先般、紹介した「もういちど読む山川日本史」を一通り読み終えた。さすがに寝る前に寝転びながら読み進めてもあっという間に睡魔に襲われてしまい、電車の中だけで一気に読み進めただけなのでずいぶん時間がかかってしまった。記憶力が優れているわけではないが、学校で日本史が必須教科だったから、一度習ったことは何となく甦るものだ。「おーっ、こういうのあったなー!」「ちょうどこれを習っていたとき関東大会予選でPK負けしたよなー」「ちょうどこのあたりはつまらなくて、内職で磁束密度『テスラ』とか覚えてたなー」・・・どうでもいいエピソードばかり甦るものだ。
今にして思うと、中学高校で履修した教科はいくつかのジャンルに分類されるような気がする。
●その先、実用性が一番実用性が高くともすると知的成長よりは実利が優先される・・・・・・国語、英語
●一部の人の特定の分野には高い意義があるが、それ以外は忘れても全然問題ない・・・・数学、物理、化学
●身体の動きを通してセンスを磨き、あわよくば開花させてその道に進む・・・・・・・・・・・・・・・体育、音楽、美術
その中で「史学」というのは、どんな意味合いを持っているのだろうか?考えてみれば不思議な学問である。何せ過去に「終わってしまったこと」なので、タイムマシンでもない限り真実は確認しようがないからだ。
ぱっと思いつくのは
・日常の仕事などの中でさりげなく、歴史上の単語をちらつかせると知性的に見えてかっこいい。
・歴史的名所やアイテムなどに触れ、由縁たる過去の人物に想いを馳せると心が豊かになる気がする。
もうちょっとちゃんと言うと「そこそこ住みやすい『今』に至るまでの愚劣かつ血塗られたプロセスを学び、これからを『より良く』する糧とする」
個人的には人類学に近い「かくも人間とは愚かなものか」というのを学ぶ学問に見える。律令国家に武家社会、幕藩体制に大日本帝国・・・ごくごく近い過去を「古き良き時代」と言う人もいるが、歴史に虐げられ犠牲になった数え切れない人達の今からは想像もできない苦悩を思うと、過去に帰りたいなどとは絶対に思わない。そして国史の学び方も「ちょっと違うんじゃないか?!」というところがある。
以前、テレビで「スーパー小学生vs芸能人クイズ対抗戦」みたいな番組があった。小学生は有名私立校で既に難関大学を志望としている秀才揃いで恐ろしく賢そうな顔つきで皆眼鏡をしている。(芸能人の出演者は忘れてしまった)
どこかで書いて記憶もあるのだが、その中でこういう問題があったのである。「自由民権運動の板垣退助が暴漢に襲われた後に語ったとされる名言は何か?」
タッチの差で芸能人チームが回答した。「板垣死すとも自由は死なず」しばらくして正解のピンポーンが鳴り響いた。その直後、眼鏡のスーパー小学生から自信たっぷりの「物言い」がつくのである。「違うよ。『板垣死すとも自由は死せず』だよ」
私もそう記憶していたし教科書にもそう書いてあった。正解は覆らなかったが、ものすごい違和感(というより正直背筋が寒く)を感じたものだ。この子はこんなに幼い頃から「歴史」を学ぶことの意味を履き違えているような気がする。。。
私は歴史そのものを読み解いたりずるのは大好きなのだが、科目としてお勉強する気にはならなくなったトラウマ的エピソードがある。中学生のときに第2次世界大戦あたりの歴史がテスト範囲になっていて、その辺の著書も元々読み漁っていたから絶対の自信をもって臨んだことがあった。答え合わせなど必要なく満点以外はありえないと思っていたのだが、信じられないほど無残な結果だった。むろん小さな見落としもあったのだが、最もショックだったのが「ナチス党」と「ソビエト」と書いた回答が×だったこと。。。
ナチスとは「国家社会主義ドイツ労働者党」のことだと教科書には書いてあった。つまり「ナチス党」と記述すると「党」がダブってしまうので正しくないと言うのである。
ソビエト社会主義共和国連邦、又はソ連が正解なのだが、「ソビエト」というのは本来はロシア革命のときに作られた労働者・農民などによる評議会を言い、国家は表していないと言うのである。
その後、読んだ書物などにもナチス党という記述はあったし、国家として「ソビエト」とニュースでアナウンスするのも聞いた。まるで上記のスーパー小学生と言っていることは同じではないか・・・
そんな歴史の勉強に当時反抗期にいた私は思い切り「くだらなさ」を感じてしまい、以後真面目に勉学に励むフリだけして入試に出る事項だけを覚え、後はきれいさっぱり記憶から捨て去ってしまったのである。
「責任者出てこぉーい!」の世界である。今からでも遅くないから、あの時のテストの回答を○として欲しいマジで思う。(これはプライドの問題だー)
つい熱くなってしまったが「もういちど読む山川日本史」の続きは鎌倉幕府以降である。
蒙古襲来の後に鎌倉幕府が傾いてやがて滅亡、その時に活躍して室町幕府初代将軍となったお笑い芸能人の○○みたいな足利尊氏の像画は近年、ただの騎馬武者像と呼ばれ尊氏ではないとされているようだ。画像の上に尊氏の子、義詮の花押があったかららしい・・・長い間「足利尊氏」と思っていた、背中に矢が刺さっている像である。(誰もが見た記憶があろう・・・)
護良親王も(もりなが)と読んでいたのだが、今は「もりよし」と呼ぶ根拠資料があるらしく但し書きになっていた。
建武の新政から南北朝の騒乱、室町幕府あたりはややこしくて、あまりじっくり読む気がしないのだが、誰もが一度は足を運ぶ鹿苑寺金閣の北山文化・・・「侘び寂び」の好きな日本人には賛否あるようだが、「外国人の友達が来日したら見せてあげたいもの」といったら金閣寺が筆頭だと思う。修学旅行でも何でも何だかんだ言ったってあのインパクトは忘れられないものだ。(他にすごいのを見てないからかもしれないが)
ただどういう訳か仲間内では慈照寺銀閣の方が人気があったような気がする。(両方とももう一度見に行きたいなー)
戦国時代、安土桃山時代などは物語としては飽きるほど読み尽くしているから語らないが、その豪華絢爛な文化はぜひあらためて触れてみたい。安土城がないのが残念だが、初めて南蛮文化(言い方が変だけど)と融合した様々なモノにはすごく興味をそそられる。教科書の構成ではこのあたりから「近世」という分類になる。息子甘辛が先日行った修学旅行で撮ってきた二条城の写真と全く同じものが本に載っていた。(あの角度が定番なのね)
TBSで3夜連続で放映された「関ヶ原」は今でも日本の歴史テレビ番組史上の最高傑作だと思っている。
徳川幕府の政権が安定し農民生活の細部まで規定した「慶安の御触書」は1637年制定と習った記憶があるが、近年の研究ではもっと後になっての法令らしい。ちなみに社会の授業でこの法令について指され、大真面目に「慶安のお『さわり』書き」(何ていかがわしい響きだ!)と答えてしまいクラス中を笑いの渦に巻き込んでしまった苦い思い出がある。江戸時代そのものにはあまり興味が沸かないのだが、「江戸」という都市の風水上の設計思想や霊的な位置づけには予てから造詣を深めたいと思っている。
幕末・維新にかけては日本史上最もエキサイティングな歴史として語るに尽きないが、「坂の上の雲」にあるように実はその後が最も将来に関して参考になるような気がしている。冒頭のくだりが実に印象的で不滅の名作だと思う。(NHKドラマとしても放映されていた)
「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。小さな、といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の読書階級であった旧士族しかなかった。明治維新によって、日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。・・・・・彼らは明治という時代人の体質で、前をのみを見つめながら歩く。上って行く坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。」
むろん当時の列強欧米の事情に左右されてはいたと思うが、個人的には「日英同盟」というのは、外交のヘタなこの島国の唯一とも言ってよい成功例ではないかと思う。年齢的には「明治の人」とはもうほとんどいらっしゃらいないだろう。はるか昔話として忘れないうちにその「気質」を受け継がなければならないと感じる。。。。なんてことを書いていたら「坂の上の雲」を再び見たくなったのでDVDを借りてこよう。。。
今にして思うと、中学高校で履修した教科はいくつかのジャンルに分類されるような気がする。
●その先、実用性が一番実用性が高くともすると知的成長よりは実利が優先される・・・・・・国語、英語
●一部の人の特定の分野には高い意義があるが、それ以外は忘れても全然問題ない・・・・数学、物理、化学
●身体の動きを通してセンスを磨き、あわよくば開花させてその道に進む・・・・・・・・・・・・・・・体育、音楽、美術
その中で「史学」というのは、どんな意味合いを持っているのだろうか?考えてみれば不思議な学問である。何せ過去に「終わってしまったこと」なので、タイムマシンでもない限り真実は確認しようがないからだ。
ぱっと思いつくのは
・日常の仕事などの中でさりげなく、歴史上の単語をちらつかせると知性的に見えてかっこいい。
・歴史的名所やアイテムなどに触れ、由縁たる過去の人物に想いを馳せると心が豊かになる気がする。
もうちょっとちゃんと言うと「そこそこ住みやすい『今』に至るまでの愚劣かつ血塗られたプロセスを学び、これからを『より良く』する糧とする」
個人的には人類学に近い「かくも人間とは愚かなものか」というのを学ぶ学問に見える。律令国家に武家社会、幕藩体制に大日本帝国・・・ごくごく近い過去を「古き良き時代」と言う人もいるが、歴史に虐げられ犠牲になった数え切れない人達の今からは想像もできない苦悩を思うと、過去に帰りたいなどとは絶対に思わない。そして国史の学び方も「ちょっと違うんじゃないか?!」というところがある。
以前、テレビで「スーパー小学生vs芸能人クイズ対抗戦」みたいな番組があった。小学生は有名私立校で既に難関大学を志望としている秀才揃いで恐ろしく賢そうな顔つきで皆眼鏡をしている。(芸能人の出演者は忘れてしまった)
どこかで書いて記憶もあるのだが、その中でこういう問題があったのである。「自由民権運動の板垣退助が暴漢に襲われた後に語ったとされる名言は何か?」
タッチの差で芸能人チームが回答した。「板垣死すとも自由は死なず」しばらくして正解のピンポーンが鳴り響いた。その直後、眼鏡のスーパー小学生から自信たっぷりの「物言い」がつくのである。「違うよ。『板垣死すとも自由は死せず』だよ」
私もそう記憶していたし教科書にもそう書いてあった。正解は覆らなかったが、ものすごい違和感(というより正直背筋が寒く)を感じたものだ。この子はこんなに幼い頃から「歴史」を学ぶことの意味を履き違えているような気がする。。。
私は歴史そのものを読み解いたりずるのは大好きなのだが、科目としてお勉強する気にはならなくなったトラウマ的エピソードがある。中学生のときに第2次世界大戦あたりの歴史がテスト範囲になっていて、その辺の著書も元々読み漁っていたから絶対の自信をもって臨んだことがあった。答え合わせなど必要なく満点以外はありえないと思っていたのだが、信じられないほど無残な結果だった。むろん小さな見落としもあったのだが、最もショックだったのが「ナチス党」と「ソビエト」と書いた回答が×だったこと。。。
ナチスとは「国家社会主義ドイツ労働者党」のことだと教科書には書いてあった。つまり「ナチス党」と記述すると「党」がダブってしまうので正しくないと言うのである。
ソビエト社会主義共和国連邦、又はソ連が正解なのだが、「ソビエト」というのは本来はロシア革命のときに作られた労働者・農民などによる評議会を言い、国家は表していないと言うのである。
その後、読んだ書物などにもナチス党という記述はあったし、国家として「ソビエト」とニュースでアナウンスするのも聞いた。まるで上記のスーパー小学生と言っていることは同じではないか・・・
そんな歴史の勉強に当時反抗期にいた私は思い切り「くだらなさ」を感じてしまい、以後真面目に勉学に励むフリだけして入試に出る事項だけを覚え、後はきれいさっぱり記憶から捨て去ってしまったのである。
「責任者出てこぉーい!」の世界である。今からでも遅くないから、あの時のテストの回答を○として欲しいマジで思う。(これはプライドの問題だー)
つい熱くなってしまったが「もういちど読む山川日本史」の続きは鎌倉幕府以降である。
蒙古襲来の後に鎌倉幕府が傾いてやがて滅亡、その時に活躍して室町幕府初代将軍となったお笑い芸能人の○○みたいな足利尊氏の像画は近年、ただの騎馬武者像と呼ばれ尊氏ではないとされているようだ。画像の上に尊氏の子、義詮の花押があったかららしい・・・長い間「足利尊氏」と思っていた、背中に矢が刺さっている像である。(誰もが見た記憶があろう・・・)
護良親王も(もりなが)と読んでいたのだが、今は「もりよし」と呼ぶ根拠資料があるらしく但し書きになっていた。
建武の新政から南北朝の騒乱、室町幕府あたりはややこしくて、あまりじっくり読む気がしないのだが、誰もが一度は足を運ぶ鹿苑寺金閣の北山文化・・・「侘び寂び」の好きな日本人には賛否あるようだが、「外国人の友達が来日したら見せてあげたいもの」といったら金閣寺が筆頭だと思う。修学旅行でも何でも何だかんだ言ったってあのインパクトは忘れられないものだ。(他にすごいのを見てないからかもしれないが)
ただどういう訳か仲間内では慈照寺銀閣の方が人気があったような気がする。(両方とももう一度見に行きたいなー)
戦国時代、安土桃山時代などは物語としては飽きるほど読み尽くしているから語らないが、その豪華絢爛な文化はぜひあらためて触れてみたい。安土城がないのが残念だが、初めて南蛮文化(言い方が変だけど)と融合した様々なモノにはすごく興味をそそられる。教科書の構成ではこのあたりから「近世」という分類になる。息子甘辛が先日行った修学旅行で撮ってきた二条城の写真と全く同じものが本に載っていた。(あの角度が定番なのね)
TBSで3夜連続で放映された「関ヶ原」は今でも日本の歴史テレビ番組史上の最高傑作だと思っている。
徳川幕府の政権が安定し農民生活の細部まで規定した「慶安の御触書」は1637年制定と習った記憶があるが、近年の研究ではもっと後になっての法令らしい。ちなみに社会の授業でこの法令について指され、大真面目に「慶安のお『さわり』書き」(何ていかがわしい響きだ!)と答えてしまいクラス中を笑いの渦に巻き込んでしまった苦い思い出がある。江戸時代そのものにはあまり興味が沸かないのだが、「江戸」という都市の風水上の設計思想や霊的な位置づけには予てから造詣を深めたいと思っている。
幕末・維新にかけては日本史上最もエキサイティングな歴史として語るに尽きないが、「坂の上の雲」にあるように実はその後が最も将来に関して参考になるような気がしている。冒頭のくだりが実に印象的で不滅の名作だと思う。(NHKドラマとしても放映されていた)
「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。小さな、といえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の読書階級であった旧士族しかなかった。明治維新によって、日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。・・・・・彼らは明治という時代人の体質で、前をのみを見つめながら歩く。上って行く坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。」
むろん当時の列強欧米の事情に左右されてはいたと思うが、個人的には「日英同盟」というのは、外交のヘタなこの島国の唯一とも言ってよい成功例ではないかと思う。年齢的には「明治の人」とはもうほとんどいらっしゃらいないだろう。はるか昔話として忘れないうちにその「気質」を受け継がなければならないと感じる。。。。なんてことを書いていたら「坂の上の雲」を再び見たくなったのでDVDを借りてこよう。。。
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