熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場・・・歌舞伎「傾城反魂香」

2014年07月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   7月は、恒例の歌舞伎鑑賞教室公演で、今回は、近松門左衛門の「傾城反魂香」の「土佐将監閑居の場」一幕である。
   配役は、浮世又平後に土佐又平光起(梅玉)、又平女房おとく(魁春)、土佐将監光信(藤蔵)、将監北の方(歌女之丞)、土佐修理之助 (梅丸)、狩野雅楽之助(松江)で、梅玉も藤蔵も初役と言うことであったが、非常に重厚と言うか、素晴らしい舞台を見せてくれた。

  「傾城反魂香」は、近松門左衛門の作で、1708年に人形浄瑠璃として大坂で初演され、歌舞伎では1719年に上演された上中下の三巻構成のお家騒動の物語のようだが、私はこの上の巻の後半の「土佐将監閑居」しか観たことがない。
   少し前に、浮世又平(右近)、女房おとく(笑三郎)、土佐将監(寿猿)など澤瀉屋組で、序幕から二幕目の土佐将監閑居の場まで上の巻が、上演されたようである。


   この上の巻の前半、「近江国高嶋館の場」「館外竹薮の場」をさらっておくと、大体次のようなストーリーのようである。
   近江高嶋の大名頼賢は「名木の松の絵本」を集めていた。絵師狩野元信は歌に名が残っている幻の名松「奥州武隈の松」を描いて名誉を得たいと思って天満天神に祈り、その御告げで敦賀へ向かう。
   元信は敦賀で傾城遠山に会う。この遠山は、土佐将監の娘なのだが、謹慎処分を受けて貧苦のため、将監は娘に傾城勤めをさせていた。遠山は土佐家に伝わる「武隈の松の筆法」を元信に伝授し、二人は恋に落ち再会を約して別れる。
   元信の「武隈の松」が認められ、近江高嶋の六角家の姫君銀杏の前と結ばれることになるのだが、同家の絵師長谷部雲谷や執権不破入道道犬は元信の出世を妬み、お家騒動もからんで二人の祝言を妨害し、元信は捕らえられ柱に縛りつけられる。
   しかし、一心に念じる元信は、自分の肩を食い破って、口に含んだ自らの血で襖に虎の絵を描くと、不思議なことに絵の虎が抜け出しその虎が悪者を追い散らして元信を助けて外へ駆け出して行く。
  元信の弟子・雅楽之助は元信の命をうけ、銀杏の前救出のため後を追い、助けようと戦うが、力及ばず姫と御朱印状を敵に奪われてしまう。
   

   この後が、今回の「土佐将監閑居」の舞台となり、前半が分かっておれば、
   冒頭、庭先に逃げ込んで来た虎を見て、将監は、本物ではなく元信が襖に描いた絵から抜け出た虎だと見抜いて弟子の修理之助がこれをかき消すのも、すらりと筋が通る。
   また、娘が傾城に出ている話を将監がするのも分かるし、何故、唐突に、雅楽之助が花道から威勢よく飛び出してきて、姫が奪い去られたと大見得を切って注進する派手なパフォーマンスを演じるのかも、良く分かって面白いのである。

   さて、「土佐将監閑居」は、実直な絵師として精進を続けながらもチャンスがなくて梲が上がらない吃音の絵師浮世又平と甲斐甲斐しく必死になって夫に尽くすおしゃべりな妻おとくの愛情物語が秀逸である。
   絵の道において何の業績も実績も上げ得ていないので、夫婦で必死になって願うのだが、師匠将監から土佐の苗字を名乗ることを許されないので絶望して切腹しようと、おとくに今生の名残にと促されて、手水鉢を石塔に見立てて決死の覚悟で自画像を描き残す。
   死水を汲みに行ったおとくが、手水鉢の反対側に、又平が描いた自画像が抜け出ている奇跡に驚嘆し、二人は喜びに驚愕、それを見た将監が、執念が実ったと土佐光起の名を与え免許皆伝とし、姫救出の命を与える。

   蛇足のように見えるのだが、又平は、北の方から下付された紋付と羽織袴脇差を身につけて、お徳の叩く鼓に合わせて満面に笑みを浮かべて「大頭の舞」を舞うところが実に良い。
   また、舞の文句を口上にすれば、すらすらと話せることが分かり、将監から晴れて免許状の巻物と因果の筆を授けられた又平夫婦は喜び勇んで助太刀に向かうのだが、花道で、ひょろひょろ歩く又平に、おとくが、威厳のある歩き方を指南する幕切れも、微笑ましい夫婦愛を象徴していて面白い。
   尤も、住大夫によると、近松の原文は、苗字を貰った又平とおとくが、「めでとうめでとう」と謡に合わせて踊る場面で終わっていて、又平の吃音も治らないままだったと言うことである。

   土産用の漫画大津絵を描きながら細々と暮らす不遇の絵師とその妻のしみじみとした夫婦愛、そして、決死の執念と覚悟で描いた傑作が、二人の願いを実らせて奇跡を起こす。
   冒頭は、吃音故に思うことが十分に言えない又平の代わりに、おとくがべらべら喋くり、又平は、おとくに代弁させるのだが、意が通じなくて苛立ち、喉を掻き毟りながら苦衷を吐露する。ユーモラスでコミカルタッチの夫婦のタグが、一気に殺気を帯び始めて、諦めと憔悴に代わって行き、奇跡を呼ぶのだが、このあたりの夫婦と言うか男女の心の触れあい葛藤の描き方は、流石に、心中ものを得意とした近松門左衛門の筆の冴えであろうか。

   特に、おとくの人間描写などは、最高で、不器用でただ絵の道一筋、土佐の名字を得て将監の正式な門弟になりたい一心の又平に、つきつ離れつ、甲斐甲斐しく付き従いながら、一本大きな筋が通っていて肚の座った上方女が、躍動していて実に良い。
   今回の魁春のおとくは、近松の女を実に器用に淡々と、しかし、実に、情感豊かに演じていて、正に、感動ものであった。
   この愛しくて涙がこぼれるような健気なおとくを、魁春が、熱演していて、私など、感に堪えなかったほどである。

   真摯な芸風が魅力の中村梅玉が初役で又平を勤めて話題になっているのだが、弟の魁春のおとくとの相性は実に良く、これだけ、しっくりと又平おとく夫婦を演じ切ったコンビは、初めてだと思った。
   吃音の表現には、夫々の役者の個性があって、梅玉は、喋り出しの瞬間までは表現に工夫を加えて演じているが、その後の台詞回しは、普通の滑らかな台詞で語っていて、分かり易くて、十分に意を達していたと思う。

  中村歌右衛門の芸養子の東蔵が土佐将監を演じていたが、流石に、超ベテラン俳優の貫録十分で、実に情があり風格のある演技で、同じく気品を感じさせた北の方を演じた歌女之丞との雰囲気も良く、感動ものであった。
  それに、非常においしい役どころの雅楽之助を東蔵の長男で、魁春の名前を継いだ松江が、勇壮かつダイナミックに演じて爽快であった。
   今回のこの舞台は、先の中村歌右衛門一門の重鎮総出演と言う舞台であるから、素晴らしくない筈はなく、当然、決定版とも言うべき快作だと思うのだが、その意味でも、随所にこれまで観た「土佐将監閑居」とは、一味違った公演を観た感じがしている。
コメント
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