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御朱印蒐集~滋賀県大津市 圓満院門跡~

2020-02-10 20:10:20 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 “門跡寺院”とは皇族や公家の出身者が住職を務めていた寺院のことをいいい、圓満院の説明では“現在、門跡寺院は17ヶ寺ある。”といいます。
17ヶ寺の門跡寺院は仁和寺や大徳寺・三千院など大半が京都にある寺院となり、滋賀県には滋賀院門跡と圓満院門跡があるのみで、残りは関東の輪王寺が数えられています。

圓満院は987年、第2代天皇の村上天皇の第三皇子・悟円親王により創立された寺院とされ、開基当時は“平等院”と呼ばれていたといいます。
1052年には関白藤原頼通が京都宇治にあった別荘を「平等院」として開基し、平等院の名を譲った三井平等院は「圓満院」と命名されたと伝わります。



圓満院は江戸初期までは京都岡崎の地にあったともいわれ、門跡寺院としては天台寺門宗(総本山は三井寺こと園城寺)の三門跡(圓満院・聖護院・実相院)の一つとされていたようです。
天台宗は山門派と寺門派が対立していた歴史がありますが、現在の圓満院は天台宗系の単立寺院となっています。



大津市のこの界隈には「大津市歴史博物館」や「園城寺(三井寺)」があるため馴染み深い地域となっているのですが、圓満院門跡に参拝するのはこれが初めて。
場所的には大津市歴史博物館とは隣合わせで、三井寺の山門とは歩いて3分ほどの場所にあり、今まで立ち寄らなかったのが不思議なくらいです。



現在は勅使門が開門されており出入り可能となっていますが、門にかけられている幕には皇室の菊花紋である“十六葉八重表菊”が描かれ、ここが門跡寺院であることを示しているが、境内に入ると少し空気が変わり、ある種独特の雰囲気となる。

5つの宝輪のあるオブジェのような塔は「鐘楼」にあたるのでしょう。
下に吊るされた梵鐘には“発願 円満院門跡創建1千年の年”と彫られ、“建立 昭和59年釈尊降誕日”とあります。



鐘楼の前には「洗心不動明王」が祀られ、“石仏不動明王尊を自分と観想し三井の冷水を掛け、心を洗い心身を清浄にする”と書かれてありました。
不動明王に冷水を掛けましたが、他の門跡寺院の印象とは少し空気感が違い、違和感を少し覚えたのはオブジェのような鐘楼の影響だと思います。



そのまま「秘仏金色不動明王」を祀るという「不動尊 三心殿」へと参拝します。
不動護摩の護摩供が行われる日は参拝者が多いと思われますが、この日は全く人の気配がない外陣へと入っていく。



三心殿は近年になってから建てられたと思われる建物で、護摩堂という感じはしない。
圓満院が門跡寺院たるゆえは、重要文化財となっている「宸殿」と名勝史跡指定を受けている「三井の名庭」となり、三心殿は護摩供の場としての役割を果たしているようです。





「宸殿(重要文化財)」は、1619年に徳川幕府第2代将軍・秀忠の息女「和子(東福門院)」が後水尾天皇の后として御所に入る際に京都御所に建てられたといいます。
1647年に東福門院源和子の娘である明正天皇(第109代天皇)によって圓満院に下賜されて現在地に移築されたようです。



南北2列の計6室からなる宸殿の各部屋にはかつては狩野派の障壁画が描かれていたようですが、現本は京都国立博物館に収蔵されており、複製のみが見られる。
部屋の奥にはタンチョウヅルが舞う煌びやかな着物が掛けられ、かつて狩野探幽の障壁画があったことを表す墨書きの板が置かれている。



歴代天皇のお位牌を泰安する「本堂」に最も近い部屋は“玉座の間”となっており、この玉座に後水尾天皇は座したとされています。
後水尾天皇と和子の時代は、徳川将軍家が婚姻政策で朝廷を懐柔し、姻戚関係を持った頃。
東福門院源和子さまは、さぞや気苦労が多い人生を過ごされたことでしょう。



圓満院門跡の見どころは「宸殿」と宸殿の南側に広がる名勝史跡「三井の名庭」、併設された「大津絵美術館」となり、宸殿までくると門跡寺院の空気感に包まれる。
池泉鑑賞式「三井の名庭」は、室町時代の相阿弥の作庭とされており、現存する姿となったのは宸殿が移築された1647年頃の築造だとされます。



細長い池の中の左には“鶴島”、右側には“亀島”を配し、池の背後には築山、手前には白砂と落ち着いた佇まいの庭園で、腰かけて観想できるよう椅子が置かれている。
腰かけて眺めていると、後方では座禅会、築山からは冬の小鳥の囀り。





圓満院門跡と隣接した三井寺は“天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に御産湯に用いられたという霊泉を「御井の寺」と呼び、後に三井寺となった”と伝わります。
両寺院の背後にある長等山は名水が湧き出す地のようで、宸殿の近くには湧き水「三井の名水」がコンコンと湧き出しています。
この名水は百四十余才の長寿が叶うといい、少量口に含んでみる。



楽しみにしていたのは「大津絵美術館」で、隣の大津市歴史博物館へは大津絵を見に何度か来ているほどの大津絵ファン。
大津絵は江戸初期に街道を行く人に縁起物として売ったのが始まりだといい、風刺の効いた作風とデフォルメされた絵の面白さを併せ持った庶民のためのアートです。



大津絵美術館で最も興味を持って見たのは「鬼の念仏」の像(フィギュア)でした。
かつて大津絵を売る店の前には広告塔として大津絵のフィギュアが置いてあったといい、もう一つの大津絵の魅力に魅かれます。



大津絵が描かれたのは掛け軸や色紙だけでなく、徳利にも描かれており、この徳利には「瓢箪鯰」を画題として描かれている。
禅の公案を皮肉って風刺の効いた画題を扱いながらも、“諸事円満に解決し水魚の交わりを結ぶ”の効がある水難除けの護符として使われたというのも大津絵の面白さです。



オブジェのような鐘楼には面喰いましたが、宸殿にはレプリカとはいえ狩野派の障壁画や庭園など門跡寺院の佇まいを感じることができ、何より大津絵が数多く展示されているのは嬉しいことでした。
「園城寺(三井寺)」と「大津市歴史博物館」に挟まれたひっそりとした寺院ではあるものの、座禅を組みに来られた方に丁寧な説明をされていたのが印象に残ります。


左:「外法と大国の梯子剃」、右:「瓢箪鯰」



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