超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

部活やめるってよ。

2013-09-28 09:06:58 | 書籍
変わったタイトルだなー、と思った。まるで「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」みたいな奇抜さが全面に出たようなノリだ。どこかのサイトで見たのが記憶に残っていたのだが、どこで見たのか思いだせなかった。ひょんなことから思いだし、知人のFBにあったのだった。世間のレビューを見ると評価が分散されているが、「ああ、こういうの高校時代あったあった〜、こういう気持ち分かる分かる〜」って感情移入してぐいぐい読めた、というので俄然興味が湧いてきた。
昔はそうではなかったが、私の読書は完全他力本願で「誰かが面白い」とコメントした著書は無批判で読むことにしている。共感を得ても、そうでなくてもそれについての「語り」が始まるからである。そして何となくだが、「多くの人が同様に共感・感動する著書」よりも、多数の人が「ああでもない、こうでもない」と喧々諤々議論する作品の方が『深い』感じがする。

ちなみに今回の図書は「桐嶋、部活やめるってよ」というものである。「部活」と言うくらいだから高1の息子に知ってるか聞いたら、タイトルは知っているがあらすじは知らぬという。とりあえず読み始めてみると、「とある高校生」の赤裸々な思いや生活がまるで短編集のように飛びこんできた。タイトルにあるバレー部のキャプテン「桐嶋」は少ししか出てこずに、その補欠だった者や彼の友人に憧れている女子、映画部の目立たないクラスメイトやバレー部のレギュラーの彼女、同じくバレー部のイケ面っぽいヤツ、映画部男の中学時代のヒロイン・・・、昔「笑点」のスポンサーだったサントリーの「ロイヤル」のCMの世界のようだった。淡々とぼーっと読んでいたら、何がなんだかさっぱり分からぬ話だったが、途中からようやく「ああ、カメラの角度と視線を変えてるんだな」というのが理解できた。

  

まず驚いたのが(人間ドックでも指摘さtれないが)、自分の読書における「シーン想像力」が格段に衰えていることである。すっかりコミックに慣れてしまっており、推理小説のように突然局面(と言うよりこの場合は「カメラの中心人物」)が変わってしまうと場面を想像することができなくなっている。私は火曜サスペンス劇場にあった小京都ミステリーで片平なぎさが事件の登場人物を紙に書き出すように「人間関係図」を作りだした。恋愛関係ならハートマーク、片思いなら→付き、敵対関係なら×、その他関係線には「クラスメイト」「部活仲間」「中学同窓生」などと書き出してみる。「●●事件捜査本部」のホワイトボードなら顔写真をピンで貼りたいところだ。読み進めるのはあっという間だが2回くらい読み返してようやく、誰と誰がどうなっているのか、そもそもこの本って何が言いたかったのか何となく感ずるところ得られる「手間のかかる書物」だった。「んっ?ちょっと待てよ・・・そうすると、亜矢と涼汰はお互いに知らないが両想いということか?」なんて調子になる。

あらすじだけ活字にする(しないけど)と実に「なんてことはない」物語である。桐嶋というバレー部のキャプテンが、その「熱さ」?からチームで浮いてしまい、ついには辞めてしまうのだが、そのこと自体が多数登場する男女生徒に直接影響するわけでもなく、単なるトリガーのようだ。おっさんが数十年前を懐かしみながら「きょうびの高校生は・・・?!」とハッとするようなものでもない。
あくまで個人的な感覚では「学校(生活)」というものは数十年単位で見ても、社会の変動に比べて根底は大きく様変わりしないものだ。だから「我々の時代は・・・」と昔を偲ぶよりは、直接比べることができる。特に「部活」なんてものは炎天下でも「水分禁止」だった以外、はほとんど変わっていないように思う。

菊池宏樹というのはこの著書で二つの単元にまたがって登場するから、たぶん主人公級なのだろう。スポーツは万能、高校ではたまたま野球部に入ってるだけで主力選手だが、練習はまじめに出ない。イケメンでクラスでも「上層部」におり、彼女は見目麗しい美少女。。。羨ましい限りのシチュエーションだが、彼にはクラスでも目立たない(女子に言わせると冴えない)映画部男子が自分の好きなことに打ち込んでいる姿を見て「光」に見える。このあたりがこの著書の「肝」なのか。面白かったのは「誰が自分より上で誰が下か教室に入った瞬間に分る」という感性だ。運動が得意でスポーツの場面では活躍し、見た目がよくクラスで目立つヤツが上で、そうでない者は(その他大勢のようだが)下だと言うのである。私の経験から言えばこの高校「進学校」ではないね。公立進学校の入学は普段からの「内申点」が幅を利かすから、中学時代にそれこそ「何でもデキた」ヤツが集まってしまう。丸めて見れば私もそのクチではあったが、下層で通過した集団だったから教室に入った時、クラスの連中は誰もが自分より「すごいヤツら」に見えたものだ。

この本の菊池宏樹クンという高校生はずいぶんと純朴だ。私は思い返すと「菊池」時代は小学校で終わってしまったからである。小学生時代(ガキの頃と言ってよい)は自分で言うのもなんだが、運動だけでなく虫捕りやアウトドアアトラクションなどおよそ子供社会で流行っている「遊び」に関しては私は「万能」だった。「ドブ川球場」というただの広っぱで草野球に明け暮れていた頃である。むろん野球もお得意技だったから当時隆盛を極めていたスポーツ少年団に入団した。関東エリアでも上位に行く競合チームでも最初は主力にいたが、何せ地区ごとではまさしくヒーローばかり集まるドリームチームだから、花形サード4番から外野、ライパチ(ライトで8番)そして6年Aチームではベンチ入りはするが補欠になってしまった。そこで「得意なヤツばかり集まった世界では勝てない」ということを悟ってしまうのである。チームメイトのレギュラー陣は中学校では皆「野球部」に進んだが、私や一部の補欠仲間はサッカーへ転向した。

中学の教室に「目立つヤツ」は確かにいたような気がする。運動部で活躍し見た目もよくて話が面白く女子に人気、という者がクラスの中心に何人かいた。私は彼らの人気にあやかるように同じようなグループに何となくいたが、乱暴で物をよく壊し職員室に呼ばれたので、別の意味で目立ってはいた。女子からは「野蛮人」を見るような視線を感じ、物珍しさ、怖い物見たさはあってもモテることはほとんどなかったが、運動系はまだ何でもできたので体育の成績はほぼ満点だった。「スポーツ万能でも決して女子にモテるとは限らない。どうも気配りや清潔さが大事なようだ」というのは私が息子甘辛に伝える経験値からの教訓である。この本のように高校というステージになると、先に書いたように何をやっても「上層」にいたヤツらばかりで特に女子などは全員自分よりも「勉強ができる」人に見えた。勉強だけでなく体育も「5」だった者が多いから、「運動部でなければ存在感が希薄」という風潮はあったが、球技に関しては割りとイケていたのでサッカーをはじめ「対組競技」という昼休みと放課後部活時間までに約1ヶ月にわたって行われる球技大会では活躍の場がたくさんあった。

中高と続けてきたサッカーだが「桐嶋」のように他を忘れて「打ち込んでいた」わけでもない。かと言って他のスポーツに新たに挑戦しようなどとは全く考えてもみず、ただ当たり前のように疑問も感じずに部活を続けていた。練習は例の「水分禁止令」の影響もあり、帰宅するとぐったり寝てしまうくらいキツいものだったし、部活動必須ではないからさっさと「帰宅部」に加入し、バイトに明け暮れてオートバイを買うクラスメイトもいた。今になってみるとディフェンスというポジション独特の淡白さというのだろうか?中高とも1年後半から新チームのレギュラーで試合に出るだけでもありがたいものだが、サッカーそのものを印象強く面白いとはあまり思わなかった。今でこそ長友選手のように果敢の攻撃の軸として参加するが、昔は分業が徹底していてディフェンスは相手チームで言う所の一番うまいヤツに絡みつきボールを奪って外に蹴りだしたり、たまに味方につなぐだけで、基本「楽しくはない」のである。

一番楽しみだったのは試合のため他校に行ったり、来たりした時に中学時代の知人と顔を合わせることだった。サッカーで元チームメイトと敵としてピッチに立つのはもちろんのこと、屋外で行う野球やテニス、体育館で見えるバスケなども同窓生を見ると男子でも女子でも「おーっ、アイツもがんばってんな」と声を掛けたくなったものだ。しかし実に不思議なことに中学は市大会で優勝するくらいのレベルであったのに、高校入学して1年たつと部活でサッカーを続けているのは何と大して燃えていない「私だけ」になってしまった。私はこの後卒業してから6年間も一応ガチにサッカーを続けることになるのである。

サッカーに対しては思い入れが少なく、中途半端だった私が何となく社会人になるまで続けてしまうのである。この本を書いた時、作者はほぼ登場人物と同じ世代だったと聞く。10代でこんな観察ができるのだから恐ろしく生々しく鋭い感性だが、実は教室というものには「何でもできるヒーロー格だが打ち込めるコトが無い人」と「見た目、目立たない存在が脇目もふらず何かに打ち込んでいる人」というのは希少で、大半の人は私のようにあまり考え込まず何となく続けているのではあるまいか?そしてスポーツに限らず何をやっても平均かそれを少し超えるくらいできるが、極めることができない「そこそこ症候群」は生まれて半世紀近くたっても引きずることになる。

その点、息子甘辛は見事なものである。聞くとクラスの中心人物ではないようだが、菊池宏樹のように何でもスポーツはできる(自称)が、受験だろうが具合が悪かろうが何の疑念もなくサッカー一筋で、今後もずーっと続けるつもりのようだ。この本に登場しないスタイルであり、興味を持たないわけだ。プロにでもなるなら別だが、そうでなければ「続ける」ということ自体はそれほどこだわる必要はない。「何かに打ち込んでいる」のが大事なのであって、同じことである必要はないと思うからだ。何事も「そこそこ」できちゃった人生中途半端な私の正直な読書感想である。この作品は映画にもなったと聞く。一体誰が演じたのか、私がこの本に対してもったイメージが目で見る映像になって立体化したもの見るのがこれまた面白い。「水分禁止令」「マネージャーって?」「キャプテンって?」「引退が決まった時にどんな気持ちだった?」元部活er(ブカチャー)と1回語らいたいものだ。


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4 コメント

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Unknown (小夏)
2013-10-06 21:40:39
師匠、お久しぶりです(^^)/
一回目読んだとき、映画のサイトに行って帰ってこられなくなりましたー(笑)
師匠のおっしゃる「一番楽しみだったのは試合のため他校に行ったり、来たりした時に中学時代の知人と顔を合わせることだった」って、この先長い人生でとても大切なことを学ばれたのでしょうないでしょうか^^

海外ご出張の後編、眼からウロコでしたし見方が変わりました。
サザンのコンサートも臨場感ありありで私も参加したかのように楽しく拝見しました~♪

昔のゼリーの件ですが、話を振られた友人たち数人が「そういうのあった、、けど思い出せないぃ~~」ともがき苦しんでおります。そして必ず「わかったら教えてね」と、付け加えてきます ニヒヒ
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Unknown (磯辺太郎)
2013-10-07 14:47:25
小夏様

映画のサイトにいらしたんですか。私もそのうちDVDを借りて見てみたいと思っていました。他校で元クラスメイトと顔を合わせた時の不思議な高揚感は「人生でとても大切なこと」だったんですね。お恥ずかしいことに今の今まで「学んだ」とは思ってもいませんでした。。。
出張先だった、かの国からはトレーニーが3人ほどこちらにやってきます。私とコンタクトがあるかどうかはわかりませんが、「お祈り」のための部屋を用意してあげるんだそうです。
コンサートはWOWWOW放映されたものをDVDにして友人が皆、見たそうですが残念ながら私達は映っていなかったそうな。(当たり前か?!)

ゼリーはお台場にある「一丁目商店街」で探してみようと思います。昭和初期のお菓子、たくさん売ってるんです。わかったら報告しますね。
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Unknown (KICKPOP)
2013-10-14 12:39:39
磯辺師匠、小夏師匠、お久しぶりです~。すっかり「ネット無精」になっておりました、、、

タイトルを読んで、「え!?甘辛君、部活やめちゃうのおおおおお!?」と驚いてしまったのですが、そうですよね、サッカーに打ち込んでいる甘辛君、やめるわけがありませんよね(デンバーのおばさん、ほっとしました・笑)!何かに打ち込めるって素晴らしいことだと思います♥

師匠はきっと器用に何でもこなされるタイプなんですね♪不器用な私はちょっとうらやましいです♪
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Unknown (磯辺太郎)
2013-10-14 18:25:55
KICKPOP様

師匠、お久しぶりでいらっしゃいました。(実は私もものすごく更新サボっておりましたぁ)
タイトルが中途半端になってしまいましたね。
息子は熱出して学校や塾は休んでも、部活だけは休まない打ち込みようです。(普通逆だよなー)
この熱意を勉学に傾けて欲しいと親は願っています。
(でもおっしゃる通り、ずーっと打ち込んでもほしいです。ホント、羨ましい~)

私は正直、器用ではないのですが、子供の時にいわゆる今時の「スポーツ」と裸足で駆け回る「遊び」を両方こなした最後の世代かも。。。そこそこできるのは、自然に鍛えられたアジリティの恩恵だと思います。私は師匠の柔軟さがどうにも羨ましいんですよ。
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