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“男のためのガーデニング”改め

「鏡神社」と「西光寺跡」~滋賀県 蒲生郡 竜王町~

2020-02-07 06:22:22 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 竜王町にある「鏡神社」は、新羅の王子であったという「天日槍尊(アメノヒボコノミコト)」を主祭神として祀る神社で、主祭神である天日槍は紀元前31年に新羅国より多くの技術集団を連れて来朝し、近江の国に集落を成した方だといいます。
技術集団は陶物師・医師・薬師・弓削師・鏡作師・鋳物師などを指すといい、天日槍が持ってきた日鏡をこの地に納めたことから「鏡」の地名の由来になっているといいます。

日本書紀には垂仁3年「近江国の鏡村の谷の陶人は、天日槍(新羅国王子)の従人なり」と記述があるそうで、鏡山一帯に渡来人・帰化人の文化があったことが記述に残ります。
また、神社のある鏡山は竜王町・野洲市・湖南市にまたがる山で、山中には古墳時代後期から飛鳥・奈良時代にかけて須恵器などを焼いていた「鏡山古窯址群」が数多く存在する場所となっています。



鏡は、かつて近江国から陸奥国へつながる東山道の宿場だったといい、1174年には源義経(牛若丸)が京都鞍馬から奥州への旅路に鏡の宿に泊まって元服したとの伝承が残ります。
その伝承により鏡神社の参道には“源義経 元服の地”ののぼりが連なり、義経と鏡の地とのつながりが今も残ります。



鳥居の手前には源義経「烏帽子掛けの松」の伝承があり、鏡の宿で元服した牛若丸がこの松枝に烏帽子を掛けて鏡神社に参拝し、源氏の再興と武運長久を祈願したとされます。
しかし、伝承の残る松は1873年に台風によって折損してしまい、現在は幹の部分だけが保存されています。



境内には祓を司どる」「祓戸大神」が祀られ、石碑と共に“祓を行う祓戸”が仕切られている。
境内の配置からすると、祓戸で穢れを落としてから本殿の3柱に参拝するということなのでしょう。



現存する本殿は、室町中期に建てられた建造物だとされ、重要文化財に指定されている。
本殿には主祭神の「天日槍尊」と配祀神の「天津彦根命」「天目一箇命」が祀られており、「天津彦根命」は隣市・近江八幡市の馬見岡神社の祭神と同じ。
「天目一箇命」も隣市・野洲市の三上神社の祭神と同じですから影響を受けあったことも考えられます。



鏡の宿は平安末期から鎌倉・室町時代までは宿場町として栄えていたものの、中山道が整備されたことによって「守山宿」と「武佐宿」の“間の宿”となったといいます。
国道8号線に沿って歩くと、“鏡の宿本陣跡”や“源義経 宿泊の館跡(白木屋)”の跡地を示す石碑や看板がありました。



ところで、鏡神社から数百m歩いた竜王山系の星ヶ峰(標高222.6m)には「西光寺跡」というかつての寺院跡があり、その遺構が残されています。
西光寺は伝承では最澄によって開基され、嵯峨天皇の勅願所として僧坊300を擁する大寺院であったといいます。
鎌倉時代から室町時代にかけては将軍などの宿陣は西光寺で行われることが多かったとされる歴史のある寺院のようです。



鉄柵を自分で開けて山の麓へと入っていくと、西光寺址の石碑と奥へと続く道がある。
入ってすぐの場所に「仁王尊」の御堂があり、奥のやや広がった場所には「石灯籠」「宝篋印塔」がある。
山を進めば「星カ崎古墳」や「星カ崎城址」があるといいますが、20~30分の山登りが必要だということで上へは登らなかった。



まず「仁王尊」のお堂へと参拝しますが、この御堂の中には石造仁王像が安置されています。
かつて仁王尊は阿形・吽形の2躰があり、西光寺の門前で守護していたと考えられますが、1躰は山崩れの際に地下に埋没されてしまったと伝わります。



石造の仁王像とは初めて見るように思いますが、扉を閉じられている。
横に法要の時の写真があり、格子の隙間からもお姿が見えましたので確認すると、この仁王石仏が阿形なのが分かります。





遠くからでもよく目立つのが、高さ282cmあり竿の部分が非常に長い「石灯籠」でした。
覆屋の中に保存された灯籠には1422年の銘があるといい、室町初期の作として重要文化財に指定されているそうです。



灯籠のは八角柱となっており、火袋には4面に蓮華座の上に立つ仏像が序られていて、優美な印象を受けます。
この灯籠はかつて星が峰の中腹にあった若宮王子神社本殿前にあったとされているが、荒廃したため現在地に移したといいます。



「石灯籠」から数mの所に向き合うように建てられているのは鎌倉後期に造られたという「宝篋印塔」の見事な造形です。
相輪上部は一部欠損しているものの、高さ210cmの塔は、二段の基壇・基礎・灯身・笠・相輪と造形も見事なら、バランスも非常に良い。
塔身だけが色の違うのがより美しく感じ、思わず見惚れてしまうような魅力があります。



塔身の四隅には鳥の彫刻・梟が彫られており、遺例としては珍しいものだといいます。
この造形を梟や鳥の姿と見るのは難しいが、かなりシンボライズされたものなのでしょう。



鏡山は標高385mの山で、山の中腹には巨石や磐座があり、廃寺址には摩崖仏などが残されているようです。
とはいえ、こんな道を一人ぼっちで登り山へ入っていくのはちょっと怖い。あっさりここで引き揚げます。



かつて栄えた西光寺は、今は遺構を残すのみで麓から眺めると、ただ低山があるのみ。
とはいえ、西光寺址の遺構の周囲はよく整備されており、地元の方の尽力が伺われる。



鏡山周辺地域には古墳が多く残されているといい、有力な豪族がいたことが伺われます。
湖東や湖南地域では渡来人が築いた文化や技術のようなものに出会う機会が度々あり、その痕跡を興味深く感じます。



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