熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

浅草:駒形どぜうに残る江戸?

2014年07月17日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   現役の頃、アラスカのプロジェクトで、本来なら競争相手であるJVを組んだ同業および異業種の友人たちとアラスカ会を定期的に開いていて、午後のひと時を、海外での思い出など昔話に花を咲かせている。
   海外経験者の集まりなので、商社を筆頭に海外経験の長い人が多くて、大半は、米国での大学院生活を送るなど苦労しているので、話も多岐に亘って面白いのである。

   何時も世話をしてくれているのが京大工学博士で、茶道に入れ込みながら、謡から講談などの古典芸能のレッスンにも通うと言う多趣味多芸の元T社の建築技師。
   何時もは、上野の韻松亭で会っているのだが、前回からは、鎌倉の檑亭に移し、少しずつ、古い日本の面影なり風情が残っている場所を選ぼうと言うことで、今回は、浅草のどじょうとくじらの料理の店駒形どぜうを選んだのである。

   店の来歴によると、
   ”「駒形どぜう」の創業は1801年。徳川11代将軍、家斉公の時代で、初代越後屋助七は武蔵国の出身で、18歳の時に江戸に出て奉公した後、浅草駒形にめし屋を開いた。当時から駒形は浅草寺にお参りする参詣ルートのメインストリートであり、また翌年の3月18日から浅草寺のご開帳が行われたこともあって、店は大勢のお客様で繁盛したと言う。”200年の歴史を持つ老舗。
   関東大震災、第二次世界大戦では店は全焼したと言うのだが、歴史的建造物様の古風な建物で、暖簾をくぐると目の前にひろがる入れ込み席は、江戸の風情がそのままに残った空間だと言うことで、仕切りもなければ衝立もない広い籐席の空間が広がっていて、横縦列一直線に、床面と殆ど変らない高さの細長いテーブルが4列くらい切り込まれていて、それを挟んで左右に縦列一直線に置かれた座布団の上に、客が座って食事を頂くと言う寸法である。
   その床テーブル上に、口絵写真のようなどじょうの鍋や田楽などが並べられ、客は、盃を交わしながら、会食を楽しむと言う訳である。

   平日の昼過ぎに行ったのだが、店はガラガラ。
   帰る頃には、少し増えて、広い空間にばらばら、2割くらいの入りだが、やはり、ドジョウやクジラと言う食材の所為か、通か好きな人でないと、中々、足を向けられないのではなかろうか。
   客は、常連であろう、入り口奥の飾り物の前に陣取った老年の婦人二人が楽しそうに語りながら食べていた。一寸離れたところで、同じような老婦人が、ぽつり一人で、ドジョウを食べていたのが印象的で、客の殆どは、地元浅草の年寄りのような感じであった。
  しかし、シーズンや土日など休日には、観光客が沢山来るようで、今回は機会がなかったが、二階には立派な個室があって、優雅に会食を楽しめると言うことである。

   ところで、ドジョウだが、昔、どこかで、柳川鍋として食べたことがある。
   ウイキペディアによると、”どぜう鍋と同じくドジョウの鍋料理であるが、開いたドジョウを予め割下で煮こみ卵とじにしている点で一般的などぜう鍋と区別される。”と言うことで、ここのドジョウ鍋は、あらかじめ煮られてきたドジョウに刻んだねぎをまぶして煮ながら食べる。

   この日は、良く分からなかったし昼だったので、なべ定食を注文し、駒形どぜう限定醸造だと言う「ふり袖 たれ口」を飲みながら、ドジョウを賞味した。
   大分産のドジョウと言うことだが、調理法の為であろうか、あのドジョウ独特のぬめりなどは消えていて、やわらかくてねぎに合っていた。
   特に、美味と言った食べ物ではなく、私自身は、何回も重ねて食べたいとは思わなかったので、人によっては好き嫌いがあるのではないかと思う。

   私が子供の頃、宝塚の田舎だったので、近くの小川に出かけて、フナやもろこ、ナマズと言った小魚を取って遊んでいて、水田に隣接しているので、水を切って泥をかくと、にょろにょろとドジョウが出て来て、沢山取った記憶があるが、食べる習慣がなかったので、鶏の餌にしていたと思う。

   ところで、この頃、江戸落語を聞きに良く出かけているし、十返舎一九の世界を思い出しながら、店内を見ていたのだが、浮世床、浮世風呂と言った江戸世界は、こんな雰囲気ではなかったかと思った。
   弥次さんや喜多さんがドジョウ鍋を挟んで駄洒落に遊んでいてもいいし、石松が大見得を切っていてもいい、そんな風景を描けるのが面白い。

   一寸、残念だったのは、興味を持って、結構店内の写真を撮ったり酒や料理にレンズを向けていたのだが、この店で、そのデジカメを忘れて帰り、なくしてしまったので、その写真が使えない。
   何枚か写真を撮り続けていたので、席の横に置いたままにして、帰る時にバッグに入れ忘れたらしく、帰ってTUMIのバッグを開けてパソコンに取り込もうとした時、カメラのないのに気付いたのである。
   仲間と店を出てメトロに乗り、そのまま家に直行して、バッグを開いたこともないので、途中での紛失は考えられない。店で忘れたのに違いはないと思い、それに、我々の席近くには誰もいなかったので、すぐに分かると思って、店に電話を入れたのだが、忘れ物などないと言う。

   そうだ、あの店は、江戸の浮世床や浮世風呂と同じで、大衆広場のど真ん中の茶店と言うか、往来の中のオープンな店で床几に座っていたのだ、と言うことに気付いて、少しは溜飲を下げた。
コメント
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