■雨ニモマケズ (訳文)
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雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい
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「今の当たり前に感謝しながらも
食を取り巻く既成概念を疑ってみると
もっと自由な生き方が
出来るかもしれません」
と先のブログでコメントしました。
「癌」という漢字のつくりは
「品の山」と書きます。
たくさん食べすきて
病気になる可能性を考えると
玄米食を中心とした粗食にすることで
さまざまな病気から
遠ざかっていくように
思えてなりません。
食の大切さを
あらためて考えさせられました。
さて
宮沢賢治は「雨ニモマケズ」の
後半部分であえて
でくのぼー
であることを推奨しています。
ただし
あくまでも無意識の
でくのぼー
ではなくて
褒められもせず
苦にもされない
自由な意志で積極的に生きる
やさしいでくのぼー
でありたいと言っているようです。
でくのぼー
であることは
生きている今に感謝し
良くも悪くも
現状とその環境から学ぶことこそが
自分を変化させ
社会を変化させていく。
そのための
原動力
になると思います。
身の丈以上の
生活のために
過剰な働き方を自分に課したり
宗教や哲学
○○の法則などに
のめり込んでいかない
あくまでも
ありのまま
あるがまま
足るを知ることが
宮沢賢治の言う
でくのぼーの本当の姿なのでしょう。
世界がぜんたい
幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない
は宮沢賢治の残した言葉です。
(農民芸術概論綱要 序論より)
私たちの使命は
「愛にあふれた
平和な地球を実現すること」
そのために
ここに命を授かりました。
でくのぼー
であることの意味
あらためて噛みしめてみたいと思いました。
●一般財団法人 山波言太郎総合文化財団
「でくのぼう宮沢賢治の会」 HP↓
◎感謝