ICT推進のためのカンファレンスだったが、門外漢の私には、専門的なICTに関する講演より、総論的な基調講演、京大竹内佐和子教授の「次世代ビジネスをリードする競争力」と多摩大中谷巌教授の「日本企業の底力と課題」の方が面白かった。
中谷教授の議論は、神の国とは言わないまでも、日本は世界に冠たる歴史と文化・伝統を持った偉大な国であるから、アングロサクソンなんのその、自信と誇りを持って、今こそ、底力を発揮すべきであると言う勇ましい話であったが、これは、これまでに、このブログで論じているので、今回は端折る。
最近、リトアニアに行ったのだが、あんな小さな日本が、自分たちにとっては憎んでも憎みきれない宿敵のロシアを、日露戦争でやっつけたと言うので、大変な日本びいきであった、もっと、日本人として自信を持て、と聴衆に語った。
ロシアは、隣国から徹底的に嫌われていて、フィンランドやトルコに、東郷通りや東郷ビールがあるのだから、このあたりの日本びいきは、敵の敵は友達と言う理論展開であろうから、本物とは思えないが、悪い気持ちはしない。
竹内教授は、工学博士と経済学博士のダブルメイジャー、両刀使いの超インテリで、日本の教育はなっていない、日本人の教養不足は目を被うばかりであると、辛口の理論展開だが、論点は至極ご尤もで、迫力があって面白かった。
紫式部の父親藤原為時が、この子が男の子であればと嘆いたと言うが、国際的な桧舞台で縦横無尽に活躍している竹内教授の働きを見ていると、日本の男どもは何をしているのかと言う気持ちになる。
その紫式部の名作源氏物語も、今年が、千年紀である。
冒頭、竹内教授は、
世界経済が益々不確実性を増大させて来ているが、
過去に囚われない新たなる思考方法を学ぶべきチャンスであり、
地球温暖化リスクの拡大など深刻な問題を共有すべきなど決定フレームが変わった時代であることを認識することが大切であり、
同時に、オバマの勝利が何を意味するのか、読み違えると、ジャパン・パッシング、ジャパン・ナッシングでは済まなくなると語り始めた。
特に地球温暖化問題については、新産業創出の説明の時にも強調したが、早く情報やニーズをキャッチして、日本の最先端技術を切り札にして使うことが決定的に重要だと言う。
気候変動対策ルールを構築し、日本の省エネ技術や機能を、世界標準化すべく努力を傾注すべきである。
日本の誇る世界最高水準の次世代コンピュータを、炭素市場へ活用し、地球シュミレーターを構築すれば可能である。
さらに、日本の環境、省エネ技術をアジア諸国に移転して、アジアの生活基盤の向上に尽くすのは日本の重要なミッションだと説くのである。
オバマ政権の実現は、Capitalism with Humanity、すなわち、世界的人権の重視、国際協力・援助など人類の更なる幸せのための新しい国際主義への志向でありChangeである。
Leadership for Value Creation、ケネディ大統領が宣言したように、国民一人一人が国家のために何が出来るのかを問われる時代となり、特にビジョンを持った強力なリーダーが求められる時代となるのだが、リーダー不足に悩む日本とのレベルの差が益々拡大すると顔を曇らせる。
面白いのは、今回の2兆円ばら撒きだが、一人一月あたり1千円で何が出来るのか、最早、政府が国民に金をばら撒く時代は終わっており、これは、国民が政府への信頼関係を完全に消失した証である。2兆円あれば、日本の将来のために多くの素晴らしい投資が出来るのに、と、オバマの話の後で、切り捨てる。
国際競争力の源泉となるのは、デザイン力、設計だと言う。
人類のために、国家のために、社会のために、時代の要請に対して何が出来るのか、どのように貢献できるのか、と言った使命感を体現したデザインである。
特に重要なのは美しさであり、日本の伝統や文化など素晴らしい美意識で培われた資産、文化遺産を活用することが必須だと言って、自身で活けた生花の写真を示しながらその重要性を語った。
21世紀は、文化の時代であり、日本の誇る美意識をモデル化し、文化力を形にする訓練を積み重ねることが大切で、その為には、文化資産を身近にしなければならないのは当然であろう。
日本の活性化のためには、
日本が豊かになろうとする意思が最も大切だと言う。
現状打破の出発、
成長路線からの転換、
最大のチャンスは、イノベーション。
日本の将来への評価は、日本の市場魅力度とグローバル適合度で決まると言う。
新産業を生み出すためには、次世代ビジネスへのセンスを高めることだが、その為には、時代の要請を満たすべく圧倒的なスピードで生産性をアップさせ、国際的なネットワークを駆使し、効率的かつ適切な情報管理に努めることである。
しかし、とどのつまりは、ICTの付加価値を高めるなど、知的生産性をアップする事が最も重要であるから、賢くならなければならないと言うことであろう。
頭が良ければ、文科も理科も両方出来るのだと竹内教授は冒頭で語っていたが、益々、頭脳が要求される社会となるのであろうか。
中谷教授の議論は、神の国とは言わないまでも、日本は世界に冠たる歴史と文化・伝統を持った偉大な国であるから、アングロサクソンなんのその、自信と誇りを持って、今こそ、底力を発揮すべきであると言う勇ましい話であったが、これは、これまでに、このブログで論じているので、今回は端折る。
最近、リトアニアに行ったのだが、あんな小さな日本が、自分たちにとっては憎んでも憎みきれない宿敵のロシアを、日露戦争でやっつけたと言うので、大変な日本びいきであった、もっと、日本人として自信を持て、と聴衆に語った。
ロシアは、隣国から徹底的に嫌われていて、フィンランドやトルコに、東郷通りや東郷ビールがあるのだから、このあたりの日本びいきは、敵の敵は友達と言う理論展開であろうから、本物とは思えないが、悪い気持ちはしない。
竹内教授は、工学博士と経済学博士のダブルメイジャー、両刀使いの超インテリで、日本の教育はなっていない、日本人の教養不足は目を被うばかりであると、辛口の理論展開だが、論点は至極ご尤もで、迫力があって面白かった。
紫式部の父親藤原為時が、この子が男の子であればと嘆いたと言うが、国際的な桧舞台で縦横無尽に活躍している竹内教授の働きを見ていると、日本の男どもは何をしているのかと言う気持ちになる。
その紫式部の名作源氏物語も、今年が、千年紀である。
冒頭、竹内教授は、
世界経済が益々不確実性を増大させて来ているが、
過去に囚われない新たなる思考方法を学ぶべきチャンスであり、
地球温暖化リスクの拡大など深刻な問題を共有すべきなど決定フレームが変わった時代であることを認識することが大切であり、
同時に、オバマの勝利が何を意味するのか、読み違えると、ジャパン・パッシング、ジャパン・ナッシングでは済まなくなると語り始めた。
特に地球温暖化問題については、新産業創出の説明の時にも強調したが、早く情報やニーズをキャッチして、日本の最先端技術を切り札にして使うことが決定的に重要だと言う。
気候変動対策ルールを構築し、日本の省エネ技術や機能を、世界標準化すべく努力を傾注すべきである。
日本の誇る世界最高水準の次世代コンピュータを、炭素市場へ活用し、地球シュミレーターを構築すれば可能である。
さらに、日本の環境、省エネ技術をアジア諸国に移転して、アジアの生活基盤の向上に尽くすのは日本の重要なミッションだと説くのである。
オバマ政権の実現は、Capitalism with Humanity、すなわち、世界的人権の重視、国際協力・援助など人類の更なる幸せのための新しい国際主義への志向でありChangeである。
Leadership for Value Creation、ケネディ大統領が宣言したように、国民一人一人が国家のために何が出来るのかを問われる時代となり、特にビジョンを持った強力なリーダーが求められる時代となるのだが、リーダー不足に悩む日本とのレベルの差が益々拡大すると顔を曇らせる。
面白いのは、今回の2兆円ばら撒きだが、一人一月あたり1千円で何が出来るのか、最早、政府が国民に金をばら撒く時代は終わっており、これは、国民が政府への信頼関係を完全に消失した証である。2兆円あれば、日本の将来のために多くの素晴らしい投資が出来るのに、と、オバマの話の後で、切り捨てる。
国際競争力の源泉となるのは、デザイン力、設計だと言う。
人類のために、国家のために、社会のために、時代の要請に対して何が出来るのか、どのように貢献できるのか、と言った使命感を体現したデザインである。
特に重要なのは美しさであり、日本の伝統や文化など素晴らしい美意識で培われた資産、文化遺産を活用することが必須だと言って、自身で活けた生花の写真を示しながらその重要性を語った。
21世紀は、文化の時代であり、日本の誇る美意識をモデル化し、文化力を形にする訓練を積み重ねることが大切で、その為には、文化資産を身近にしなければならないのは当然であろう。
日本の活性化のためには、
日本が豊かになろうとする意思が最も大切だと言う。
現状打破の出発、
成長路線からの転換、
最大のチャンスは、イノベーション。
日本の将来への評価は、日本の市場魅力度とグローバル適合度で決まると言う。
新産業を生み出すためには、次世代ビジネスへのセンスを高めることだが、その為には、時代の要請を満たすべく圧倒的なスピードで生産性をアップさせ、国際的なネットワークを駆使し、効率的かつ適切な情報管理に努めることである。
しかし、とどのつまりは、ICTの付加価値を高めるなど、知的生産性をアップする事が最も重要であるから、賢くならなければならないと言うことであろう。
頭が良ければ、文科も理科も両方出来るのだと竹内教授は冒頭で語っていたが、益々、頭脳が要求される社会となるのであろうか。