故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

器用貧乏

2021-01-08 03:18:48 | よもやま話

いつもの「永観堂」(タイトル)です。
いつまでもジタバタとやっていなさるな。
やめられない止まらない。
可愛いことよと言われているような。


今日のタイトルは、「器用貧乏」です。
ポケットにはさみが入っている。これは、何故。
ああ、そうか。昨日の朝、ヒーター線の巻き替えに使ったんだ。

矛盾を指摘しようと、悠然と職員室に駆け込んだ。
大事なことを話す前に、私の人物像について議論が始まった。
正しいことを言っても、それを話す人物がどうなのかが議論される。
夢である。

主婦は、たくさんのことを我身一つでこなさなければならなかった。
嫁、おばあちゃん、住職の妻(時には代行)、PTA、地区の役員、趣味の同好会の世話役など
きりがないほどの付き合いを機転と行動力でやってきた。
それが、彼女を苦しめることになった。
迎えた息子の嫁は、そんな育ち方をしなかった。
一つの役割をその嫁に渡せばよかった。しかし、すべてを失った。介護施設に入れられたからだ。

このブログを書くにあたって、広辞苑で「器用貧乏」を確かめたかった。
器用貧乏とは、なまじ器用なために、あれこれと気が多く、また都合よく使われて大成しないこと。
(広辞苑より)
誘われて競艇に行った。教えられるとおりに少額の舟券を買った。当たった。
私を指導してくれたベテランはことごとく負けた。
帰りに、ビギナーの私がごちそうした。
ここでやめればよかった。私は、ベテランの道を歩んだ。
こうして、多くの人が「おけら街道」を帰路につく。

広辞苑だってそうだ。なまじ調べなければ持ってくることはない。
持ってきて、元の場所に返したためしがない。そうして、便利グッズが身の回りに溜まる。
便利グッズがごみとなる。

器用でなければ、あれこれと悩まずに済んだ。
こなさなければ、役割は増えなかった。
そんな答えの後出しは困る。
じゃあ、どうすればよいの。よかったの。

絶対できないことを続ければよかったのです。
例えば、農業とか。宇宙船を飛ばすとか。絵を描くとか、小説を書くとか。山登りをするとか。
どこかで、いつかは、器用を発揮できなくなる。
物覚えが悪くなったり、身体が思うように動かなくなったり、
周りを固める人々が様変わりしたり。
絶対できないことは、ひたすら挑戦すればよく、うまく行くことは万に一つもない。
うまく行かないから、万事そうだろうと謙虚になる。役割を一つずつ辞退する。
残るのは、絶対できないことだけになる。

冒頭の、「正しいこと」かどうかの議論より、
話す人物像がクローズアップされることはよくあることです。
その人物は、いろんな役目を果たしており、矛盾とも思える言動もしているのでしょう。
器用ゆえに、人生経験をよしとするがゆえに陥る間違いです。

GOTOなにがしを昨日まで推進していながら、
今日はGotoと真逆の方針を言う羽目になる。
辛いことです。

あのねのね 小便たれが 道を説く

2021年1月8日
コメント
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