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磨崖仏巡礼~近江八幡市「長福寺町の磨崖仏」~

2019-10-18 06:35:15 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 近江八幡市の東近江市との境辺りに“地蔵菩薩の磨崖仏”があるといいます。
近江八幡市は西に琵琶湖があり、東へ進むと八幡山城や近江八幡の古い町並みが続きますが、さらに東にある国道8号線を越えると、幾つかの工場が立ち並び、その奥は瓶割山の麓の集落へと続きます。

長福寺町までは難なく到着したものの、肝心の磨崖仏の場所が分らない(案内板もない)ため、地元の方に聞いてみる。
説明してみるも最初は“知らんなぁ。”とおっしゃっていましたが、“探している地蔵さんかどうかは分からないが知っている地蔵があるので案内しよう。”とありがたい言葉を頂く。



“あそこに花が活けられている所がそうか?”と言われて行ってみると、まさしく探していた磨崖仏でした。
後方には竹林が拡がり、“大昔はあそこから山道で竜王や日野に抜けられたんだ。”“山の向こうが上平木でこちらは下平木。”と教えて頂く。



小さな池に面して巨石があり、足元を水にひたすように地蔵菩薩が彫られています。
瓶割山を越えれば磨崖仏や石仏の多い地域が広がりますから、近江八幡市の隅にあたる当地にも石の文化が伝わっていたのでしょう。



村の守り神として、あるいは細い山道を旅していく方を見守る道祖神としての役目を果たされていたのか、山の前で結界を張られていたのか。
おそらくは山を越えていく人を見守っておられたのかと思われますが、この奥には山へと向かう道はあるものの、すぐに山道らしきものはなくなっていました。



瓶割山にはかつてあった「瓶割山城遺跡」があるといい、瓶割山城(長光寺城)は応仁の乱のさなか1468年に築城され、安土築城の頃に廃城となったとされています。
瓶割山は、1570年に柴田勝家が佐々木六角氏と戦った際に場内の水瓶を打ち割って城兵の士気を高め戦いに勝利したことから、「瓶割りの柴田」の異名をとったという伝承に由来するといいます。



地蔵磨崖仏はいつの時代に彫られたなどは全く分かりませんが、この地蔵さまのお世話を続けられている家があるそうです。
山の麓のかつての旧道への入口にある小さな湧水の池に、足をひたしながら佇む磨崖地蔵石仏の姿には、その土地で守られてきた信仰の歴史が感じられます。



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