
今夜、NHKBS2で、「男はつらいよ・寅次郎の旅路」が放映された。
男はつらいよの唯一のヨーロッパ編だが、私自身の良く訪れたウィーンが舞台で、それに、その頃住んでいたアムステルダムの風景が出てくるので、懐かしい。
実際に放映されたのは1989年の夏だから、3年間住んだアムステルダムからロンドンに移り住んでいたのだが、出張で帰国した時に、レーザーディスクを買って帰りロンドンで見た。
最初にウィーンを訪れたのは、1973年の年末から1974年の新年にかけてで、大晦日にウィーン国立歌劇場でシュトラウスの「こうもり」を鑑賞した。
大晦日が元旦に変わる頃から、あっちこっちで爆竹の音が激しく続いていた。厳寒のウィーンだったが、灯の輝きは美しかった。
フィラデルフィアから始めてのヨーロッパっへの家族旅行だったのだが、娘が小さかったのでオペラは私一人で出かけた。
お客さんは皆タキシードとイブニングドレスの正装で、キャンセルの切符を買ったアメリカ人のビジネスマンと私だけが背広姿だったが、許してくれた。
大晦日のウィーン国立歌劇場は特別で、正装した男女が豪華なロビーや回廊を2列に並んで散策する姿など正に見ものであった。
その後、出張や家族旅行でよくウィーンを訪れたが、プライベートな時は、一度はアムステルダムから、もう一度は、ドイツのミュンヘンから、ハイデルベルクやインスブルックを経て車で走った。
家族旅行の時は、街中のワーグナーも泊まったと言う古風で雰囲気のあるカイザリン・エリザベート・ホテルが好きで、ここに泊まっていた。
この映画で出てくる渥美清と竹下景子がドライブして出かけたドナウ川の畔は、記憶に間違いがなければ、デュルンシュタインと言う小さな田舎町で、ホテルの窓から眺めていたので、青い縁取りのパリッシュ教会を覚えている。
翌朝、ウインナー・コーヒーで朝食をとってから”御前様?”と寅さんが出会った川畔を散策して、娘はドナウ川に入って水遊びをしていた。どこか信州の田舎に似たしっとりとした良い所であった。
その後、ドナウ川畔をドイツに向かって走り、バルトークがオルガニストをしていた教会を訪ね、メルヘン街道を経てアムステルダムに帰った。
ウィーンを離れると、美しき青きドナウ川は、本当に田舎でそして牧歌的であったが、ドイツやスイスと比べるとオーストリーはやはり少し貧しくて、本当に飾り気のない田園生活を感じることが出来た。
一度、ベルリンの壁が崩れた直後に、ウィーンからハンガリーのブダペストまで、高速船でドナウ川を下ったことがある。
本当は、車で行きたかったが、国境を越えるのが渋滞で大変だと言うことだったので諦めたが、昔のオーストリー=ハンガリー二重帝国の息吹きを実際に感じたかったのである。
この船旅は定期航路の交通網の一つで、観光船ではないので窓も小さくて船も水しぶきを上げて走るので見晴らしは良くなかったが、所々に古城などがあって興味深かったが、ウィーンやブダペスト近辺以外は、田舎や山や谷の殺風景な風景ばかりだったと言う印象しかない。
ウィーンのドナウ川は、都心から離れてウィーンの森寄りなので小旅行では殆ど見る機会はないが、ブダペストのドナウ川は、ブダとペストの中間、即ち、都市の真ん中を流れているので正に生活に密着している。
今度の映画は、観光ずれした喧騒を極めたウィーンの姿を描かずに非常にしっとりと落ち着いた街の雰囲気を醸し出していて気持ちが良かった。
私は、ウィーン国立歌劇場のオペラを観る時は、隣のザッハーホテルに泊まる事にしていた。便利だし、それにザッハー・トルテの本物を味わえる。
このホテルの裏にあるカフェー・モーツアルト(今回の映画で日本の団体が喫茶をしていた所?)で、良く憩っていたが、ウィーンのカフェーは何処も雰囲気があって素晴らしい。
このカフェー・モーツアルトは、横に店舗があった三越が所有していたが、私がロンドンにいた頃手放した様である。
この映画の最初は、アムステルダムのスキポール空港、最後は、アムステルダムのホテル・ヨーロッパの側の運河の風景が出てきたが、最初に一人で東京から乗り込んで事務所を設立し苦労しながら3年間を過ごしたところなので懐かしかった。
KLMやBAでヨーロッパを飛び回っていたが、あの頃が、日系企業がヨーロッパで活躍していた最盛期だったのかも知れない。
ヨーロッパでは、事務所や工場や研究所など日系企業の建設・開発が目白押しで、兎に角、忙しくて大変だったが、8年間も居たので、仕事などの合間に垣間見たウィーンの思い出も結構あったと言うことであろうか。
男はつらいよの唯一のヨーロッパ編だが、私自身の良く訪れたウィーンが舞台で、それに、その頃住んでいたアムステルダムの風景が出てくるので、懐かしい。
実際に放映されたのは1989年の夏だから、3年間住んだアムステルダムからロンドンに移り住んでいたのだが、出張で帰国した時に、レーザーディスクを買って帰りロンドンで見た。
最初にウィーンを訪れたのは、1973年の年末から1974年の新年にかけてで、大晦日にウィーン国立歌劇場でシュトラウスの「こうもり」を鑑賞した。
大晦日が元旦に変わる頃から、あっちこっちで爆竹の音が激しく続いていた。厳寒のウィーンだったが、灯の輝きは美しかった。
フィラデルフィアから始めてのヨーロッパっへの家族旅行だったのだが、娘が小さかったのでオペラは私一人で出かけた。
お客さんは皆タキシードとイブニングドレスの正装で、キャンセルの切符を買ったアメリカ人のビジネスマンと私だけが背広姿だったが、許してくれた。
大晦日のウィーン国立歌劇場は特別で、正装した男女が豪華なロビーや回廊を2列に並んで散策する姿など正に見ものであった。
その後、出張や家族旅行でよくウィーンを訪れたが、プライベートな時は、一度はアムステルダムから、もう一度は、ドイツのミュンヘンから、ハイデルベルクやインスブルックを経て車で走った。
家族旅行の時は、街中のワーグナーも泊まったと言う古風で雰囲気のあるカイザリン・エリザベート・ホテルが好きで、ここに泊まっていた。
この映画で出てくる渥美清と竹下景子がドライブして出かけたドナウ川の畔は、記憶に間違いがなければ、デュルンシュタインと言う小さな田舎町で、ホテルの窓から眺めていたので、青い縁取りのパリッシュ教会を覚えている。
翌朝、ウインナー・コーヒーで朝食をとってから”御前様?”と寅さんが出会った川畔を散策して、娘はドナウ川に入って水遊びをしていた。どこか信州の田舎に似たしっとりとした良い所であった。
その後、ドナウ川畔をドイツに向かって走り、バルトークがオルガニストをしていた教会を訪ね、メルヘン街道を経てアムステルダムに帰った。
ウィーンを離れると、美しき青きドナウ川は、本当に田舎でそして牧歌的であったが、ドイツやスイスと比べるとオーストリーはやはり少し貧しくて、本当に飾り気のない田園生活を感じることが出来た。
一度、ベルリンの壁が崩れた直後に、ウィーンからハンガリーのブダペストまで、高速船でドナウ川を下ったことがある。
本当は、車で行きたかったが、国境を越えるのが渋滞で大変だと言うことだったので諦めたが、昔のオーストリー=ハンガリー二重帝国の息吹きを実際に感じたかったのである。
この船旅は定期航路の交通網の一つで、観光船ではないので窓も小さくて船も水しぶきを上げて走るので見晴らしは良くなかったが、所々に古城などがあって興味深かったが、ウィーンやブダペスト近辺以外は、田舎や山や谷の殺風景な風景ばかりだったと言う印象しかない。
ウィーンのドナウ川は、都心から離れてウィーンの森寄りなので小旅行では殆ど見る機会はないが、ブダペストのドナウ川は、ブダとペストの中間、即ち、都市の真ん中を流れているので正に生活に密着している。
今度の映画は、観光ずれした喧騒を極めたウィーンの姿を描かずに非常にしっとりと落ち着いた街の雰囲気を醸し出していて気持ちが良かった。
私は、ウィーン国立歌劇場のオペラを観る時は、隣のザッハーホテルに泊まる事にしていた。便利だし、それにザッハー・トルテの本物を味わえる。
このホテルの裏にあるカフェー・モーツアルト(今回の映画で日本の団体が喫茶をしていた所?)で、良く憩っていたが、ウィーンのカフェーは何処も雰囲気があって素晴らしい。
このカフェー・モーツアルトは、横に店舗があった三越が所有していたが、私がロンドンにいた頃手放した様である。
この映画の最初は、アムステルダムのスキポール空港、最後は、アムステルダムのホテル・ヨーロッパの側の運河の風景が出てきたが、最初に一人で東京から乗り込んで事務所を設立し苦労しながら3年間を過ごしたところなので懐かしかった。
KLMやBAでヨーロッパを飛び回っていたが、あの頃が、日系企業がヨーロッパで活躍していた最盛期だったのかも知れない。
ヨーロッパでは、事務所や工場や研究所など日系企業の建設・開発が目白押しで、兎に角、忙しくて大変だったが、8年間も居たので、仕事などの合間に垣間見たウィーンの思い出も結構あったと言うことであろうか。