熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

一時代一技術・一挙に電気自動車時代へ突入か

2009年05月15日 | イノベーションと経営
   「危機後の世界と日本の進むべき道」と言う演題で、伊藤洋一氏が、オバマ大統領の「グリーン・ニューディール」と絡ませながら、イノベーションによる世界の経済社会の潮流変化について、興味深い話を展開した。
   世の中を変えるのは、テクノロジーで、国家の命運も、企業の命運を決めるのも、すべからく、テクノロジーである、と言う伊藤氏の確信は、このブログでも論じ続けている「国家も、企業も、発展成長の原動力は、ことごとく、創造的破壊を伴うイノベーションである」と言う私自身の考え方と一致している。
   この講演で語った伊藤氏の自動車や商業分野での新技術による新展開について、私なりの理解を交えながら、将来像を考えてみたい。

   オバマのグリーン・ニューディールは、いわば、世界に向かっての、人類の未来に対する哲学と挑戦への宣言であって、このシナリオに触発されて、一挙に、グリーン・テクノロジーの開発に拍車がかかる。
   現代技術社会の核たる自動車だが、1920年代以前の自動車のエンジンは、蒸気、内燃、電気夫々が三等分の力関係にあったのだが、アメリカで安くて豊富な石油の開発に成功していたので、一挙に、石油がぶ飲みの内燃機関が主流になって現在に至っている。
   しかし、石油の枯渇や環境破壊故に、ハイブリッドや燃料電池等、脱化石燃料化が進み、自動車産業が大きな転換期に直面している。

   伊藤氏が、ポルシェより凄い電気自動車を開発中の慶大清水教授の「一時代一技術」と言う言葉を引用して、自動車産業の、一挙に電気自動車への転換を示唆した。
   ハイブリッド・カーは、化石燃料の節約にはなるが、あくまで、経過措置、つなぎの技術であり製品であり、要するに、これまでの自動車の持続的イノベーションの延長にしか過ぎない。
   ところで、はるかに優れている電気自動車の唯一の難点は、リチウム電池が高くて大きいことだが、イノベーションによって、安くてコンパクトで性能の高いリチウム電池さえ開発されれば、一挙に、雪崩を打って電気自動車がブレイクスルーして、自動車市場を席巻する。
   
   電気自動車だと、夜間電気で充電すれば、1キロメートル1円のハイ・コストパーフォーマンスだと言うし、バフェットが株を取得した中国のBYDオートは200万円で、三菱も300万円程度で本格的な電気自動車を近々に売り出すと言う。
   電気スタンドが、町に広がれば、一挙に電気自動車普及に弾みが付く。
   電気自動車は、エンジンが車輪に付き、車体には電池を収容するだけなので、社内には大きな空間が取れるなど、これは、正に、自動車の破壊的イノベーションであり、一時代一技術だとすると、電気自動車への転換に拍車がかかり、早晩、ハイブリッド車は駆逐されてしまう筈である。
   本来、イノベーションは、不定期に不覚的な環境の中で生まれるのだが、電気自動車用の電池開発と言う、これほどニーズとウオントが明確なイノベーション技術はないので、ブレイクスルーは、瞬時に近いと思っている。

   トヨタが、ハイブリッド車の天井に太陽電池用のパネルを張る研究をしているようだが、電気自動車のエネルギー源として太陽電池技術との融合が実現出来れば、大変なイノベーションとなろう。
   エコカーに対する政府の補助金制度を利用して、私の古いトヨタ車を、プリウスに買い換えるように、販売店から強く勧められているのだが、安いホンダにするか、三菱やニッサンの電気自動車まで待つべきか、思案中である。

   IT技術と百貨店など商業との関わりについて、伊藤氏は、江戸時代の「御用聞き・出前」に戻ったとして面白い話をしたのだが、別稿に譲って考えることにしたい。
   
コメント
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