トヨタが、2009年3月期の業績予想を、前期の最高益から急転直下、戦後初めて、今期営業利益が1500億円の赤字になると発表すると、大変なニュースとなり、日本経済に大きな衝撃を与えた。翌日、ニューヨーク株価に飛び火して、米国政府の救済劇で持ち直した自動車株を再び下落させてしまった。
政府の緊急融資を受けて、越年が可能となったGMが、大リストラの一環として、1919年創業時に設立した最古のウイスコンシンの工場を閉鎖したとTVで放映していたが、20世紀の資本主義経済の発展の牽引役であったアメリカの自動車産業の終焉(?)と言うべきか、経済社会の大きなパラダイム・シフトを如実に示しているようで感慨深い。
今回の一連の自動車産業の大激変を見ていて感じたことは、自動車そのものが、ただのコモディティに成り下がってしまったと言うことと、GMが、かってのトヨタなど後発のローエンド・イノベーターに追い詰められて徐々に体力を消耗し、存亡の窮地に立っているのだが、今絶頂期にある筈のトヨタも、同じように新興国のローエンド・イノベーションによる競争に晒されて、早晩、同じ運命に晒されるのではないかと言うことである。
トヨタは、地球温暖化など人類が直面する深刻な問題解決の糸口として、新世代の新しい車ハイブリッド車を市場に投入して先鞭をつけて、イノベーターとして大きく躍進した。
自動車産業の環境志向を促進すると同時に、遅れを取ったビッグスリーの凋落を早めたと言えよう。
しかし、その革新的経営のトヨタも、今や自動車産業の頂点に上り詰めて、実質的には、現在文明の豊かな社会を満足させる為には、行き着く所まで言ってしまったような気がする。
環境対応や安心安全志向や快適性の追求などと言った自動車の技術革新は、進んで行くであろうが、走る車としての自動車は、今や、トヨタを筆頭に、先進国の自動車メーカーは、クリステンセンの説く持続的イノベーションの罠に嵌まり込んでしまったように思えて仕方がないのである。
ビジネス・ウィークが、中国の比亜迪汽車(BYDオート)が、世界初の量産型プラグインハイブリッド車「F3DM」の販売開始を発表したこと、そして、あのバフェット氏のバークシャー・ハザウェイ傘下のミッドランド・エナジー・ホールディングスが、同社の株式9.9%を取得したことを報道した。
トヨタのカムリと良く似た車のようだが、実際に運転してみると大違いで、停止状態から時速60マイルまでの加速時間が10.5秒の驚異的な加速性能であり、エンジン音がしないということである。
これは、慶応大学の清水教授が開発したエリーカで証明済みの電気自動車の特性だが、このF3DMでも、最高速度160キロで、1回の充電で100キロ近く走ると言う。
まだまだ、普及までにはインフラの整備とか、多くの問題の解決が必要なようだが、私の注目したいのは、車体が200万円と言う低価格で、通常の家庭用電源から充電出来ると言うことだから、夜間電気で充電すれば、清水説だと、1キロの燃料代は1円で済むと言う革命的なエコ・エコカーであると言うことである。
インドのタタが、1台30万円足らずの自動車を開発したが、今現在、このグローバリゼーション市場で、本当に自動車需要が旺盛なのは、新興国であり、それに追随するのはアフリカなどの発展途上国だが、正に、BYDやタタが開発するようなローエンド・イノベーションによる車である筈なのである。
プラハラードが、「ネクスト・マーケット」で紹介していたインドのジャイプル・フットが開発した義足は、米国で一般的に使われている8000ドルもする義足よりも、どんな泥んこ道でも歩けて地面にも座れるはるかに便利な義足だが、たった30ドルであり、インドの貧しい患者には、無償で提供しアフターサービスを行っていると言うのである。
今、グローバル市場が求めているのは、このようなローエンド・イノベーションによる革新的な安価で便利な製品であり、真っ直ぐなキューリでなければならず、海老の長さが同じでなければならないような日本の消費者を満足させるような工業製品ではないのである。
恐らく、米国政府の何らかの救済策で形を変えて生き残ったとしても、アメリカのビッグスリーの存続は有り得ないと思われるので、トヨタの牙城は崩れないと考えられるが、あまりにも強大化して組織疲労を起こし始めたトヨタが、今のままで自動車産業に君臨し続けて行けるのかどうか。
ここで、思い出されるのは、インテルのアンディ・グローブのローエンド・イノベーション戦略で、「今日ローエンドでビジネスを失えば、明日にはハイエンドを失う」と言う至言で、クリステンセンのイノベーション哲学を守って、最底辺の市場にも努力を傾注して製品を開発し続けて、ローエンドからの参入を封殺したことである。
ところで、自動車だが、前述したように先進国では、既に、自動車はコモディティ化してしまって、更なる需要の増加は望み薄で、丁度、家電産業のような過剰満足の状態に陥っており、収益が上げ辛い状態になっている。
特に、今回のような大不況に直面して、消費者が過剰満足を認識し需要に一気にブレーキを踏んだ局面に入ってしまったら、これまでのように世界同時好況で上げ潮であったトレンドの回復は望み得ない。
蛇足だが、前述のBYDだが、実は世界最大の携帯電話用電池メーカーであって、F3DM車は、ガソリンエンジン主体のプリウスとは違って電気自動車主体であり、エンジンも小さく電池の性能は、プリウスのニッケル水素電池よりは上だと言う。
トヨタの競争相手は、早大内田教授の言う異業種格闘時代に突入した今、ビッグスリーやベンツなど同業者ではなくなくなってしまっており、オープン・イノベーションが如何に大切かと言うことを物語っている。
北浜氏などは、トヨタの株式保有で老後の資金をと言った本を書いていたが、本当にそうなのか、考えてみる時期に来ているのかも知れない。
しかし、トヨタは、自動車の将来を見越して、果敢に未来志向の多角経営を心がけている途轍もない優良企業であることは、忘れてはならないと思っている。
政府の緊急融資を受けて、越年が可能となったGMが、大リストラの一環として、1919年創業時に設立した最古のウイスコンシンの工場を閉鎖したとTVで放映していたが、20世紀の資本主義経済の発展の牽引役であったアメリカの自動車産業の終焉(?)と言うべきか、経済社会の大きなパラダイム・シフトを如実に示しているようで感慨深い。
今回の一連の自動車産業の大激変を見ていて感じたことは、自動車そのものが、ただのコモディティに成り下がってしまったと言うことと、GMが、かってのトヨタなど後発のローエンド・イノベーターに追い詰められて徐々に体力を消耗し、存亡の窮地に立っているのだが、今絶頂期にある筈のトヨタも、同じように新興国のローエンド・イノベーションによる競争に晒されて、早晩、同じ運命に晒されるのではないかと言うことである。
トヨタは、地球温暖化など人類が直面する深刻な問題解決の糸口として、新世代の新しい車ハイブリッド車を市場に投入して先鞭をつけて、イノベーターとして大きく躍進した。
自動車産業の環境志向を促進すると同時に、遅れを取ったビッグスリーの凋落を早めたと言えよう。
しかし、その革新的経営のトヨタも、今や自動車産業の頂点に上り詰めて、実質的には、現在文明の豊かな社会を満足させる為には、行き着く所まで言ってしまったような気がする。
環境対応や安心安全志向や快適性の追求などと言った自動車の技術革新は、進んで行くであろうが、走る車としての自動車は、今や、トヨタを筆頭に、先進国の自動車メーカーは、クリステンセンの説く持続的イノベーションの罠に嵌まり込んでしまったように思えて仕方がないのである。
ビジネス・ウィークが、中国の比亜迪汽車(BYDオート)が、世界初の量産型プラグインハイブリッド車「F3DM」の販売開始を発表したこと、そして、あのバフェット氏のバークシャー・ハザウェイ傘下のミッドランド・エナジー・ホールディングスが、同社の株式9.9%を取得したことを報道した。
トヨタのカムリと良く似た車のようだが、実際に運転してみると大違いで、停止状態から時速60マイルまでの加速時間が10.5秒の驚異的な加速性能であり、エンジン音がしないということである。
これは、慶応大学の清水教授が開発したエリーカで証明済みの電気自動車の特性だが、このF3DMでも、最高速度160キロで、1回の充電で100キロ近く走ると言う。
まだまだ、普及までにはインフラの整備とか、多くの問題の解決が必要なようだが、私の注目したいのは、車体が200万円と言う低価格で、通常の家庭用電源から充電出来ると言うことだから、夜間電気で充電すれば、清水説だと、1キロの燃料代は1円で済むと言う革命的なエコ・エコカーであると言うことである。
インドのタタが、1台30万円足らずの自動車を開発したが、今現在、このグローバリゼーション市場で、本当に自動車需要が旺盛なのは、新興国であり、それに追随するのはアフリカなどの発展途上国だが、正に、BYDやタタが開発するようなローエンド・イノベーションによる車である筈なのである。
プラハラードが、「ネクスト・マーケット」で紹介していたインドのジャイプル・フットが開発した義足は、米国で一般的に使われている8000ドルもする義足よりも、どんな泥んこ道でも歩けて地面にも座れるはるかに便利な義足だが、たった30ドルであり、インドの貧しい患者には、無償で提供しアフターサービスを行っていると言うのである。
今、グローバル市場が求めているのは、このようなローエンド・イノベーションによる革新的な安価で便利な製品であり、真っ直ぐなキューリでなければならず、海老の長さが同じでなければならないような日本の消費者を満足させるような工業製品ではないのである。
恐らく、米国政府の何らかの救済策で形を変えて生き残ったとしても、アメリカのビッグスリーの存続は有り得ないと思われるので、トヨタの牙城は崩れないと考えられるが、あまりにも強大化して組織疲労を起こし始めたトヨタが、今のままで自動車産業に君臨し続けて行けるのかどうか。
ここで、思い出されるのは、インテルのアンディ・グローブのローエンド・イノベーション戦略で、「今日ローエンドでビジネスを失えば、明日にはハイエンドを失う」と言う至言で、クリステンセンのイノベーション哲学を守って、最底辺の市場にも努力を傾注して製品を開発し続けて、ローエンドからの参入を封殺したことである。
ところで、自動車だが、前述したように先進国では、既に、自動車はコモディティ化してしまって、更なる需要の増加は望み薄で、丁度、家電産業のような過剰満足の状態に陥っており、収益が上げ辛い状態になっている。
特に、今回のような大不況に直面して、消費者が過剰満足を認識し需要に一気にブレーキを踏んだ局面に入ってしまったら、これまでのように世界同時好況で上げ潮であったトレンドの回復は望み得ない。
蛇足だが、前述のBYDだが、実は世界最大の携帯電話用電池メーカーであって、F3DM車は、ガソリンエンジン主体のプリウスとは違って電気自動車主体であり、エンジンも小さく電池の性能は、プリウスのニッケル水素電池よりは上だと言う。
トヨタの競争相手は、早大内田教授の言う異業種格闘時代に突入した今、ビッグスリーやベンツなど同業者ではなくなくなってしまっており、オープン・イノベーションが如何に大切かと言うことを物語っている。
北浜氏などは、トヨタの株式保有で老後の資金をと言った本を書いていたが、本当にそうなのか、考えてみる時期に来ているのかも知れない。
しかし、トヨタは、自動車の将来を見越して、果敢に未来志向の多角経営を心がけている途轍もない優良企業であることは、忘れてはならないと思っている。