熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

安野光雅著「空想亭の苦労噺」

2017年04月24日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本を書き始めた頃は、のんきに構えていたが、一年の間に、人の命について考えさせられることが色々起こって、編集者に、「苦労が絶えませんねぇ」と言われて、その通りだと、「空想亭の苦労噺」と言う書名にしたと言う。
   オランダ苺が、根元からランナーを伸ばして子株を生んで命を繋ぐのを考えるうちに、未来の子供のことに思い至り、負債を未来に託そうとする大人の責任を感じないわけには行かないと、論語の、
   子、川の上に在りて曰く、逝く者は斯の如きかな、昼夜を舎かず。
   を引用して、あとがきを締めくくっている。

   しかし、最後は、一寸、湿っぽくなっているが、全編、軽妙なタッチで繰り広げられる愉快な安野光雅版の落語の高座なのである。

   安野光雅の著作を見たり読んだり、展覧会に行ったり、昨年、津和野に行ったときに、「安野光雅美術館」を訪れるなど、結構、ファンとして、注目して対しているのだが、大の落語ファンだとは知らなかった。
   東京へ出る前から落語が好きで、東京へ来てからは、主に新宿の末広亭に良く通い、すっかり落語にかぶれて、とうとう、落語の言葉でものを考えるようになった。その好きな落語言葉でしゃべると、どんなことでもしゃべれて、楽しい世界へ入って行けるような気がするので、田舎弁は一時しまっておいて、落語弁で考えようと、この本を書いた。

   定吉と言う若い雇人との会話を交えながら、落語口調で、どこまでが本当でどこからが空想なのか、虚実皮膜も良いところで、落語のネタと自身の人生とを綯い交ぜにしながらの半自伝で、味があって面白い噺を展開していて読ませてくれる。
   子供の時分から、空想が趣味で、起きてて見る夢みたいなもので、第一カネがかからない、ただで映画や芝居を見ているようなものだと言う安野先生であるから、
   冒頭から、湯屋番になって粋な女客の姐さんに見初められる空想をして番台から転げ落ちると言う落語の「湯屋番」さながらの世界を現出する。
   
   「湯屋番の自伝」ならよいか、と、唆されて、憧れとか空想とか、嘘でもよいから集めて書こうと、仕事場のビルの最上階の喫茶店から見下ろした東京の街の、焼け野原の雑踏する戦後の人間模様を思い出しながら書き起こして、上野、骨董市、池之端・・・
   黒門町の師匠・文楽の話になると、一気にテンションが上がって、一番好きな「寝床」が脳裏に浮かび、定吉を、「親方が、落語でもってご機嫌をお伺いしたい」と、近所を回らせるのだが、皆擦った転んだと言って断られる噺を、噺家そこのけで語る。

   嘘か本当か分からないのだが、会津八一の歌「大寺の丸き柱の月影を踏みつつものをこそ思へ」に託して、美人の琵琶の演奏家への思いを、「愛染かつら」ばりの話に設えたり、「恋文」の微妙な話や、「男はつらいよ」を語るのだけれど、安野先生の色恋の話は、尻切れトンボで良く分からない。

   二等兵物語から、独自に編み出して作り出した自家製サプリメントの話、笠碁・・・等々、とにかく、落語の世界と混在した話術の冴えは流石で、現代家族模様を描いた新作落語で面白い文枝なみに、安野先生が、蘊蓄を傾けて、新作落語を作出すれば、素晴らしい作品が生まれるような気がする。
   もう少し、アイロニーとウィットに富んだ、そして、もう少し、文化と芸術の香りがする格調の高い新作落語が生まれるであろうと思う。

   最終稿に近づいて、弟さんの死に直面して、尊厳死など人間の命についての話が主体になって、何となく人生訓的なストーリーになっているのだが、これも、ユーモアたっぷりの語り口ながらの安野先生のパーソナリティの表れであろう。

   ところで、落語だが、私も、この5~6年、国立演芸場に通って、結構、落語を聞いて楽しんでおり、安野先生の話が良く分かって面白かった。
   吉田茂も、山田洋次監督も、落語が好きだと言う。
   落語の世界の奥深さは、まだ、分からないが、平家物語も語りの芸術であり、のめり込めば、その凄さが実感できるのかも知れない。
コメント
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