熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

グローバル食糧危機・・・マルサス的世界の復活か

2009年05月29日 | 政治・経済・社会
   ナショナル・ジオグラフィック6月号が、「人類は食料危機を克服できるか THE GLOBAL FOOD CRISIS」と言うタイトルの非常に興味深い記事(口絵写真は記事トップ)を特集している。
   世界的経済危機で多少緩和されたとは言え、食料価格の高騰は、世界の最貧国の貧しい人々の生活を直撃し、正に、人類の未来に限りなき暗雲を漂わせている。

   セブンイ・レブンが、売れ残りの弁当を値下げして売らせなかったとして独占禁止法に抵触している飽食日本人には別世界の話だが、世界の食料の消費量は、この10年間殆どの年で生産量を上回っており、更に、地球環境の悪化の促進で、食料増産にレッド・シグナルが点灯し始めるなど、食料危機は、死活問題だと言うのである。

   この問題を論じる前に、今、大型書店の店頭の経済書コーナーに平積みされ始めたグレゴリー・クラーク加州大教授の「10万年の世界経済史」の上巻で、「マルサスの罠 1800年以前の経済活動」と言うタイトルで、原始時代から1800年代初頭まで、すなわち、イギリスでの産業革命までは、人類の生活水準は殆ど変化がなかったと、マルサス的経済について、興味深い調査研究を披露しているので、これらを交えて論点を整理したい。

   マルサス的経済の世界では、出生率が上がれば実質所得は必ず減り、反対に、出生率が何らかの理由で下がれば、実質所得は増える。
   出生時の平均余命は、単純に出生率の逆数だったために、出生率が高い限り平均余命は必然的に短くなる。
   従って、産業化以前の社会では、出生率を制限することによって、物質的生活水準と平均余命の両方を引き上げることが可能だったのである。

   1800年以前のマルサス的経済の時代では、驚くなかれ、経済政策は現在とは逆で、現在の悪は当時の善であり、現在の悪は当時の善であった。
   実際にも、戦争、治安の悪化、病気の流行、衛生状態の悪化、母乳育児の放棄等による人口減少は、物質的生活水準の上昇を齎し、反対に、医療技術の進歩、個人レベルでの衛生状態や公衆衛生の改善、飢饉時の公的な食料配給、平和と治安の確保、暴力の抑制等々は、平均余命の伸びにつながり、必ず物質的生活水準の低下を招くこととなっていたのである。
   ヨーロッパでペストの嵐が吹き荒れて、多くの人々が命を落としたあの不幸な時代直後が、ヨーロッパ人の最も生活水準の高い時代であったとまで言われている。
   
   アフリカのサバンナで人類が誕生した原始的な狩猟採取社会から、1800年頃の定住農耕社会に至るまで、殆どの人間社会の経済活動は、他の動物と全く同じである「長期的には出生率と死亡率が必ず等しくなる」と言う厳粛なる経済法則・論理に支配され来た。
   しかし、幸いにも、この人間と他の動物との共通経済論理の分離、すなわち、人類のマルサス的経済からの脱却は、技術進歩の革新的な生起によって起こったイギリスでの産業革命以降に始まり、200年間続いて現在の人類のグローバル化された経済社会に至っている。

   クラーク教授は、下巻で、何故、産業革命が、中国や日本ではなく、イギリスで起こったのか興味深い論証を行っているのだが、もっと重要なのは、人間の幸福度と言う面から、果たして、現代人が享受する物質的に豊かな生活が、喜ぶべきことなのかを問うていることである。
   マルサス的経済の時代には、経済的に成功を収めるためには、他人より多く取り競争に勝たなければならないと言う強烈な衝動に突き動かされ来たのだが、現代人も、いまだに、生まれながらに満足を知らずに突っ走っており、そして、この世界を代々受け継いできたのは、実に嫉妬深い人々なのだと言うのである。

   さて、本論に戻るが、マルサスの人口論で、我々が知っているのは、俗に流布している「人口は幾何級数的に増加するが、食料は算術級数的にしか増加しない」ので、人類社会には無限の成長など有り得ないと言う、言わば、ローマクラブの古典版「成長の限界」説である。
   ところが、前述の産業革命後、人類社会は飛躍的に発展し、地球上の開発にこれ努め、科学技術の発展によって農業革命を引き起こすなどして、食料の増産に成功して、マルサスの罠、呪縛から開放されて来た。少なくとも、そう思ってきた。

   しかし、先の食料価格の高騰による貧困層の食料危機は、ともかくも、エコシステムの崩壊等深刻な問題を引き起こしている地球環境問題など、現在のグローバル経済社会は、新しい形で、マルサス的経済社会の挑戦を受けているのではないかと言う問題意識を持たざるを獲なくなったと言うことである。

   私が子供の頃は、地球上の人口は30億人だと教えられていたが、2050年には、90億人になると言う。
   少なくとも、食糧問題を解決するためには、化学肥料、農薬、灌漑の三種の神器に遺伝子組み換えと言う新技術を加えた第二次グリーン革命を起こす必要があろうが、しかし、この方法は、巨大な資本を利するだけで、地球環境を益々悪化させる心配があると言われている。
   世銀と国連FAOは、世界に9億人いる小規模な農家が恩恵を受けるよう、生態系に与える負荷の少ない、持続可能な農業へと発想を大きく転換すべきだと提言している。
   いずれにしろ、そんな悠長なことを言っていて、この地球船宇宙号の命が持つのかどうかが問題だと思っている。

   マルサス的経済下にあるとしても、生活水準のアップには、平均余命の縮小と人口減しか有り得ないと言うことになり、世界の国々から、食料等経済的支援を行わない限り、益々、餓死状態など国民の生活状態は悪化の一途を辿る。
   同じ宇宙船地球号の乗員である筈。飽食の先進国が、勝手な論理を展開して、現を抜かしているような状態ではないことを認識すべきだと思っている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする