「1月狂言の会 鍋八撥・蛸・千切木」は、
狂言 鍋八撥(なべやつばち) 大藏 吉次郎(大蔵流)45分
狂言 蛸(たこ) 野村 萬斎(和泉流) 30分
狂言 千切木(ちぎりき) 茂山 七五三(大蔵流) 35分
非常に、意欲的な公演で、楽しませて貰った。
本格的に夫々観るのは、初めてであったので、面白かった。
特に、興味深かったのは、狂言蛸で、殆ど能の舞台と同じような夢幻能の世界で、シテが、蛸の亡霊であると言うことくらいであろうか。
囃子もあれば、地謡も、そして、ワキもアイも、能と変わらずに登場する。
日向の国の僧(ワキ/万作)が、播磨の清水の浦を訪れた時、目の大きな法師(シテ/萬斎)が現れて、弔いを頼んで姿を消す。浦に住む所の者(アイ/岡聡史)が、去年の蛸捕獲の話をする。僧が読経していると、蛸の亡霊(シテ/萬斎)が現れて、昨年、大網にかかって、悪天候を蛸の仕業とされて打ち殺されて塚を築いて弔われた話をして、皮をはがされ、まな板の上で切り刻まれ、張蛸となって、足手は塩漬けとなる苦しみを受けた最期の経緯を舞ながら語る。蛸の亡霊は、僧の読経に合わせ念仏を唱えて姿を消す。
夢幻能形式の舞狂言なので、派手な衣装を身に着けて、大きな頭の蛸を帽子状に頂いた赤頭の萬斎の蛸の亡霊が、器用に、蛸が料理される経緯を仕方舞で、舞台狭しと、ユーモラスに舞いながら再現する見せ場は、流石で、実直真面目一方で舞台に立つ万作の僧との対比が、一層、コミカルで面白い。
「吐墨」と小書きがついているので、萬斎の蛸の亡霊は、二回、土蜘蛛のような糸状の墨を派手に舞台上で撒くのがビジュアル的にも興味深くて良った。
「鍋八撥」は、脇狂言で、
市が新設され、一番乗りした商人には将来にわたって商売上の特典が与えられる高札が出たので、羯鼓売り(アド/大蔵教義)がやってきて、だれもいないので、ひと寝入りして夜明けを待つ。続いて鍋売り(シテ/吉次郎)がやってきて、先着者に気づくが一番乗りを装って同じくそばに寝る。目覚めた両人が先着争いをしているところに目代(アド/善竹忠一郎)が仲裁に入るが、自分の商売物こそがと言って譲らないので、棒振りと鞨鼓打ちの勝負をさせる。勝負がつかず、目代が退場するも、羯鼓売りが、逆立ちして手足を伸ばして水車のように回転して退場する。その俊敏な舞を鍋売りがまねるが、うまくいかず転んで鍋を割ってしまい、「数が多くなってめでたい」といって喜ぶ。
この鍋が割れるのは、凶事ではなく、祝い・目出度さを示すと言うことのようで、もし、舞台で割れなかった時には、「芯の堅い鍋じゃ。取って帰って重宝いたそう。」などと言って留めると言うことである。
若くて敏捷な長男の羯鼓売りと、世知にはたけているが逆立ちなど無理も無理、高齢者で鈍重な親父の鍋売りとでは、当然勝負にならず、この対照の妙が実に面白いのだが、近くの席の××の×××おばさんの大きくて×××笑い声が、ピント外れでもあって、最初から最後まで、興ざめ。
最後の「千切木」は、お豆腐狂言の茂山千五郎家の総出演の狂言で、面白かった。
連歌の初心講)に、頭の何某(アド/千作)の家に仲間が集まったのだが、いつもの宗匠気どりであれこれ注文をつける太郎(シテ/七五三)は邪魔なので呼ばれなかったのだが、かってに顔を出して、あれこれ文句をつけるので、太郎の差し出口を苦々しく思った連中は、亭主と謀って太郎をさんざん打擲して散会する。太郎の災難を聞いて、太郎の妻(アド/あきら)が棒を振りかざしてやってきて、女房に煽られた太郎は、しぶしぶ連中の家へ敵討に出かける。どこへ行っても居留守を使われるので、気の弱い内弁慶の太郎は、留守を幸いに勢いを得て門前で棒や刀を振り回して悪態をつくのだが、女房は、それを誉めそやして、手に手をとって意気揚々と引き揚げていく。
立衆/連歌の講中に、千五郎、宗彦、茂、逸平、童司、やすし お馴染みが登場している。
初心講の太郎と講中との掛け合いも非常に面白いが、仲間内では我儘で意地を通す内弁慶の太郎と、わわしいのだが夫思いの妻との何とも言えない夫婦の慣れ合いが面白く、七五三とあきらの軽妙な演技が秀逸であった。
狂言 鍋八撥(なべやつばち) 大藏 吉次郎(大蔵流)45分
狂言 蛸(たこ) 野村 萬斎(和泉流) 30分
狂言 千切木(ちぎりき) 茂山 七五三(大蔵流) 35分
非常に、意欲的な公演で、楽しませて貰った。
本格的に夫々観るのは、初めてであったので、面白かった。
特に、興味深かったのは、狂言蛸で、殆ど能の舞台と同じような夢幻能の世界で、シテが、蛸の亡霊であると言うことくらいであろうか。
囃子もあれば、地謡も、そして、ワキもアイも、能と変わらずに登場する。
日向の国の僧(ワキ/万作)が、播磨の清水の浦を訪れた時、目の大きな法師(シテ/萬斎)が現れて、弔いを頼んで姿を消す。浦に住む所の者(アイ/岡聡史)が、去年の蛸捕獲の話をする。僧が読経していると、蛸の亡霊(シテ/萬斎)が現れて、昨年、大網にかかって、悪天候を蛸の仕業とされて打ち殺されて塚を築いて弔われた話をして、皮をはがされ、まな板の上で切り刻まれ、張蛸となって、足手は塩漬けとなる苦しみを受けた最期の経緯を舞ながら語る。蛸の亡霊は、僧の読経に合わせ念仏を唱えて姿を消す。
夢幻能形式の舞狂言なので、派手な衣装を身に着けて、大きな頭の蛸を帽子状に頂いた赤頭の萬斎の蛸の亡霊が、器用に、蛸が料理される経緯を仕方舞で、舞台狭しと、ユーモラスに舞いながら再現する見せ場は、流石で、実直真面目一方で舞台に立つ万作の僧との対比が、一層、コミカルで面白い。
「吐墨」と小書きがついているので、萬斎の蛸の亡霊は、二回、土蜘蛛のような糸状の墨を派手に舞台上で撒くのがビジュアル的にも興味深くて良った。
「鍋八撥」は、脇狂言で、
市が新設され、一番乗りした商人には将来にわたって商売上の特典が与えられる高札が出たので、羯鼓売り(アド/大蔵教義)がやってきて、だれもいないので、ひと寝入りして夜明けを待つ。続いて鍋売り(シテ/吉次郎)がやってきて、先着者に気づくが一番乗りを装って同じくそばに寝る。目覚めた両人が先着争いをしているところに目代(アド/善竹忠一郎)が仲裁に入るが、自分の商売物こそがと言って譲らないので、棒振りと鞨鼓打ちの勝負をさせる。勝負がつかず、目代が退場するも、羯鼓売りが、逆立ちして手足を伸ばして水車のように回転して退場する。その俊敏な舞を鍋売りがまねるが、うまくいかず転んで鍋を割ってしまい、「数が多くなってめでたい」といって喜ぶ。
この鍋が割れるのは、凶事ではなく、祝い・目出度さを示すと言うことのようで、もし、舞台で割れなかった時には、「芯の堅い鍋じゃ。取って帰って重宝いたそう。」などと言って留めると言うことである。
若くて敏捷な長男の羯鼓売りと、世知にはたけているが逆立ちなど無理も無理、高齢者で鈍重な親父の鍋売りとでは、当然勝負にならず、この対照の妙が実に面白いのだが、近くの席の××の×××おばさんの大きくて×××笑い声が、ピント外れでもあって、最初から最後まで、興ざめ。
最後の「千切木」は、お豆腐狂言の茂山千五郎家の総出演の狂言で、面白かった。
連歌の初心講)に、頭の何某(アド/千作)の家に仲間が集まったのだが、いつもの宗匠気どりであれこれ注文をつける太郎(シテ/七五三)は邪魔なので呼ばれなかったのだが、かってに顔を出して、あれこれ文句をつけるので、太郎の差し出口を苦々しく思った連中は、亭主と謀って太郎をさんざん打擲して散会する。太郎の災難を聞いて、太郎の妻(アド/あきら)が棒を振りかざしてやってきて、女房に煽られた太郎は、しぶしぶ連中の家へ敵討に出かける。どこへ行っても居留守を使われるので、気の弱い内弁慶の太郎は、留守を幸いに勢いを得て門前で棒や刀を振り回して悪態をつくのだが、女房は、それを誉めそやして、手に手をとって意気揚々と引き揚げていく。
立衆/連歌の講中に、千五郎、宗彦、茂、逸平、童司、やすし お馴染みが登場している。
初心講の太郎と講中との掛け合いも非常に面白いが、仲間内では我儘で意地を通す内弁慶の太郎と、わわしいのだが夫思いの妻との何とも言えない夫婦の慣れ合いが面白く、七五三とあきらの軽妙な演技が秀逸であった。