昨夜の国立能楽堂の《国立能楽堂夏スペシャル》は、次の通り。
◎働く貴方に贈る
対談 石田 ひかり(女優)×大倉源次郎(小鼓方大倉流)
狂言 瓜盗人(うりぬすびと) 髙澤 祐介(和泉流)
能 通盛 (みちもり) 髙橋 忍(金春流)
平家物語を愛読書としている私には、能「通盛」が、妙味深かった。
世阿弥は、「申楽談儀」で「通盛」の元の作者の井阿弥の作品を、「通盛、言葉多きを、切り除け切り除けして能になす」としており、主に削除を中心に改作した世阿弥による改訂版であると言われている。
この能は、平家物語の巻九を出典としているようだが、一の谷の戦で忠度・経正・敦盛・知章など修羅能の主人公たちと共に戦死した通盛が主人公で、多少異同あるが、ストーリーは次の通り。
阿波の鳴門の浦で僧が平家一門を弔っていると、漁翁(前シテ/高橋忍)と女(ツレ/井上貴覚)を乗せた篝火を焚いた小舟が漕ぎ寄せてくる。二人は僧(ワキ/則久英志)の読経を聴き、僧に平通盛と小宰相の局のことを語って海中へ姿を消す。通盛・小宰相の局を回向していると、武将姿の通盛と小宰相の局が現れ、一の谷の合戦前夜の別れや、通盛の最期の様子を語り、僧の読経によって成仏できたことを感謝して、海へと消えて行く。
平家で、夫婦の愛情物語を描いた能は、ほかに、「清経」を思い出すが、これはやや暗いのだが、この「通盛」は、完全に相思相愛の愛情物語で、全く、時代を感じさせないストーリー展開で、内心、驚いている。
都落ちの時には、清経は両親にとめられて妻を都に残して出陣して自分で入水して妻を泣かせるのだが、通盛は、有無を言わせず妻を戦場へ同伴したのである。
相思相愛のの2人を裂いたのは、生田の合戦の前日。通盛が忍んで陣に帰り、戦場へ同道していた局に「戦は早くも明日となった。そなたは、私以外に頼みとする者のない身。私が戦死したならば、都へ帰り、後世を弔っておくれ」と。別れの盃を交わし、うたた寝の床で睦まじく語らうひとときに、弟教経の呼ばわる声。「兄上はどこにいる、もはや戦の刻限ですぞ」という声に、通盛は、後ろ髪を引かれながら、戦場へと向かった。と言うシーンで、これが永遠の別れとなり、通盛の戦死を聞いた小宰相の局は、須磨の浦で敵に襲われ、遠く阿波の鳴門まで追われて入水するのである。
平家物語と言っても、この方の主人公は、通盛と言うよりも、小宰相の局。
平家物語の巻九の最後に、正に一ノ谷の合戦で平家の武将たちが、次々に命を落として行く修羅場の軍記物語でありながら、「小宰相入水」と言う感動的な恋物語が挿入されていて、平家物語の奥深さ間口の広さに感動する。
通盛の侍君太滝口時員が、小宰相の局の舟にやってきて、通盛の戦死を告げると、7日泣き通して、お付きの女房の目をかすめて鳴門沖に入水自殺する。憔悴し切った局が、最後の夜に妊娠を通盛に告げて喜ぶ様子や亡きあと忘れ形見をどうするかなど苦しい心の内を女房に吐露して、入水したのである。通盛への熱い思いが悲しいほど胸を打つ。
能では、女房が、引き止めるのを局は「振り切り海に入りたまふ」とツレが舟から出て入水を表現するのだが、平家物語では、一ノ谷から屋島への夜半の寝静まった頃なので、局の入水には、誰も気づかず、目を覚ました女房が慌てふためき、引き上げた時には亡くなっていて、女房は遅れまいと入水を試みるのだが制止されて、尼になり菩提を弔うと言うことになっている。
通盛と小宰相の局の恋の経緯については、この舞台では、アイの所の者(三宅近成)が語るのだが、通盛は、上西門院の女房で宮中一の美人であった小宰相に、女院の法勝寺への花見の御幸で一目惚れして思い続けて3年経ち、諦めて書いた最後の手紙が、幸運にも、廻り回って女院の手に入り、小野小町が、才色兼備の素晴らしい女性でありながら、気が強いばっかりに、あたら人生を棒に振った例を引いて、返事を出さねばならないと言って、女院自ら硯を取って自身で、私も貴方に恋に落ちていると言う粋な手紙を書いて返したと言う。
こんな、通盛は小宰相を娶って、愛情浅からず、相思相愛の夫婦仲であるから、西海への旅、舟の中、波の上の住居まで引き連れて、ついに同時にあの世への道へ赴かれける、と言うのは当然だと言うわけである。
この平家物語の何とも言えない大らかな恋物語をモダンに語る語り口、それを、悲劇の極致とも言うべき平家の武将たちの最期を語る軍記ものの中に挿入して、聴き手をホロリとさせる手腕の確かさ、
あれもこれも、女院の粋な計らいと、必死に恋を全うした通盛と小宰相と言う永遠の夫婦愛があったればこそだと思うのだが、時代を全く感じさせない世界の描写が実に爽やかで嬉しい。
シテの高橋忍師は、小宰相の局と陣中において別れの盃を汲みかわし、弟の能登守教経にせき立てられて心弱い自らを恥じながら出陣して行く様子や、キリで木村源五重章とさし違えて命を落とすまでの舞など丁寧に演じていて楽しませて貰った。
◎働く貴方に贈る
対談 石田 ひかり(女優)×大倉源次郎(小鼓方大倉流)
狂言 瓜盗人(うりぬすびと) 髙澤 祐介(和泉流)
能 通盛 (みちもり) 髙橋 忍(金春流)
平家物語を愛読書としている私には、能「通盛」が、妙味深かった。
世阿弥は、「申楽談儀」で「通盛」の元の作者の井阿弥の作品を、「通盛、言葉多きを、切り除け切り除けして能になす」としており、主に削除を中心に改作した世阿弥による改訂版であると言われている。
この能は、平家物語の巻九を出典としているようだが、一の谷の戦で忠度・経正・敦盛・知章など修羅能の主人公たちと共に戦死した通盛が主人公で、多少異同あるが、ストーリーは次の通り。
阿波の鳴門の浦で僧が平家一門を弔っていると、漁翁(前シテ/高橋忍)と女(ツレ/井上貴覚)を乗せた篝火を焚いた小舟が漕ぎ寄せてくる。二人は僧(ワキ/則久英志)の読経を聴き、僧に平通盛と小宰相の局のことを語って海中へ姿を消す。通盛・小宰相の局を回向していると、武将姿の通盛と小宰相の局が現れ、一の谷の合戦前夜の別れや、通盛の最期の様子を語り、僧の読経によって成仏できたことを感謝して、海へと消えて行く。
平家で、夫婦の愛情物語を描いた能は、ほかに、「清経」を思い出すが、これはやや暗いのだが、この「通盛」は、完全に相思相愛の愛情物語で、全く、時代を感じさせないストーリー展開で、内心、驚いている。
都落ちの時には、清経は両親にとめられて妻を都に残して出陣して自分で入水して妻を泣かせるのだが、通盛は、有無を言わせず妻を戦場へ同伴したのである。
相思相愛のの2人を裂いたのは、生田の合戦の前日。通盛が忍んで陣に帰り、戦場へ同道していた局に「戦は早くも明日となった。そなたは、私以外に頼みとする者のない身。私が戦死したならば、都へ帰り、後世を弔っておくれ」と。別れの盃を交わし、うたた寝の床で睦まじく語らうひとときに、弟教経の呼ばわる声。「兄上はどこにいる、もはや戦の刻限ですぞ」という声に、通盛は、後ろ髪を引かれながら、戦場へと向かった。と言うシーンで、これが永遠の別れとなり、通盛の戦死を聞いた小宰相の局は、須磨の浦で敵に襲われ、遠く阿波の鳴門まで追われて入水するのである。
平家物語と言っても、この方の主人公は、通盛と言うよりも、小宰相の局。
平家物語の巻九の最後に、正に一ノ谷の合戦で平家の武将たちが、次々に命を落として行く修羅場の軍記物語でありながら、「小宰相入水」と言う感動的な恋物語が挿入されていて、平家物語の奥深さ間口の広さに感動する。
通盛の侍君太滝口時員が、小宰相の局の舟にやってきて、通盛の戦死を告げると、7日泣き通して、お付きの女房の目をかすめて鳴門沖に入水自殺する。憔悴し切った局が、最後の夜に妊娠を通盛に告げて喜ぶ様子や亡きあと忘れ形見をどうするかなど苦しい心の内を女房に吐露して、入水したのである。通盛への熱い思いが悲しいほど胸を打つ。
能では、女房が、引き止めるのを局は「振り切り海に入りたまふ」とツレが舟から出て入水を表現するのだが、平家物語では、一ノ谷から屋島への夜半の寝静まった頃なので、局の入水には、誰も気づかず、目を覚ました女房が慌てふためき、引き上げた時には亡くなっていて、女房は遅れまいと入水を試みるのだが制止されて、尼になり菩提を弔うと言うことになっている。
通盛と小宰相の局の恋の経緯については、この舞台では、アイの所の者(三宅近成)が語るのだが、通盛は、上西門院の女房で宮中一の美人であった小宰相に、女院の法勝寺への花見の御幸で一目惚れして思い続けて3年経ち、諦めて書いた最後の手紙が、幸運にも、廻り回って女院の手に入り、小野小町が、才色兼備の素晴らしい女性でありながら、気が強いばっかりに、あたら人生を棒に振った例を引いて、返事を出さねばならないと言って、女院自ら硯を取って自身で、私も貴方に恋に落ちていると言う粋な手紙を書いて返したと言う。
こんな、通盛は小宰相を娶って、愛情浅からず、相思相愛の夫婦仲であるから、西海への旅、舟の中、波の上の住居まで引き連れて、ついに同時にあの世への道へ赴かれける、と言うのは当然だと言うわけである。
この平家物語の何とも言えない大らかな恋物語をモダンに語る語り口、それを、悲劇の極致とも言うべき平家の武将たちの最期を語る軍記ものの中に挿入して、聴き手をホロリとさせる手腕の確かさ、
あれもこれも、女院の粋な計らいと、必死に恋を全うした通盛と小宰相と言う永遠の夫婦愛があったればこそだと思うのだが、時代を全く感じさせない世界の描写が実に爽やかで嬉しい。
シテの高橋忍師は、小宰相の局と陣中において別れの盃を汲みかわし、弟の能登守教経にせき立てられて心弱い自らを恥じながら出陣して行く様子や、キリで木村源五重章とさし違えて命を落とすまでの舞など丁寧に演じていて楽しませて貰った。