熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

映画「敦煌」

2024年03月09日 | 映画
   井上靖の歴史小説「敦煌」の映画版で、1988年の公開であるから、NHK BS録画で見ても久しぶりである。
   小説は浪人時代に読んでいて、シルクロードに憧れて中国学の権威の集う京都に行ったのだが、お陰で、宮崎市定教授の授業を受けたり、中国関係の貴重な話を聴講することが出来た。
   後年、パリのギメ東洋美術館で、この映画にも関係する敦煌の重要文化財を見て感激したのを覚えている。

  さてこの映画は、井上靖の原作と同じなのかどうかは分からないが、ほぼ踏襲しているのであろう、映画の梗概は次の通り。
  監督 佐藤純彌   脚本 吉田剛 佐藤純彌
  北宋時代、趙行徳(佐藤浩市)は科挙の試験に失敗し、意気消沈して市場を歩いていて、売られようとしていた西夏出身の女(三田佳子)を助けて西夏語の通行手形を貰って西夏に興味を持ち、西域へ旅立つ。途中で、同行の隊商が襲われ、西夏の傭兵漢人部隊の兵士狩りに捕獲されてその兵に編入される。しかし、隊長の朱王礼(西田敏行)は文字の読める行徳に目を掛け書記に抜擢する。西夏軍がウイグルを攻略した時、行徳はウイグルの王女・ツルピア(中川安奈)を助けて匿い、恋に落ちる。やがてその才能を認められた行徳は、西夏の首都への留学を命じられるが、困って二人は脱走を試みるが失敗する。ツルピアの庇護を朱王礼に託して出発する。しかし留学期間が延び、二年後、行徳が戻ると、ツルピアは西夏の皇太子・李元昊(渡瀬恒彦)と、ウイグル支配の手段として、政略結婚させられようとしていた。婚礼の席上、ツルピアは李元昊を殺害しようとするが失敗し、城壁から身を投げる。李元昊に反感をつのらせた朱王礼は、李元昊が敦煌を制圧して入城しようとする機をとらえて、先回りして、敦煌府太守・曹(田村高廣)を味方につけて李に謀反を起こす。敦煌城内で漢人部隊と西夏軍本部隊が死闘を繰りひろげる。朱王礼は、李元昊を逃してしまい、壮絶な戦闘の後に戦死する。戦乱の中で火に包まれ大混乱に陥る敦煌で、必死になって文化財を運び出そうとする民衆を見て、行徳は敦煌の文化遺産を戦乱から守ることを決意し、城内から貴重な教典や書物、美術品など文化遺産を敦煌郊外の石窟寺院莫高窟に運び出し、後世に敦煌文化財として遺す。  
   その後、900年が経ち、莫高窟からこれら貴重な文化遺産が発掘され、敦煌は再び世界の注目を集めることとなった。

   文革が終って、やっと、国を開き始めた頃で、中国ロケの了承を取りつける難しさなどがあり、のべ10万人のエキストラ、4万頭の馬によるロケーションを敢行するなど、中国の荒野を舞台に展開される戦闘シーンのスケールの大きさ凄まじさは特筆もので、完成には25年が費されたと言うから、並の日本映画と違って桁が違う入れ込み方である。

   北宋(960年 - 1127年)は、907年に唐が滅亡し、その後の五代十国時代の戦乱の時代の後で、遼(契丹)・西夏(タングート)という外敵を抱え、対外的には治安問題を抱えていた。この西夏や遼も、後のモンゴルと同様に、夷狄の野蛮国家ではなく、結構文化文明程度が高く、中国本土の文明国家と対峙していたようで、西夏文字の卓越さなど西夏の威光を活写するなど興味深い。
   中国との合作のようであるから、時代考証にも問題がないのであろう、とにかく、軍隊組織の様子や戦略戦術などが見えてきて興味深かった。

   もう、40年以上も前の映画であるから、映画俳優も随分若くて、現在のように老成して燻し銀のように風格が出てきた雰囲気と違って、若々しくてパワフルな演技が素晴しい。
   特に、西田の隊長ぶりは板についていて、この映画の軸として重厚さと格調の高さを支えていて、実に千両役者の風格である。
   佐藤のインテリ漢人の、若い理知的な瑞々しい役作りは好感が持て、とにかく、中川安奈の品のある美しさは格別で、この二人の若い素晴しい演技が、この映画の花であろう。
   脇を支えている渡瀬恒彦 田村高廣 柄本明 新藤栄作 原田大二郎 三田佳子などの演技も、人を得て魅せてくれる。

   Japan as No.1の日本経済の黄金期に作られたスケールの大きな映画で、
   CGもデジタル技術もなく、実写でこれだけの映画を創ったのであるから、凄いことである。

   
コメント
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