僕はびわ湖のカイツブリ

滋賀県の風景・野鳥・蝶・花などの自然をメインに何でもありです。
“男のためのガーデニング”改め

富川磨崖仏(耳だれ不動)~滋賀県大津市大石富川町~

2019-12-21 19:50:50 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀県大津市の外れに“高さ30m・幅20m”の岸壁に鎌倉時代の磨崖仏があるという。
阿弥陀三尊と不動明王が彫られた磨崖仏は「富川磨崖仏」といい、耳の病に御利益があるとされることから通称「耳だれ不動」と呼ばれているといいます。

磨崖仏のある大津市大石富川町は大津市とはなっていますが、むしろ信楽の雰囲気が強い。
信楽川沿いの道を下流に向かって進んで行くことになり、片側に渓流・もう一方は山際となる道を進んで行くのははとても気持ちがいい。



信楽川は琵琶湖から流れ出している瀬田川に流れ込み、宇治からは宇治川と名を変え、やがて桂川・木津川と合流して淀川になり、大阪湾へと流れ込む。
今は、ダムや洗堰によって水量が調整されているものの、かつては水運の航路として利用されていた川なのでしょう。



信楽川の峡谷にはゴツゴツとした巨石と激流が流れ、迫力は充分です。
川岸に降りてみたい気持ちもあったが、危なすぎてとても近づけそうにはない。



岩屋不動橋という小さな橋を渡っていくと、勢田川漁業協同組合の建物があり、車を停めて山へと足を進める。
勢多川漁業協同組合は遊魚場の管理をされており、“にじます・あまご・いわな”が釣れるそうですが、期間は冬から春までということで、周辺は閑散としたもの。



さっそく山に足を踏み入れますが、誰もいない山で距離も分からず、道はあるはずと進むのは何とも不安です。
石段が組まれているものの、ゴツゴツとした岩ばかりで歩きにくい事この上ない。



道には折り重なるように倒木が倒れている場所があり、木の上を乗り越えなければ他に道はない。
好き好んでこういう道を歩いているのかと思われるでしょうけど、山登りやハイキングが趣味の人間ではないので、怖さ半分でおどおどしながら道を進んでいます。



石段の周囲は木々で覆われているおり案内板もないため、どこまで登ったら磨崖仏があるのか分らないと不安になっていると、道の先にはまたもや倒木。
この辺りには幾つか道があったので、倒木を避けて道を変えてみる。



少し昇ると山の岸壁に彫られた阿弥陀仏の顔が見えてきました。
実際に見る富川磨崖仏は想像以上に大きい。サイズ的にはプールが垂直に立っていることになりますから、まさしく巨大な岸壁に彫られた磨崖仏です。

磨崖仏は中尊に「阿弥陀如来像」、右に「勢至菩薩像」左に「観音菩薩像」の脇侍が彫られており、「不動明王立像」が左下に彫られています。
岩肌に1369年の銘があるといいますが、説明板には“刻銘は直接の年号とはないものの、その頃の彫刻”と曖昧な表現で書かれています。
大津歴史博物館のデータベースには鎌倉時代の作と記されていますから、鎌倉期あるいは鎌倉中期の作とするのが適切なのかと思います。



この地にはかつて「富川寺」という寺院があったとされており、白洲正子さんは「石をたずねて」の中に“古くはここに富川寺が建ち、興福寺の修行場があったと聞く”と書かれています。
大津市教育委員会の説明書きには“この付近は「岩屋不動院明王寺跡」で715年に義淵によって開かれた”とあります。
いずれにしても湖南地方は古来より巨石信仰が盛んな地であったことは、湖南地方に磨崖仏が集中して残っていることが明らかにしていると思います。

瀬田川の上流には「石山寺」、瀬田川の反対側には「岩間寺」と西国三十三所札所寺院があり、それぞれ「岩」「石」と石にまつわる文字を使った寺名が付いている。
また当地の大石富川町は「大石内蔵助」の大石家の出生の地であるといい、苗字と地名に「石」の文字が使われています。
それだけ「石」「岩」が多い地方で、石の文化があった土地という言い方が出来ると思います。



阿弥陀三尊は薄肉彫になっており、巨大なレリーフを見るような迫力があります。
「勢至菩薩像」は阿弥陀如来像の方に顔を向け、与願印を結んでおられます。



「観音菩薩像」も阿弥陀如来に顔を向け、こちらも与願印を結ぶとされるが、風化があって細かい部分は読み取れない。
両仏ともに与願印は阿弥陀像の側で結んでいるのは、阿弥陀さんに協力して願いを聞き届けようという姿勢を示しているのかもしれません。



残念なことに風化が進んで識別困難になっているのが「不動明王立像」。
何らかの仏が彫られているのは分かるのですが、不動明王と見るのは難しい。



岸壁の中央に彫られているのは御本尊である「阿弥陀如来像」。
ちょうど本尊の正面に小堂があるため、蓮華座を含む阿弥陀如来の全身を見ようとすると、斜めからの角度になってしまいます。



阿弥陀如来像の像高は3.6mあるといい、この大きさの磨崖仏を彫った人々の信仰の凄まじさに恐れ入ります。
最近、集中して近江の磨崖仏や石仏を見てきましたが、レリーフのような薄肉彫りの磨崖仏はこれまで見ていないと思います。





富川磨崖仏が「耳だれ不動」と呼ばれているのは、「岩屋不動院明王寺跡」から不動さんとしているのもありますが、本尊の阿弥陀如来像の左耳に鉱水が湧き流れ出て淡紅色になっていることに由来するようです。
小堂には何本もの「錐」が奉納されており、これは“耳が聞こえるように・通るように”の願いを込めての奉納だそうです。



磨崖仏のある岸壁の右方向には「岩屋」がぽっかりと口を開けています。
修行場だったのか、何らかの石仏が祀られていたのか、あるいは古墳跡なのでしょうか。





「長島大明神」と書かれた祠には鰐口があり、「長島水神」の扁額がかかる鳥居のようなものの下には湧水がありました。
尺が置かれていることから、ここで水を汲む方がおられるのかも知れず、今は手水の役割を果たしている可能性もあります。



帰路に瀬田川を渡るコースを行くと、目の前に広がるのはゴツゴツとした岩場の絶景で、地球の地肌がむき出しになっているとも言うべき場所です。
これほど岩が浸食されているということは、如何に瀬田川が激流だったかが分かります。
途中で思い出したのですが、ここは立木観音の参道近くで、立木観音へ参拝した時も立ち寄った場所でした。見えると思わず立ち寄ってしまう場所ということなのでしょう。



磨崖仏があるような場所は、人が立ち入れるようにはなっているものの、自然に囲まれた場所が多い。
少しだけ苦労して磨崖仏へたどり着くと、そこには圧倒されるような世界が拡がっています。
磨崖仏・石仏巡りをしていると、湖南地方には独特の文化があったことに驚きを感じます。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 曲谷(白山神社)の石造板碑... | トップ | 「妙光寺山磨崖仏」と「岩神... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山」カテゴリの最新記事