熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

吉右衛門と仁左衛門の盟三五大切・・・南北の奇妙な愛憎劇

2005年06月17日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   6月夜の部の歌舞伎座の演目のメインは、鶴屋南北の世話物で、「東海道四谷怪談」の続編で、並木五瓶の「五大力恋緘」の書き換えの「盟三五大切」。
   お岩が死んだ長屋が舞台になったり、忠臣蔵の不破数右衛門が出てきたり、忠臣蔵外伝のような奇天烈な悪者達の愛憎劇、話のつじつまは無茶苦茶で合っているのかいないのか、そこはそこで、江戸時代の侍・浪人と町人の生き様が見えて面白い。
   
   吉右衛門演じる薩摩源五兵衛(不破)は、御用金紛失の咎で勘当された浪人の身。一方、仁左衛門の笹野屋三五郎は、親に頼まれ旧主の為に100両調達する為に、情婦小万を芸者に出して稼がせる悪。夫婦二人で、源五兵衛が小万にぞっこんなのを良いことに、伯父より借り受けた100両を騙し取るが、騙されたと知った源五は、二人と思って誤って他人を殺害する。
   恐れおののきながら逃げる二人を追いかける源五との愛憎劇。強欲な小万の兄・大家が絡むが、とどのつまりは、二人の旧主は、源五その人、同じ100両が回り回っただけ。
   それを知らずに、小万は源五に殺され、三五郎は自害する。

   親に勘当されたアウトロー小悪を、仁左衛門が好演。この6月歌舞伎で、封印切の丹波八右衛門や新口村の父親孫右衛門の関西歌舞伎の和事の世界と、江戸の世話物・小粋な江戸の小悪党を演じ分ける器用さ、それに、どっぷり役に浸かりきった芸の確かさに感銘を受ける。
   昔むかしのことだが、仁左衛門を最初に見たのは、TVで、八千草薫とのラブロマンス、あの頃は少しニヒルで優男風の印象で本当の二枚目であった。今の仁左衛門は、芸の深さと貫禄だけでは説明のつかない高みに上っている。
   それに、今回は、時蔵の小万とのしっぽりとした男女のからみが、玉三郎や孝太郎相手の場合と違った雰囲気を醸し出していてまた違った味があって面白い。

   吉右衛門は、持ち味どおりの、得体の知れない凄みを利かせた骨太の源五を演じている。
   凄惨な殺人鬼でありながら、不破数右衛門として忠臣蔵の一味に加えられる幕切れなど、正に、南北の世相を風刺した皮肉、パロディだが、江戸時代の庶民は何を考えていたのか。

   歌六が演じる大家だが、お岩が殺された部屋に、店子を入らせて、夜中にお化けに化けて出て怖がらせて追い出して店賃を稼ぐ強欲ぶり。
   小万を追い込み嬲り殺す源五だが、首を帯びに包んで持ち帰り、口にご飯を運ぶ奇奇怪怪、とにかく、南北の世界は、恐怖と笑いをない交ぜにした世界で、悪の華がここまで極まれり、と言った異様な雰囲気である。
   ところが、そこは歌舞伎で、小万殺害の場面でさえ、錦絵の様に美しい舞台を展開する。虚実皮膜、何処までも美しいのである。

   7月の歌舞伎・シェイクスピアの十二夜の大カンバンが、歌舞伎座の正面に出た。
   蜷川幸雄がどんなシェイクスピアに仕上げるのか、楽しみである。

   随分前になるが、染五郎が、ロンドン歌舞伎でハムレットとオフェリアを演じるのを見た。
   歌舞伎役者は、裃を付け美しい衣装を身に着けるが、素晴らしいシェイクスピア劇になることであろう。 
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