駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

あれから10年

2015年08月13日 | オールドミュージック
8月13日(木)
世間はお盆休みの真っただ中、のんびりとスキスキの電車で仕事に行っております。
快適~。へへへ。。。
さて、昨日の日記の続きみたいな感じになっちゃいますが、ニッポンの音楽の事を書きたいと思います。

たまたま先日クルマのラジオで聞いたのが、高田渡の「あきらめ節」。
この歌、昔聴いたことがあったんですが忘れていて、「ああ、これがニッポンの歌じゃん」なんてハッとしたんです。
この曲は、明治・大正時代の歌人「添田唖蝉坊」の詩に高田渡がメロディーをつけて歌ったものでしたが、昭和・平成の現代にも通じる皮肉が詰まっています。
また、高田渡以外のシンガーがカヴァーしたバージョンなどもチョイスされていたり、かなりコアなコーナーでした。
ニッポン人でしか語れない歌詞。
ニッポン人でしか歌えないメロディ。
そのほかのオリジナル曲ももちろん流されていました。
もちろんヒットするとか教科書に載るような種類ではなく、泥臭いニッポンの成長期を支えた労働者の生臭い汗と涙の歌でした。
これがニッポンのブルースなのか、と今さらながら目からウロコの気がしたわけです。

この番組は、浜松のFMハローの長寿番組「いとうたかおの小さな唄に手をひかれ」での特集でしたが、高田渡が亡くなって10周年を迎えての番組でした。
数回にわたって高田渡の歌を取り上げて、その思い出などを語るという趣旨でした。
フォークシンガーのいとうたかおさんと高田渡さんは同年代で、同志という仲だと思います。
何といっても大学紛争なんかの若者が荒れていた時代、ニッポンのフォークソング創世記の旗手みたいなメンバーの一人なんですが、その中では異色のシンガー。
反骨精神がすごいのに、飄々として仙人のようなイメージ。
ヒゲが真っ白でいつも酔っ払っている感じの高田渡は、一見よぼよぼの年寄りと思われがちなんだけど、実は若かったんですね。
亡くなった時は2005年で56歳。
あれからもう10年ですよ。
もうオレは追い越しちゃいました。。。

高田渡の歌は「自衛隊に入ろう」のような時代を揶揄した自作の歌も有名ですが、いろんな詩人の現代詩にメロディを付けて歌うという手法が有名ですね。
「あきらめ節」なども独特の歌声とともに、その切なさや人を食った時代をからかうような詞がファンを魅了しました。
かつて豊橋にもよく来ていて、その時にはシンガーの井上としなりさんとか、評論家でミュージシャンの小川真一さんなどがサポートしたりしていました。
自分が拝見したのは、「かごやはうす」だったのか「バークレーイン」だったか。
そんなことを思い出したりしていて、ある日本屋に行って文庫本コーナーを眺めておりました。
夏休みは、少年少女向けに文庫本コーナーが賑やかになりますから。
その中に、なんと筑摩書房の高田渡著「バーボン・ストリート・ブルース」があるではないか。
自分はこの本は読んでいなかったので当然即買いしました。
読むと、その反骨精神や飄々とした生き方などの謎が解けるようで、一気に読んでしまいました。
文章の中に、「小川真一はこう言った」みたいな一文を見つけて、おっ!と思ったりして、楽しい一冊でした。

あれからYouTubeで高田渡を探しては視聴する日々です。


コメント
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