超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

一休 -Cool Down-

2015-01-06 22:01:29 | 出来事
2015年明けましておめでとうございます。

自分の書き綴った記録を見ると、正月はだらだらと過ごし「お正月だよウルトラマン」をレポートして仕事始めとともに1年の抱負を語る、なんてパターンになっており、それらしい話はわずか一話程度で日常の与太話に戻っているようだ。今年は人生折り返し点でもあり、年末年始も例年と異なることが多かったから、あえて「テーマ」らしきことを書いておこうと思う。それぞれが世帯を持ってからくらいか、年末はとある同級生の宅に家族連れでお邪魔し(その年ほぼ最初で最後となるが)「旧知を温めた」後、大晦日は茅ヶ崎の実家で年越しを過ごしてきた。しかし昨年末は大いなる同窓会開催のため例年の忘年会は見送りとなった。また高校真っ盛りの息子甘辛がいよいよ「大晦日は(野郎ばっかだが)友達と過ごしたい」と言い出した。実は甘辛よりもはるかに年少の時の私も大晦日は夜な夜な出歩いていたから特には驚かなかった。

夜半に我が家のガーデンシェッドに仲良しの同級生が集まり、(テレビもないから)紅白を見るでもなく色々と「若者流行り」のゲームをして年を越し、初詣→初日の出というお決まりのコースだったようだ。電波時計で午前0時になった瞬間皆一斉にジャンプして「年越しは地球にいなかった」という漫画のようなプレーをやってのけた後、江ノ島神社に向かったらしい。すごい人の賑わいで、3つある宮でそれぞれ初詣を済ませチャリで海岸に行き、震えながら初日の出を待ったそうだ。実際は残念ながら初日の出は雲の中でよく見えなかったらしい。実は同様に初日の出を海岸で見逃した知人は真後ろに見える見事な世界遺産を写真に収め、とあるSNSにアップしていた。息子にとっては「物事を一方向だけ見ていると肝心なことを見逃す」という「法師of仁和寺」のような課題を残す初日の出だったろう。

甘辛一人ならもう放っておくのだが、離れといえど我が家でお友達と年を越すのは初めてなので「何かあったらご家族に申し訳ない」と妻はメインベース(いつから基地?)に残った。したがって我が家初となるが妻子とは別れ別れとなり、母親と二人で年越しを迎えることになったのである。しかし中高生の考えることというのはどの時代も似たようなもので、私と悪友達は女子でもいりゃー楽しかったろうが、やはり野郎連れで寒川神社→茅ヶ崎海岸というコースだった。真面目な甘辛たちと異なるのは暖をとるために近所で木片を集めて海岸で「たき火」を行い、さらに持って行った「嗜好性の強いエタノール性飲料水」で体内から温めたところである。甘辛は元日午前もあちこち遊び回り、徹夜明けで倒れ込むように一寝入りしてから合流するはずだったのだが、湘南地方はまさかの雪化粧!安全のため翌2日に新年の乾杯を行うこととなったのである。そして慌ただしく正月を過ごし、甘辛はサッカーチームの初蹴りに出かけて行った。驚くべきことに「お正月だよウルトラマン」のことは私すらすっかり忘れており、今年は行かずに終了してしまったのである。

私は昨年の正月、あまりの暴飲暴食の結果、激太りに悩まされた経験から、年末から注意深く冬眠前のクマとは真逆の「飢餓追込みコース」に走っていた。飲酒間食を抑え、年忘れスペシャルコンバットメニューとスーパー銭湯で汗を流した結果、まるでボクサーの減量のように通常期よりも4キロも絞った状態で大晦日を迎えた。前にも書いた通り、私が朝から酒を飲むのは正月だけだが、母と二人で退屈なのでスーパー銭湯に繰り出すとわずか2日間で早くも体重が元に戻ってしまっていた。。。これはいかぬ!昨年、元に戻すのに1月一杯かかった苦い記憶がよみがえり、新年開店早々のスポーツジムに向かったのだった。何せ今月末には恒例となった「湘南藤沢市民マラソン」がひかえている。11月末くらいからジョギングを始めていたのだが、忘年会続きで少し間が空いてしまった。私は普段ほとんど使わないランニングマシンに立ちゆっくり歩き始めた。目の前にあるテレビモニターを入れるとちょうど箱根駅伝の復路だった。

私はこのランニングマシンが大の苦手でテレビを見ながらでも、いつまでも時が進まない、相対性理論の言うところの「超高速の物体内」みたいな苦痛な時だったが、駅伝で走るランナーを見ながらならペースに乗れるかもしれない。しかも午前10時過ぎくらいで第八区(平塚-戸塚)で故郷茅ヶ崎海岸を先頭の青山学院の選手が爽やかに走っていた。そう言えばさっきから盛んにヘリの音がするし、もう少しですぐそばを通過するだろう。いつもなら30分くらいで嫌でたまらず止めてしまうのだが、とりあえず先頭ランナーがやってきて全てのランナーが遊行寺の坂に差し掛かるまで走り続けることに決めた。おーっ、今青山学院が「浜須賀」を曲がったぞ!甘辛の幼稚園そばから浜見山交差点、藤沢警察を通過して富士山の見事なJR高架橋を過ぎるとすぐに藤沢橋だ・・・

あと10分くらいかな、と画面を眺めて足を動かしていたら、先頭からは中継が離れてしまい、同じ茅ヶ崎海岸で東洋と明治の2位争いになっていた。ここに中継ポイントがあるのだろうか?その後も後位のランナーを次々に映し出して行った。徳光さんの(プライベート)応援もこのあたりではなかろうか。わーん、これじゃー先頭がどこまで走ったか分からないじゃんか。中継ポイントは別の場所に移ったようだ。ここはどこかな・・・おーっ、分かりにくいが「華屋与兵衛」の辺りじゃないか。その先太平橋を渡ると藤沢消防署でさっきバイクで通ったところだ。箱根駅伝は沿道にそれは多数の大学の幟が立ち並んでいるが、どこからどこまでが「どこ大学」と決まっているのかもしれないが、このあたりは「日大」の真っピンクの幟が並木のようにずらりと並んでいる。(200本くらいあるんじゃないか・・・)

先頭の青山学院に中継が戻った時は遊行寺の坂に差し掛かっていた。私が走り始めて60分以上たっており、そろそろ限界が近づいてきたようだ。青山、東洋、明治、駒沢、早稲田・・・上位大学OBの知人が目に浮かぶ。。。(アイツ、喜んでるだろなー)箱根駅伝でしか名前を知らない大学も多い中、初出場でがんばる創価大学を見届けてランニングマシンを降りた。時間は75分、距離にして約13キロ・・・何か途中から盛り上がってしまい、自分のペースもかなり上がっていたようだ。ストレッチコーナーに寝っ転び、膝、股関節を念入りに伸ばし、腰を曲げて両足を捻った瞬間・・・信じられないことが起こった。「パキンっ」という乾いた感触の後、背中と腰に激痛が走ったのである。私はそのまましばらくマットの上に突っ伏ししばらく動くことさえままならなかった。。。しばらく痛みに耐えて起き上り、恐る恐る動かしてみるとこれは記憶にある痛感だ。グンマ県民マラソンの前に張り切って練習し過ぎて発生した腰痛とほぼ同じである。たぶん「運動のし過ぎによる年齢的な軟骨の軋みによる痛み」が再発したのだろう。のろのろとロッカールームに戻り、風呂で温めて帰宅すると・・・さらにテレビに映っていた箱根駅伝ではさらに耳を疑うようなことが起こっていた!

あり得ない・・・やはり今年は何かが違う。。。私はここに至り、いつも自然体のノリだけで決めていた「その年のテーマ」をはっきり感じ取るのである。20年ぶり270名の大同窓会では特に男子に「変わっていない者」と「激しく変わった(はっきり言えば変わり果てた)者」がずばり分かれて見てとれた。息子甘辛は(少し遅まきながら)成長し、年末年始はもう親達とは過ごさなくなった。運動不足ではないのに正月早々この激痛、そして箱根駅伝では初めて見る姿が・・・人生初(当たり前か!)の折り返し点、これらから導かれた今年のテーマは「一休 -Cool Down-」であった。別にこれまでの道のりに疲れてしまったわけではない。郵送で届いた「脳ドック」結果報告書では先の人間ドックに輪をかけたくらいドラゴンボールで言うところの「セル完全体」、回遊魚系体質はさらに磨きがかかり、休日の「レジャーのトライアスロン」などざらである。

エキサイティング好みの「生き急ぎ」スタイルでさらに上り坂にいると実感する今、ここで敢えて「ブレーキを踏む。」「あそびを設ける。」「一休みする。」「一球遊ぶ。」「力を抜きリラックスする。」
コンバットトレーニングのインストラクターがよく仰る。「運動している時は『喉が渇いたな』と感じる前に休んで水分補給が必要だ。『渇いた』と思った時はもう遅く、脱水になっている」「トレーニングにはCool Downが大事だ。ずーっと負荷をかけ続けているといずれ摩耗が強化を上回ってしまう」
何事もそうだが車の運転ではステアリングを切る時に「アソビ」が必要だ。「サーキットの狼」に登場する「ロータスヨーロッパ」というスーパーカーは拳1個分動かせばまる一台分車線を変更できたが、そんな「アソビ」では現実は転倒してしまう。。。
私はスポーツにも仕事にも割と「力技」が多い。「磯辺さん、ゴルフは腕力じゃないよ。」と言われ続けて1年半、ひょんなきっかけからドライバーのティーショットを全く力を抜いた「ゆるゆるショット」で打ってみたらびっくりするほどよい球が飛び、これを繰り返し練習して高いフェアウェイキープ率を確保できるようになった。

このブログは頭の中に浮かんでは普通、消えてしまうよろず事を活字にして書き留めると同時に「なるほどこういうことだったのか」と整理する目的が強い。(その割にはほとんど読み返すことがないけど)
あるブログサイトで「今、ここ、わたし」という思想家のくだりを見たことがある。一言で表すと「幻想を捨てなさい」ということだけれど「『今』でない、いつかもっと素晴らしい日がやってくる幻想」「『ここ』ではないどこかにもっと居心地のよい場所がある」「『わたしでない』別の自我が花開く」という幻想を持っているといつまでたってもギャップに苦しむというのである。「い・ま・を生きる」とか「こ・こ・が全て」とか「わ・た・しを受け入れろ」という肩に力が入った話ではない、「まあ、こんなもんだわな・・・」というこの下りが何となく好きだった。放っておくとまだまだ「回遊しちゃうでぇ」という中畑清さんばりのいつでも波動砲発射可能状態で、「機関出力50%へ制御」というのはいかにもへそ曲がりの天の邪鬼だが、終わってみると「なーんて言いながら結局山盛りだったわな」という年末と「実はあん時が一番の変曲点だったよな」と10年後に振り返りそうな予感がするのである。まずは年頭にあたり杖の頭にドクロをしつらえ、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩きつつ・・・
「あわてない、あわてない。。。ひとやすみ、ひとやすみ・・・」 by一休宗純

今年はまたペース緩めるかもしれませんが、「超兵器」をよろしくお願いします。


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