下巻は、20世紀以降現在に至るまでの権力と革命の500年の後半である。
20世紀初めからアメリカの同時多発テロの直前までで、20世紀の歴史に置ける興味深いトピックスが多いのだが、今回は、ヒトラーとユダヤのことについてだけ考えてみたい。
ヒトラーとスターリンのとてもない筆舌に尽くしがたい史実については、多言を要しないのだが、ヒトラーの権力構造で興味を持ったのは、
ヒトラーのドイツが、たんに、スターリンのソ連のような党のピラミッドだったと考えると間違いだという指摘である。
スターリンが脅迫的なまでの統制を好んだのに対して、ヒトラーは、もっと混沌とした支配様式、すなわち、帝国政府の古い階層性が、党の新しい階層性や、その後は親衛隊保安部の更に新しい階層性と競合する「多党制の混沌」と呼ばれる体制を好んだという。
この混沌の所為で、ライバル関係にある個人と機関が、それぞれ総統の要望と解釈したことを実行しようと競い合い、多義的な命令と重複する権限が「累積的な過激化」を招いた。
そして、非効率と酷い腐敗と、「民族共同体」の外に位置すると目される集団すべて、特にユダヤ人に対してエスカレートする暴力とが混ざり合う結果となった。と言うのである。
ものの本によると、ヒトラーの祖父がユダヤ人だという噂もある。ヒトラーの父親アロイスの母マリア・アンナ・シックルグルーバーは、グラーツ市のユダヤ人資産家フランケンベルガー家で家政婦として働き、その家の息子レオポルド・フランケンベルガーとの間に私生児アロイスを生んだのだというのである。
ヒトラーの高官ヒムラーなどもユダヤの血を引くと言うし、ナチスには結構そんな人物がいたようだし、
要するに、ワーグナーのような徹底したドイツ民族主義を標榜すれば良かったと言うことであろうか。
ウォートン・スクール留学中に、学友であったユダヤ人のジェイ・メンデルスゾーンが、ふるさとの村へ私を呼んでくれて、過越(Passover、ペサハ (pesach) の儀式に招待してくれた。
エジプトの地で奴隷になっていたイスラエルの民が、モーゼの先導でパレスチナの地に脱出した故事を記念する日で、チャールトン・ヘストンの「十戒」で、海が割れるシーンで有名である。
一族の男性家族全員が食卓につき、聖書を輪読して、マッツァーやセーデル等の儀式的なメニューの食事をとって祝うのだが、何故か、ジェイは、異教徒の私も、その列に加えてくれたので、あの小さな帽子を被って席についてgood bookの輪読に加わって一節を英語であったので読んだ。ユダヤの特別な言葉で詰まったら、隣の子供がクスリと笑ったのを覚えている。
ジェイの部屋に入ったとき、壁面に、モノクロの大きな木の絵が掛かっていたので、興味を持って近づいたら、家系樹とも言うべき絵で、びっしりと名前が書き込まれているのに気がついた。
それぞれ、枝分かれしていて、ジェイは、これはロシア、これはフランス、これはイスラエル、・・・これはアメリカと言って、自分の名前を教えてくれた。
真ん中あたりで、団子になってそこだけ真ん中が空白になっている部分があったので、これは何だと聞いたら、ドイツだと応えた。
私も絶句して、それ以上聞けなくなったのだが、この時、初めて、ユダヤ人の結束の強さと悲しみを身に染みて感じた。
フィラデルフィアでの、もう一つの強烈なユダヤに関する思い出は、フィラデルフィア管弦楽団の本拠地アカデミー・オブ・ミュージックでの、ムラビンスキー指揮のレニングラード・フィル演奏会のことである。
あの当時は、ソ連が、在住のユダヤ人の専門家や医師など高度な技術や識見を持った人々のイスラエルへの出国を認めず出国ビザを発給しなかったので、在米のユダヤ人たちが激しく抗議活動を展開していた。
演奏会当日、会場入り口で、ユダヤ人たちが抗議活動を行っていたが、会場に入ってみると、座席の真ん中から半分は、完全に空席で、誰も座っていないのを見て、その異様さにびっくりした。
日本の様に、空席があれば、席を移動すると言った人が居ないので、右だったか左だったか忘れたが、半分の座席が空席のまま、最後まで演奏されて終わったのだが、アメリカでは、興行主の多くがユダヤ人なので、このようなことが出来るのであろう。
あのカラヤンでさえ、ナチだったと言うことで、戦後長い間、アメリカから締め出されていたのだが、アメリカでは、ユダヤ人の力は強い。
ヒトラーがワーグナーの楽劇に傾倒していたので、ユダヤ系の指揮者がワーグナーを演奏しなかった時期があったが、タブーが取れたのか、私は、ロイヤル・オペラでハイティンクの指揮するワーグナーのオペラの殆どを鑑賞したし、他の指揮者のワーグナーも聴いた。
欧米が長いので、結構ユダヤの人たちとの交流もあって、興味深い経験もしているのだが、最近では、
ユヴァル・ノア・ハラリの「21 Lessons 」や「サピエンス全史」「ホモ・デウス」を読んで、ユダヤ教やユダヤ人について、改めて知ることが沢山あって興味深かった。
20世紀初めからアメリカの同時多発テロの直前までで、20世紀の歴史に置ける興味深いトピックスが多いのだが、今回は、ヒトラーとユダヤのことについてだけ考えてみたい。
ヒトラーとスターリンのとてもない筆舌に尽くしがたい史実については、多言を要しないのだが、ヒトラーの権力構造で興味を持ったのは、
ヒトラーのドイツが、たんに、スターリンのソ連のような党のピラミッドだったと考えると間違いだという指摘である。
スターリンが脅迫的なまでの統制を好んだのに対して、ヒトラーは、もっと混沌とした支配様式、すなわち、帝国政府の古い階層性が、党の新しい階層性や、その後は親衛隊保安部の更に新しい階層性と競合する「多党制の混沌」と呼ばれる体制を好んだという。
この混沌の所為で、ライバル関係にある個人と機関が、それぞれ総統の要望と解釈したことを実行しようと競い合い、多義的な命令と重複する権限が「累積的な過激化」を招いた。
そして、非効率と酷い腐敗と、「民族共同体」の外に位置すると目される集団すべて、特にユダヤ人に対してエスカレートする暴力とが混ざり合う結果となった。と言うのである。
ものの本によると、ヒトラーの祖父がユダヤ人だという噂もある。ヒトラーの父親アロイスの母マリア・アンナ・シックルグルーバーは、グラーツ市のユダヤ人資産家フランケンベルガー家で家政婦として働き、その家の息子レオポルド・フランケンベルガーとの間に私生児アロイスを生んだのだというのである。
ヒトラーの高官ヒムラーなどもユダヤの血を引くと言うし、ナチスには結構そんな人物がいたようだし、
要するに、ワーグナーのような徹底したドイツ民族主義を標榜すれば良かったと言うことであろうか。
ウォートン・スクール留学中に、学友であったユダヤ人のジェイ・メンデルスゾーンが、ふるさとの村へ私を呼んでくれて、過越(Passover、ペサハ (pesach) の儀式に招待してくれた。
エジプトの地で奴隷になっていたイスラエルの民が、モーゼの先導でパレスチナの地に脱出した故事を記念する日で、チャールトン・ヘストンの「十戒」で、海が割れるシーンで有名である。
一族の男性家族全員が食卓につき、聖書を輪読して、マッツァーやセーデル等の儀式的なメニューの食事をとって祝うのだが、何故か、ジェイは、異教徒の私も、その列に加えてくれたので、あの小さな帽子を被って席についてgood bookの輪読に加わって一節を英語であったので読んだ。ユダヤの特別な言葉で詰まったら、隣の子供がクスリと笑ったのを覚えている。
ジェイの部屋に入ったとき、壁面に、モノクロの大きな木の絵が掛かっていたので、興味を持って近づいたら、家系樹とも言うべき絵で、びっしりと名前が書き込まれているのに気がついた。
それぞれ、枝分かれしていて、ジェイは、これはロシア、これはフランス、これはイスラエル、・・・これはアメリカと言って、自分の名前を教えてくれた。
真ん中あたりで、団子になってそこだけ真ん中が空白になっている部分があったので、これは何だと聞いたら、ドイツだと応えた。
私も絶句して、それ以上聞けなくなったのだが、この時、初めて、ユダヤ人の結束の強さと悲しみを身に染みて感じた。
フィラデルフィアでの、もう一つの強烈なユダヤに関する思い出は、フィラデルフィア管弦楽団の本拠地アカデミー・オブ・ミュージックでの、ムラビンスキー指揮のレニングラード・フィル演奏会のことである。
あの当時は、ソ連が、在住のユダヤ人の専門家や医師など高度な技術や識見を持った人々のイスラエルへの出国を認めず出国ビザを発給しなかったので、在米のユダヤ人たちが激しく抗議活動を展開していた。
演奏会当日、会場入り口で、ユダヤ人たちが抗議活動を行っていたが、会場に入ってみると、座席の真ん中から半分は、完全に空席で、誰も座っていないのを見て、その異様さにびっくりした。
日本の様に、空席があれば、席を移動すると言った人が居ないので、右だったか左だったか忘れたが、半分の座席が空席のまま、最後まで演奏されて終わったのだが、アメリカでは、興行主の多くがユダヤ人なので、このようなことが出来るのであろう。
あのカラヤンでさえ、ナチだったと言うことで、戦後長い間、アメリカから締め出されていたのだが、アメリカでは、ユダヤ人の力は強い。
ヒトラーがワーグナーの楽劇に傾倒していたので、ユダヤ系の指揮者がワーグナーを演奏しなかった時期があったが、タブーが取れたのか、私は、ロイヤル・オペラでハイティンクの指揮するワーグナーのオペラの殆どを鑑賞したし、他の指揮者のワーグナーも聴いた。
欧米が長いので、結構ユダヤの人たちとの交流もあって、興味深い経験もしているのだが、最近では、
ユヴァル・ノア・ハラリの「21 Lessons 」や「サピエンス全史」「ホモ・デウス」を読んで、ユダヤ教やユダヤ人について、改めて知ることが沢山あって興味深かった。