末に扱うようでも、一番の思いやりです。