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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

高等教育こそがアメリカの最優良産業・・・ファリード・ザカリア

2009年04月05日 | 学問・文化・芸術
   「アメリカ後の世界」の中で、アメリカの将来について、ザカリアは、中国やインドでの新卒技術者数が、アメリカのそれを圧倒しており、アメリカの科学技術の将来は危ういと言う通説は、完全に間違っていると論破し、アメリカの高等教育の卓越性は、他の追随を許さないと説いている。
   中国とインドの数字には、簡単な技術しか習得していない二年制三年制の大卒者が過半で、それに、自動車整備士や修理工まで含まれているとすれば、質では、アメリカの方がはるかに上で、人口比では比べものにならないと言うのである。

   また、ザカリアは、世界に冠たるインド工科大学(IIT)についても、10億の国民から選ばれた最良の頭脳であることは間違いないが、「平凡な設備、無気力な教師、創造性に欠ける授業など、実際のIITは様々な面で二流の教育機関」だと言う。
   IITの優秀性は、優秀な学生を選抜する良く出来た入試試験だが、教師と施設の質では、アメリカの月並みな工科大学の足元にも及ばない。たとえ、IITなどを卒業しても、インドや中国では、大学院教育の質が極端に低いので、数多くの学生が留学のために故国を離れなければならない。
   毎年、インドでコンピュータ科学の博士号取得者は、35~50人だが、アメリカでは1000人だと言うのである。

   もう一つのアメリカ教育の欠陥として指摘されている小中高の学力の低さだが、アメリカの真の問題は、教育の質が悪いと言うのではなく、教育へのアクセスが悪い点にある。アメリカ国内の地域間、人種間、社会経済的地位間の成績のばらつきは、総合点からは見えて来ないが、マイノリティの貧困層に属する子供の成績が、大きく足を引っ張っている所為である。
   上位20%の生徒は世界のトップクラスで、正課と課外の区別なく、不眠不休で勉学に励む姿は、アイビーリーグを訪問すれば誰でも見ることが出来ると言うのである。(私も、アイビーリーガーだったが、勉強をよくするのは確かだが、不眠不休は疑問。)

   ザカリアは、「高等教育こそがアメリカの最優良産業だ」として、中国の研究者による定量分析と、英国の「タイムズ高等教育便覧」による世界の大学ランキングを引用して、上位10位の内、アメリカの大学が、夫々8校および7校占めており、優良大学の過半はアメリカであり、人口5%のアメリカが、高等教育の分野を完全に支配していることは事実だと言う。
   
   このことについては、大前研一氏も、近著「さらばアメリカ」において、同じくタイムズの資料に基づいて、「アメリカの強さの秘密は大学にあり」として、アメリカの高等教育制度の突出した優秀性について言及している。
   ただし、アメリカの大学のレベルが高いのは、アメリカ人の知能レベルが高いからではなく、驚くほど国際化して門戸を開いて世界中から優秀な人材を集める仕掛けをビルトインした国境を越える「人材吸収システム」にあるのだと強調している。

   このタイムズ2008ランキングには、東大が19位に入っているのだが、最近の事情は疎いにしても、私自身の日米での経験から言えるのは、ほかの事はともかく、日本の学生は勉強しなさ過ぎると言うことで、学生が、学問芸術を軽視し知への憧れと探求を怠っていると言うか、この程度のお粗末な勉強量では、知の爆発しているグローバル時代に対応など出来る筈がないと感じている。

   ザカリアの説明で面白かったのは、インドの教育システムは、英国式ないしヨーロッパ式の教育手法の影響で、日本と同じような暗記と頻繁な試験を重視する詰め込み式で、自分自身、「毎日大量の知識を頭に詰め込み、試験の前には一夜漬けで暗記をし、翌日にはすっかり忘れると言うことを繰り返していた」と言う。
   ところが、留学先のアメリカの大学は、別世界で、正確性と暗記は求められず、人生での成功に必要なこと、精神機能の開発に重点が置かれていて、考えるための教育であった。

   アメリカが数多くの起業家、発明家、リスクテイカーを生んでいるのは、この資質ゆえでもあり、知力には試験で測れない部分があって、アメリカには、想像性、興味、冒険心、大志などを育む学びの文化がある。
   この文化は、人々に、伝統的な知恵や権威に挑戦する力を育み、失敗を犯し失敗から這い上がる力を与えるとともに、学生の創意と機転と問題解決能力を育て優秀な学生が報われる制度を醸成していると言うのである。

   これらの論点については、このブログで何度も論じているので、これ以上の深入りは止めるが、ザカリアも大前研一も、アメリカの衰えについて言及していながら、アメリカの底力である知的世界への挑戦力の健全性を説いている点を注視したいと思っている。
   
   
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ダンテ・フォーラム2009~精神と音楽の交響

2009年03月15日 | 学問・文化・芸術
   ”地上で最も甘やかな音を流して心を惹くメロディーも 雲裂きとどろく雷のたぐいだ。
   宝石のように天を飾ったあの麗しい碧玉の冠、天の竪琴の音に較べれば。”
   今道友信東大名誉教授は、ダンテフォーラムで、ダンテの「神曲」天国篇の一節を引きながら、「精神と音楽の交響」について語った。

   平等院の奏楽天女群像やフラ・アンジェリコの天使奏楽図で示されているように、宗派を超えてあらゆる高等宗教においては、天上の音楽の素晴らしさを説いているように、崇高な美しい音楽は、精神と交響することによって、この猥雑な世界から、人々の魂を洗い清め至高の高みへと導く。
   芸術音楽は、topos(場所)に支配されない垂直に立つ 限りなく自由な 超越志向の精神とあこがれの夢の結晶である。

   不遜にも、遅れて途中から聴講した所為もあり、私には、ダンテは程遠く、今道先生の高邁な講義を理解するのには、多少無理があるのだが、講義を聞く毎に、世俗に塗れて詰まらぬことにうつつを抜かして生活している自分を反省しながら、有難く聞いている。
   今道教授は、哲学者としても美学者としても大変な大学者で、ユーモアたっぷりながら仙人のような風格のある語り口で、人間として、心すべき大切なことを教えてくれる。

   自作の詩「チェロを弾く象」を朗読したが、この作品自体が、時空を超えた文化文明論を駆使しながら詠った、人類の未来を憂うる高邁な詩で、是非、機会を見てじっくり鑑賞させて頂きたいと思った。
   
   興味深かったのは、ピアニストのシューラ・チェルカスキーとの逸話で、芸術家の目的は何かと聞いた時に、彼があこがれだと答えたのに感激し、芸術も学問も、このあこがれが最も大切だと強調したことである。
   司会者の松田義幸氏が、あこがれだけでは食って行けないと発言したのに対して、確かに、あこがれは一文にもならないし、自分も仕事を得る為に乞食のように頼み込んだこともあるが、あこがれをなくしてしまったら、芸術家も学者もおしまいだと、毅然として応えていた。 
   崇高な魂へのあこがれが、美しい天国のような音楽に巡りあって交響し、至福の高みに止揚してくれる、そんなことを伝えたかったのかも知れないと思って聞いていた。

   三村利恵さんが、ザルツブルグの教会で聞いたフォーレのレクイエムに感激のあまり涙したと語っていた。
   心の中に良い音楽を思い出して、崇高な精神を呼び戻し心を高揚させる、記憶は良いものだと今道教授は語っていたが、そのためにも、よい音楽を聴いておくことが、まず、大切である。
   経験がなくても、美しい音楽に接して、琴線に触れて感激することもあろうが、しかし、音楽もそれなりの訓練と学習が必要で、やはり、素晴らしい音楽にあこがれ続ける姿勢は必要であろう。
   ベートーベンだけがまともな音楽家で、ハイドンもモーツアルトも、ただの職人にすぎないと言って憚らなかった三枝茂彰氏だが、天上の音楽とも言うべき音楽を作曲したモーツアルトが、人間を最も天国に近づけ得る作曲家であったと言うことを認識していないのは確かで、今道先生との落差は大きい。

   この後、ウィーンで活躍していたソプラノの白石敬子さんが、夫君の白石隆生さんのピアノ伴奏で、世界の桧舞台で歌った素晴らしいイタリア・オペラのアリアを聞かせてくれた。
   ヴェルディの「オテロ」から、「柳の歌~アヴェ・マリア」
   プッチーニの「ジャンニ・スキッキ」から、「わたしの愛しいお父さん」
   そして、「蝶々夫人」から、「ある晴れた日に」

   九段南のイタリア文化会館での、休日の午後の至福の時間であった。
     
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意識を作る・認識を変える~東京外大の総合人間学シンポジウム

2009年01月28日 | 学問・文化・芸術
   東京外大アジア・アフリカ文化研究所と日仏東洋学会が、恵比寿の日仏会館で、非常に興味深い総合人間学国際シンポジウム「意識を作る・認識を変える よりよい地球共同体を求めて」を開いたので聴講した。
   ブッダの認識の転換、ドストエフスキーと父殺しから始まって、西欧と仏教の出会い、シャーマンの意識の変化、夢語りが神話を作ると続き、最後は、こころの形成の脳科学と言ったタイトルの、非常に専門的で高度な講演の連続なのだが、私自身、日ごろあまり馴染みのないテーマでもあったので、興味深く勉強させて貰った。

    最初の中谷英明東京外大教授のブッダの認識論の話から難しい。
    ブッダ逝去直後の最古のテキストからの認識論だが、人の認識は、その人の側の精神様態(志向性)に左右され、人の苦しみは、この嗜好性のなせる業だと言う。
   この志向性の桎梏から開放されるためには、人里離れた自然の中での孤独な生活が必要で、自然からの無限の刺激を受けつつ内省することが、新しい、活力に満ちた認識、すなわち大きな安心を獲得する唯一の方法であると述べていると説く。
   しかし、これは、自然以外に何もなかった何千年も前の話であり、こんなに文明化して地球上が人工の文化文明で満ち溢れている時代に、そんなことを言われてもピンと来ないと言うのが正直なところではないであろうか、と変なことを考えて聞いていた。

   東京外大亀山郁夫学長のドストエフスキーの父殺しの話。
   まず、カラマーゾフの兄弟自体、読みかけて面白くないので止めてしまい、トルストイの戦争と平和の長いのに辟易して読むどころではなかったので、ロシア文学には縁が殆どないし、陰鬱な上に父殺しの話であるからいい加減に聞いていたが、
   ドストエフスキーの根源とは父殺しで、総ての人間が抱え持つ恥部=原罪であり、普遍的なドラマであり、それをより壮大なスケールで再現できると言う自信が生まれた時こそ「カラマーゾフの兄弟」誕生の瞬間だと言う。
   私には息の詰まるような到底縁のない話であったが、これも高邁な学問なのかも知れない。

   私が興味を感じたのは、ハーバード大ヴィッツェル・ミヒャエル教授のシャーマニズムの話と、新宮一成京大教授の神話作りの関係と言うか連続性で、原始的な人間の宗教や神話などは、人間の知的な知識の積み重ねではなくて、天啓や夢など人知を超えたパワーによって生まれたのだと言うことである。
   シベリアのシャーマンは、突然の危機的な状態に陥った人物が、天の啓示を受けて、その天啓に導かれて選ばれた人間であることを悟ると同時に、その霊を体現して、異世界に自由に飛翔して神や霊と交信する超人たるシャーマンになるのだと言う。夢遊の境地で踊ったりドラムを叩いてシャーマンの儀式を行うなど、世界中で見られるシャーマンのプロトタイプだが、要するに、異常な体験を経て天啓を得て神になると言うことであろうか。

   一方、精神科医の新宮教授の話では、夢を見た体験を語り合って、それが顕著な構造を生み、そうして生まれた構造が語り継がれて神話になったと言うことらしい。
   神話は、夢と夢語りから生まれて、一部は書き留められて固定化しているが、人間が夢を見る限り、今も、絶えず夢語りの中で生成し続けている動的構造なのだと言うのである。
   
   フランスCNRS今枝由郎理事の「西欧と仏教の出会い」は、フランスでの東洋学への関心の推移も含めて語られたが、アメリカの方がはるかにオープンで、フランスの文化的学問的な閉塞性を感じながら聞いた。

   新潟大の中田力統合脳研究センター長の「こころの形成の脳科学」が、私にとっては最も新鮮で強烈なインパクトがあったのだが、とにかく、知識情報面で最も遠い世界の話だったので、非常に難しい。
   脳はエントロピー(確率)の場であり、情報を扱う。脳は情報を処理する毎に学習し、学習により情報の処理が変わる。
   情報の蓄積が心であり、小脳の学習と大脳の学習と染色体記録・本能の脳の働きによって情報が集中されて心が形作られる。
   要するに心は脳で形成されると言う話のようだが、
   パネルディスカッションの司会も勤めた中田氏が、最後に、人間は理解し合えるのかと自問して、
   これまで積み重ねられて出来上がってしまったものについては理解し合えないが、マイクロソフトのお陰で共通言語が出来上がったので、これからは分かり合えるであろうと語っていたのが印象的であった。

   
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金融危機がMETやカーネギー・ホールを直撃

2009年01月26日 | 学問・文化・芸術
   アメリカの金融危機による経済不況は底なしの恐怖だが、その影響が、ニューヨークのオペラ芸術の殿堂であるメトロポリタン歌劇場や、歴史に残る多くの名演コンサートで有名なカーネギー・ホールなどの文化的な機関の経営に波及して、経営を圧迫し始めたと言う。
   恐らく、ブロードウエーにも不況の波は押し寄せているのであろうし、もっと、経済状態が悪いと言うロンドンのロイヤル・オペラやウエスト・エンドのミュージカル劇場の苦境は大変なものであろうと思われる。

   日本の劇場はどうなのか、今月は、歌舞伎劇場、都響の定期と映画館だけしか知らないが、確かに大入り満員ではなかった。
   しかし、名門オペラではあるまいし、ベルナルド・ハイティンク指揮のシカゴ響のチケットが3万5千円で売り出されているような非常識な国であるから、不況の影響がないのかも知れない。
   余談ながら、私は、最盛期のハイティンクを、コンセルトヘボーやロイヤル・オペラ、それに、ウィーン・フィルやベルリン・フィルで直接かなり聞いており、随分前だがシカゴ響も聞いており、確かに魅力的な組み合わせではある。しかし、400ドルとは法外で、現地と比べて4倍ほどの高値だと思うが、直前になってディスカウント・チケット発売無しに客が入れば、ご同慶の至りで、もしそうなら、日本のクラシック音楽ファンが別人種だとしか考えられない。

   ところで、METだが、今夜のNHK「クローズアップ現代」で、「芸術を変革せよ ピーター・ゲルブ氏に聞く」と言うタイトルの番組が、ニューヨーク訪問中の国谷アナウンサーがMETで、ゲルブ総裁にインタビューする形で放映されていた。
   世界中の劇場に、最新の技術を駆使して、METの公演を同時上映して好評を博しているMETライブ・ビューイングなどのイノベイティブな経営等について、ゲルブ総裁の芸術革新をレポートする番組だったが、私が興味を感じたのは、今回の金融危機の影響を諸に被ってMETの経営状態が悪化して、経営建て直しと言う新しい挑戦を受けていると言うことである。
   (今年度は、まだ、行っていないが、METライブ・ビューイングやゲルブ総裁の経営については、何度か、このブログでも書いているし、昨年1月にはMETで4演目見ておりレポートも書いている。)

   ゲルブ氏の報酬を30%削減したり、スタッフの給与の引き下げを求めており、コストのかかる大掛かりな演目を取りやめるなど、相当大変なようだが、公的資金のサポートのあるヨーロッパの歌劇場と違って、主に、法人や個人の献金や寄付、入場料収入、基金の運用益等と言った劇場だけの収入に頼った経営であるから、景気が悪化すれば、一挙に企業や個人からの資金がダメッジを受け、また、同時に入場者が激減するのであろう。
   普通、欧米のオペラやオーケストラ公演の場合には、年間を通して定期会員券を取得している客が多いのだが、METは劇場が大きいこともあり、また、ニューヨークの特性もあり、かなり、観光客の観客が多いので、そのためのチケット売り上げの減少も大きいのではないかと思う。

   このMETライブ・ビューイングだけでも、コストが1回に1億円掛かると言っていたが、折角、斬新かつ革新的な経営革新で、新しい芸術の創造と普及のために始動し始めたゲルブの試みが、後退しないことを祈るのみである。
   オペラが民衆に愛されるためには、野球と同じで、実況放送が最も望ましいと考えて、METライブ・ビューイングを企画したようだが、これから、益々進展発展を続けてゆくITデジタル技術を駆使すれば、全く、想像も出来ないような素晴らしいオペラの楽しみ方が生まれるかも知れない。

   カーネギー・ホールの苦境については、今夜の日経夕刊の「音楽の殿堂に不況の波 来期の公演1割減」と言う記事で知ったのだが、この劇場も、興行収入と寄付金等で運営されており、個人の寄付金や企業のメセナ社会貢献活動の減少で経営悪化に見舞われていると言う。
   この劇場は、前世紀の古き良き時代のアメリカの音楽文化の息吹をむんむんと感じさせてくれる素晴らしい雰囲気のホールで、ニューヨーク・フィルが本境地を移してからは、色々な公演が行われているのだが、やはり、アメリカ文化を発信し続けている文化財的な存在でもある。

   いずれにしろ、経済不況は、人々の生活を窮地に追い込むのみならず、不要不急で最もナイーブで脆弱な文化を真っ先に直撃し蝕む。
   ところで、この頃、NHKが、デジタル放送で、毎週のように素晴らしいオペラ番組を放映しているので、当分は、これをDVD化して楽しむのも手かもしれない。
   録画しか利かないが、NHK教育TV3など毎月曜夜に、海外名門劇場のオペラ公演を放映していて、中々魅力的である。
   一回のチケットが6万円以上もする海外オペラ公演鑑賞の楽しみから程遠いが、相撲と同じで、安い切符を買って米粒のような力士や歌手の姿を見るよりも、臨場感豊かで、この方が良く分かって別な楽しみ方が出来て良いのかも知れない。
   
(追記)写真は、METライブ・ビューイングで、マスネのタイスの幕間で、ルネ・フレミングを案内役のプラシド・ドミンゴがインタビューするシーン。NHKTVより。
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美術館の未来~社会と対話する美術館

2008年11月29日 | 学問・文化・芸術
   日仏交流150周年記念として、日経主催、フランス大使館、日仏美術学会後援で、日仏の美術館関係者が参加して、「美術館の未来」シンポジウムが丸ビルホールで開かれた。
   日仏の現代美術館の活動報告を皮切りに、美術館の教育普及活動の方法とメディエーション(仲介機能?)について事例が紹介され、最後に、このような取り組みに対して、行政機関やディベロッパーがどう対応するのか等々、美術館の未来のあり方をテーマにして非常に意欲的で建設的な、シンポジウムが展開された。

   所謂、ルーブルや上野の西洋近代美術館などのような在来型の美術館ではなく、最近創設された現代美術に焦点を当てた美術館についてのシンポジウムであった所為もあるが、
   第一印象は、美術館の機能なりコンセプトが随分変わったなあと言うのが正直な感想であった。
   元々、パリのポンピドー・センターなどは、国立近代美術館があるけれども、それ以外に劇場や映画館、産業創造センター、音響音楽研究所などが併設された総合芸術センターであるから、絵画や演劇、音楽などパーフォーマンス・アートとのコラボレーションがあっても不思議はないのだが、
   今回、紹介された金沢21世紀美術館(不動美里学芸課長説明)でも、現代絵画の収集・展示だけではなく、美術館の内外を問わず劇場や美術作品の媒体として積極的に活用して、絵画や造形と演劇・音楽などのパーフォーマンスを合体させながら芸術作品を生み出すと言った試みを行っており、更に、市街に出て芸術活動するなど非常にアクティブである。

   興味深いのは、パリの郊外に新設されたヴァルヌ・ド・マルヌ現代美術館(ステファニー・エローさん説明)だが、共産党の肝いりで、文化の多様性の確保と人民への開放と言う政治的意図が働いて出来たと言うことだが、ここなども、ある意味ではもっと積極的に社会との対話のみならず浸透を図っており、学校予算の1%は芸術に投資すべきだとする法にしたがって、中学校の校庭に、18メートルもある巨大な鹿の彫刻を据え付けたりと言った館外活動も行っている。

   今回のシンポジウムでは、若者を巻き込むプロジェクトと言う触れ込みもあり、特に、子供たちへの芸術教育と言う観点から、各美術館の子供たちへの教育普及活動について、詳しく、説明されていた。
   フランス大使館のエレーヌ・ケレマシュター文化担当官が、前職のカルティエ現代美術館の経験を語っていたが、狭い展示会場に設置された作業台の上で、集まった子供たちに、画家と同じ手法で絵を描かせたり造形を作らせたりしていたが、これらが、他の鑑賞者たちと同化していて決して違和感なく進行しているのが面白い。
   取っ付き難い高名な芸術家ジャン・ピエール・レノー氏を招いて、作品の前で、4歳以上の子供たちと説明と質疑応答等対話を行ったのだが、こんなことから縁の遠かったレノー氏が、子供たちから新しいビジョンを教えられたと言っていたことを披露していた。

   現代美術については、固定観念の強い大人には、全くスムーズには受け入れられなくて、教育が必要だが、子供たちにはストレートに入っていくのであろうか。
   私など、板に沢山釘を打ったボードや、絵の具をぶっちゃけて筆で殴り書きした様な絵画や、風車のお化けのような造形や、色電気が点いたり消えたりした暗い小部屋から良く分からない音が聞こえて来たり、・・・とにかく、何処がどのように良いのか分からず理解に苦しむことが多くて、正直なところ、何時も、美術館では、現代美術のコーナーは、小走りに見過ごすことが多くて、修行が足りないと反省している。

   正直なところ、美術館としては、東京都現代美術館、ポンピドー・センター、グッゲンハイム美術館程度しか見ていないのだが、これを機会に、鎌倉の神奈川県立近代美術館から歩いてみようと思っている。

   ところで、日本とフランスの美術館で差があったことで興味深かったのは、
   日本の場合、子供たちを巻き込むのに、美術館が、学校や教師に積極的に働きかけて、教育の一環として組み込もうとしているのに対して、フランスでは、学校教育とは一切関係なく、子供たちへの美術教育の普及だと考えて独自に子供たちにアプローチしていること、
   そして、日本では、美術館のアシストに、民間や学生などのボランティアを活用しているが、フランスでは、プロないしプロに近い人を給料を払って雇って働かせていると言うことであった。
   フランスでは、文化活動の一環であっても、雇用の創出とか、芸術家に対する機会の提供や、関連産業への経済的波及を考えているようで、お国の事情と言うか、考え方の差が現れていて面白い。
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過去をめぐる安全と安心~アフリカの歴史から・・・東京外大永原陽子教授

2008年11月27日 | 学問・文化・芸術
   安全と安心のできる社会と言うテーマで、東京のトップ大学の「四大学連合文化講演会」が、一橋記念講堂で開かれ、昨年同様聴講した。
   学術研究の最前線をやさしく開設すると言うのが狙いだが、聴講生の殆どは、四大学(東京外大、東京工大、一橋大、東京医科歯科大)のOBと思しき老紳士で占められ、水準の高い非常に感銘深い講演会であった。
   そのうちの一つの講座であるが、東京外大の永原陽子教授が、アフリカの歴史から、如何に、これまで黒人たちの人権が無視されて来たか、そして、現在、少しづつグローバリゼーションの激しい潮流の中で人格を認めれつつある現状を、
   一人の南アフリカの先住民コイコイ人(ホッテントット)女性サラ・バールトマンの悲しくも残酷な人生を紐解きながら語った。

   サラは、1789年生まれで、白人の農場で働いていたが、1810年に、ロンドンへ連れて来られて、「ホッテントットのヴィーナス」として見世物に出され、ピカデリー広場でのショーにイギリス人がわんさと押しかけマスメディアに好奇の記事が書かれたと言う。 
   更に、1814年にパリに移され、ここでも見世物に出され、1815年に同地でなくなった。
   残酷にも、死亡と同時に、解剖学者G・クヴィエが解剖し、パリ人類博物館に、サラの骸骨、脳・性器のホルマリン漬け、蝋人形が作られて、1974年まで展示されたと言うのである。
   
   イギリスの意思で、1964年から獄舎に長い間収監されていたネルソン・マンデラが釈放され、1994年に南アフリカの民主化が実現し、サラの身体の変換を求める声が沸きあがり、フランス政府もこれに抗し切れず、返還なって、2002年8月9日に、伝統に則り故郷の地・南アフリカ東ケープのハンキーに埋葬された。
   長い間、南アフリカは、アパルトヘイトで人種差別が激しかったにしても、それとは関係なく、サラは、英仏人からは、サルか人間かの境の動物同様に扱われていたと言うことが問題で、彼らの人道主義とか人権尊重とか大きなことを言っても、その程度の低俗さであったのである。

   私が、子供の頃、もう50年以上も前のことだが、世界地理の本に、この口絵写真の絵のように、ホッテントットの女性は、お尻が飛び出しているのだと書いてあったし、半信半疑だったが、学校でもそう習った記憶がある。
   マンデラについては、ロンドンで何度もイギリス政府に対するマンデラ開放の激しいデモを見ていたが、ガンジーに対するイギリス政府の態度は完全にイギリスの方が間違っていたと確信していたので、マンデラの場合も同じことだと思ってイギリス人と激しく渡り合ったことがある。

   一方、アメリカに居たのは、1972年から2年間だったが、キング牧師の大変な努力で、1964年に公民権法が制定されていたにも拘わらず、公民権運動に不快感を示し、人種隔離政策を執拗に唱えていたジョージ・ウォーレス・アラバマ州知事が、大統領選挙に出るなど、まだまだ、黒人やマイノリティ国民に対する白人アメリカ人の差別意識は高かったのを覚えている。
   また、この時、アメリカ軍が北爆を停止しヴェトナムから撤退を始めたが、まだ、激しい戦争は続いていたし、アメリカ人のヴェトナム人に対する人権尊重意識などさらさらなく、アジア人蔑視感覚は濃厚であったし、これに懲りず、同じことをイラクで繰り返している。

   余談だが、メキシコ・シティで、闘牛を見ていた時、隣にいた若いアメリカ人のカップルが、マタドールがトロに止めを刺すのを見て、見ていられないと目を覆ったので、君たちは同じことをヴェトナムでしているではないかと言ったら、「あれは悪夢だ。言わないでくれ。」と顔を伏せたのを思い出した。
   アメリカには、今でも、クー・クルックス・クランと言う極端な白人至上主義の集団があるし、ドイツでも、ネオナチ集団が活動していると言うことだが、世界歴史は、20世紀の後半から新世紀の幕開けに向かって、大きく、民主化平等化への道を進み始めている。

   オバマ大統領の登場が、新しい時代の到来を告げる歴史の大転換だと言われているが、必然の結果であり、驚くべきことではないと思うが、しかし、随分時間がかかってしまったとつくづく思う。
   私自身もアジア人であり、日本人なので、欧米では自分のアイデンティティについて随分思い知らされたし強烈に意識したことがある。
   しかし、幸いと言うべきか、日本が上り調子で、国力が隆盛を極めていた1990年代前半までの海外での生活および仕事だったし、アメリカが私自身に高等教育を与えてくれていたので、欧米人とは、機会があれば、徹底的に、文明論や世界観など持論を展開して来た。
   相手が分かったか分からなかったか、そのことも大切だが、自分たちの拠って立つアイデンティティに誇りを持って、自分たちの歴史、文化、伝統などの尊さを語ることの大切さをかみ締めていたのである。

   日本人である我々は、このように世界に誇るべ偉大な遺産を継承しており、国力も充実していて幸いだが、人類発祥の地であるブラック・アフリカは、まだまだ、大変な苦難の中にある。
   永原陽子教授は、アフリカ先住民の歴史を研究しながら、自らの歴史を記録のなかった/できなかった人々の歴史の回復のために努力を続けていると話を締めくくった。
   久しぶりに、感動的な講演を聴いた。
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本を捨てるな・・・国民読書年推進会議・安藤忠雄座長

2008年11月21日 | 学問・文化・芸術
   建築家安藤忠雄氏が、座長就任に際して、推進会議発足の集いで「本を捨てるな」と言う演題で、講演を行った。
   自身で設計した石川県の西田幾多郎記念館、姫路の和辻哲郎文学館、そして、司馬遼太郎記念館などのプロジェクトを、建築写真を示しながら語った。
   司馬家を訪れた時、夥しい数の蔵書を見て、司馬文学に鏤められた力に満ちた言葉の背後にあるものを垣間見た思いで感銘を受け、壁面を全て書架で覆って三層吹き抜けの展示空間のイメージを編み出したのだと言う。

   ところで、今、安藤事務所に30人のスタッフが居るが、全く新聞を読まないらしく、漢字離れが激しいと嘆く。
   安藤氏は、高校の時に、大学に行きたかったが、経済的に無理だったので諦めたと言う。その後で、何時も、頭の方も無理だったのでと付け加える。
   卒業後1年間は、何処へも行かず、建築の本を読んで独学することに決めて、京大や阪大の教科書など建築関係の本を一心に読んで勉強したと語る。

   同時に、建築物を見て勉強することを心に決めて、20代に数回世界放浪の旅に出たが、その時には、必ず数冊の本を携えて出かけ、読んでは建築を見、見ては読みながら、精神の高揚感を感じながら建築への限りなき感性を磨いた。
   「移動の時間はひたすら本を読み、新しい街に立つと、太陽が沈むまで、一心に建築を探して歩き回る。旅の過程、本を読みながら、同時に現実から学ぶことで、知的探究心はより深められた。現実の多様な価値に満ちた世界と本の誘う創造的世界、この二つの世界を行ったりきたり、旅して回る中で、私の建築家としての骨格が形作られていった。」と言うのである。

   「先人の叡智が詰まった本は、誰にも開かれた心の財産である。
   それを自ら放棄することは、あまりにもおろかな所業である。」ときっぱり断言する。

   私自身は、本が趣味と言うよりは、私自身の生活そのものであり、人生の一部であるから、安藤氏の語っている言葉は痛いほど良く分かるし、それに、私の場合には、これまで、幸い仕事の関係などで海外生活や海外を歩く機会が多く、趣味も兼ねて積極的に歩き回ったので、
   本などで知識や情報を得ながら、実際の異文化や世界の文化・歴史遺産などに遭遇することで如何に多くの貴重な資産を与えて貰ったか、その恵みは限りないと思っており、私は、安藤氏の話を聞いていて感動さえ覚えた。
   
   この日、安藤氏は、建築設計上奈良の神社仏閣を見学する必要があった時、大阪から歩いたと語った。30キロほどなので、10時間くらいで着き、その間、色々なことに遭遇し、ものを考えるので好都合だと言うのである。
   事務所に来ている若者は京大の学生が多いのだが、夜、10時前になるとそわそわするので何故だと聞くと、終電が10時10分で遅れると帰れないと言うので、歩いて帰れば良いではないかと言った。広島大学の学生は、広島まで歩いて帰ったが、この時の経験が大学時代の最大の収穫だったと言っていると、こともなげに語る。
   この何ものにも囚われない、パーフェクトでフリーな安藤氏の人生哲学が堪らなく感動的なのである。

   この日、安藤氏は、今の子供には放課後がないと言った。
   塾や習い事に追いまくられて、ものを考え豊かに発想する、感性を養い本当の人間的な感動や喜びに浸るフリーな時間が全くないと言うのである。
   そう言われれば、私の子供の頃には塾などなかったし、学校から帰るとかばんをほっぽりだして、日が暮れるまで、野山を駆け回って遊びほうけて勉強などせず、毎日が放課後であった。
   
   今度結成された「国民読書年推進会議」は、日本を代表する叡智が20人以上参加し、安藤忠雄氏が座長で動き始めた。
   源氏物語千年紀の記念すべき年に発足した会議であり、日本の将来に何を残してくれるのか楽しみでもある。
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「2010年国民読書年推進会議」に自民幹部揃い踏み

2008年11月20日 | 学問・文化・芸術
   6月6日に超党派で衆参両院で採択された「2010年国民読書年とする国会決議」を受けて、文字・活字文化推進機構が開催した推進会議発足の集いに、自民党の錚々たる面々が来賓挨拶に登壇し、何時ものように公務のためにと言って即座に退席して帰って行った。
   霞ヶ関に近い日本プレスセンター・ホールが会場とは言え、塩谷立文部科学大臣、細谷博之幹事長、川村達夫官房長官、中川秀直衆議院議員と言う自民党の重鎮が、夫々関連組織の会長を引き受けているとは言え、やはり、文化でも、トッププライオリティの課題となると足を運ばざるを得ないのであろうか。

   当日は、福原義春会長の挨拶の他、阿刀田高氏挨拶や、安藤忠雄氏の講演を含めて1時間と言う凝縮されたプログラムであったので、それなりに充実していたが、
   先生方の話は、文化や文字や読書など、日本の将来のために大切だと能書きは勇ましいのだが、殆どありきたりの話で、演説などで、文字の誤読、読み違え、解釈間違いを犯して失敗したと言う話で聴衆を笑わせていた。
   このブログで、参院で40年の「五車堂書房」の店主が最近の議員の読書について、「勉強不足、本当の読書家いないね」と言っていたと言う日経の記事についてコメントを書いたことがあるが、その時、日経が議員たちに読書について聞いて書名などを列記していたが、到底、日本の国を背負って国政を担っている人物たちの読書とは思えないようなお粗末さであった。
   多少、見栄を張って良い格好をして回答したとするのなら、なおさら情けない限りであるが、来賓挨拶を聞きながら、どんな気持ちで、若者の文字離れを憂い、日本国の国語文化の将来を慮っているのか、甚だ疑問を禁じ得なかった。

   細田幹事長は、父親が読書好きで万冊の本に埋もれながら読書に勤しんでいたと言う話をした後で、麻生首相が、原稿を読み飛ばした話をとやかく言うのはどうかと言って笑わせて首相のマンガ好きの話をしながら、そんな人柄を見込んでお仕えしているのだと語っていた。
   中川氏は、誤読や解釈間違いの経験を冗談交じりで語り、その日、ゴア元副大統領との昼食会で、オバマ次期大統領の話が出たのだが、オバマ氏のシカゴでの大統領当選スピーチを全文英語で読み、同じアメリカは一つだと言う言い方にしても、あれだけ豊かで内容のある卓越した演説が出来るのには感服したと述べた。(日本の政治家は、足元にも及ばないと言うニュアンスを込めて。)

   ところで、わが総理大臣閣下だが、週刊新潮が、
   「学習院の恥」だとOBも見放した「おバカ首相」麻生太郎 マンガばかり読んでいるからだ!
   と言う大見出しで記事を書いているらしいのを、電車の吊り広告で見た。
   語ることは何時も威勢が良いのだが、今回の医師にたいする失言にしても、知的な香りが全くしないことは事実である。叔父さんは、偉大な英文学者吉田健一氏なのだが。
   スタンフォードとLSEで何を勉強して来たのであろうか。
   ウイキペディアの麻生太郎の記事で、国会での文字の誤読の酷さを列記しているが、文字・活字文化推進機構は、大臣にどう物申すのであろうか。
   私は、マンガは読まないので、ゴルゴ13など、ルビがふってあるのであろうか。
   この調子では、ブッシュ大統領の演説程度の格調さえも備えられない国会演説しか聴けそうになさそうである。
   
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自然と共に生きる・・・安藤忠雄

2008年11月14日 | 学問・文化・芸術
   
   今、27カ国でプロジェクトを抱えて、一ヶ月ごとに世界中を走り回っている安藤忠雄氏が、最近の作品などを解説しながら、本来の人間らしさを取り戻して幸せに生きるためには、建築や都市が如何にあるべきか、大阪訛りと発想で持論を展開した。
   同じ日の午後、同じ内容の安藤氏の講演を、私は、日経BP社の建設フォーラム2008の「自然と建築の共生―最新プロジェクトを通して」とNECのC&Cユーザーフォーラム2008「自然と共に生きる」で2回聞いたが、非常に新鮮で面白かった。
   要するに、聴衆に訴えていたのは、「日本人は、感性を磨かなければならない。」日本人の感性のなさは致命的で、このままで行くと、日本の将来は暗いと言うことである。

   何時も語るのは、日本の女性が何故男より元気なのかと言うことだが、好奇心があるからだと言いながら、ドバイで出会った大阪の中年婦人たちのことを語った。
   大阪の関空23時30分発の直行便に乗り日帰りすると0泊2日で往復出来るので、この便を利用して3回往復したが、帰途ドバイ空港で大阪に帰る件の婦人たちに会ったので話していると3泊の旅でエステに来たと言う。別れて歩き始めて「もう遅い」と口走ったら、追っかけて来て「そんなこと言うから男は駄目なんや」と言われた。
   夜に知人宅に電話をすると電話口に出てくるのは必ず主人で、奥さんは歌舞伎を見に行って居ない。
   それにひきかえて、男たちは、昼には、「売り上げを上げよ、利益を上げよ」と追い立てられているので、休みには寝転がっているか、偶のゴルフくらいだと揶揄する。

   現在、ベニスで、フランスのブランド王国ピノー財団のために古い文化財的な建物を改装しているが、その前の運河にディスプレイされたジェフ・クーンズの彫刻の写真を見せて、日本人の感性のなさを語った。
   一見、阪神ファンが7回や勝利後に打ち上げる長い風船を折り曲げて作った犬のような真っ赤なオブジェだが、重さが18トンと言う巨大な鉄の塊である。
   これを見て美的感覚も何も働かない日本人が、15億円するのだと言うと、「ホーッ」と感心すると言う。

   もう一つの話は、関空のために土を取って裸になった跡地を緑の公園にして、海の波打ち際に、帆立貝をびっしり敷き詰めて美しい浜辺を造った。
   これを見に来た一団の母子。子供は「ワーッ。綺麗!」と歓声を上げた。
   ある母親が、「このプラステック、よう出来てるわ」と言った。その親の子を見ると、ボケッと感性の全くない顔をしていた。
   この話の後で、こんな話を付け加えた。聞いたこともない大学を出た両親が、子供に「何が何でも京大に行け」と言ってるので、貴方たちの子供ですかと聞いたら「そうです」と言う。頭は遺伝するのに・・・
   親が感性を磨かない限り、子供に感性など育つ筈がない。親がこの状態だから、日本の明日は暗いと言うのである。

   安藤氏は、デビュー作であるコンクリート打ちっぱなしの2階建て「住吉の長屋」の話から始めたが、この住宅は、3分の1を占める真ん中の部分を中庭として開放し、厳しい条件下の都市住宅でも自然と共生する新しい生活像を提案したと言うのである。
   真ん中が天井無しのがらんどうだから、雨の日など、居間から台所へは嵐の中を傘をさして行かねばならないし、真冬の深夜に尿意を催すと厳寒の中庭を渡らなければならないし、とにかく、冷暖房なしの自然のままの住居なのだが、オーナーは、30年以上も、寒さ暑さにに耐えて住み続けていると言う。

   この中庭をオープンにした建物は、アラブのモスクの影響を受けてラテン・ヨーロッパやラテン・アメリカに、美しい邸宅などのパティオとして素晴らしい住空間を形作っているが、あくまで、大邸宅などの中庭としてである。
   ロンドンのシェイクスピア劇場であるグローブ座も、オリジナルを模して円形の劇場の真ん中は青天井である。したがって、平土間の立見席の客は、雨の日にはビニールの簡易コートを身に付け、太陽の照りつける日には、紙の帽子を被る。
   京都の町屋などは、中庭があって、風通しを良くして住環境を快適にしている。
   しかし、いずれにしても、安藤氏の住吉の長屋ほど、劣悪な住環境ではない。
   この自然空調システムのアイディアを活用すると同時に、安藤氏のもう一つのイメージである卵型フォルムを駅舎空間に取り入れて、東急東横線渋谷駅を設計した。30メートル下まで、空気が自由に出入りする自然換気システムの実現である。

   今では、普通になっている屋上緑化であるが、安藤氏は、30年以上も前だが、大阪駅前開発の時に、市の開発するビルに、何度も屋上に木を植えたパースを持って出かけたが聞いてもらえなかったと言って、全く緑の欠片もない大阪駅前の鳥瞰図写真を示して、如何に、計画性がなく、個々のビルがいい加減に好き勝手に建てられているか、無秩序なコンクリート・ジャングルを語った。
   2006年にオープンした表参道の同潤会青山アパートの跡地に建てた表参道ヒルズで、屋上全面に木を植えており、夢を叶えている。
   屋上緑化など、ドイツでは、随分以前からやられているのだが、いずれにしろ、誰もが意識さえしなかった頃から、安藤氏は、エコ空調の建物空間の創造や屋上緑化など、自然環境を活用した建物を志向していたのである。

   この安藤氏の自然との共生と言うビジョンは、神戸淡路大震災の時に、もくれん30万本運動から勢いを増し、日本中に緑の美しい空間を造ろうと、最近では、東京湾のごみの山に木を植えて、循環型社会のシンボルにしようと「海の森」プロジェクトを推進している。
   先日書いたニコルさんのプロジェクトと同じように、素晴らしい人間賛歌への営みである。
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森からみる未来・・・C・W・.ニコル

2008年11月13日 | 学問・文化・芸術
   強くなりたくて柔道や空手を学ぶために、日本に来たが、素晴らしい日本のブナの原生林の美しさに感激して日本に住み着いて45年。日本国籍を取って、ケルト系日本人になったと、日本の素晴らしい自然の美しさと、長く住んでいる黒姫に開発したアファンの森を語りながら、「森からみる未来」について、作家のC・W・ニコル氏は、1時間、NECのC&Cユーザーフォーラムで熱っぽく講演した。

   ブナの原生林があってさんご礁がある、大きな島国でありながら独立を保ってきた、言論と宗教の自由それに宗教からの自由のある国、大戦後ずっと平和を守り続けている・・・こんな素晴らしい国は、世界中に稀有だと言う。

   故郷のサウスウエールズは、あの素晴らしい映画「故郷は緑なりき」の舞台だが、かっては、炭鉱のためにぼた山が延々と続き野山の自然が破壊されて、緑地が5%しかなかった状態だが、近くに、ブナの森が維持されていた。
   このブナ林が一番美しいと思っていたのだが、日本の原始のままのブナ林を見て、そのあまりの素晴らしさに、誇り高き自分たちの祖先のケルト人が、何故必死になって、聖なる木である筈のブナの林を原始のままの状態に死守してくれなかったのか、悔しくて泣いたと言うのである。

   私が、ウェールズを旅したのは、もう、20年ほども前になるが、イングランドと違って比較的山がちなので緑は多い方だと思った。
   しかし、イギリス人は、世界制覇のための造船用に、産業革命時の燃料のために、或いは、牛や羊の放牧などのために、即ち、自分たちの産業と生活のために、原生林を悉く伐採し破壊しつくしてしまっており、まして、植民地のようにイングランドに征服されていたウェールズに、ニコル氏が憧れるブナの原始林など残っている筈がないのである。

   イギリスの森や林、まして、特別に造られた風景庭園の美しさには目を見張るものがあり、また、牧歌的な田園風景など、正に、コンスタブルの絵になるような美しさだが、これ皆、人工の美しさであり、原始の美など残っていないのである。
   日本の白神山地のブナ林や屋久島の杉や大台ケ原などと言った原始のままの素晴らしい自然美の存在は、正に、八百万の神を敬い自然との共生を重んじる日本人の自然観のなせるわざで、私自身は、このエコシステム尊重の日本魂は、世界に冠たるものだと思っている。
   イギリス人は、ギリシャの廃墟や建物をあしらって自然景観を模した風景庭園を造り、俗に言われているイングリッシュ・ガーデンのように自然の風情を醸し出したガーデニングを好むが、これなど、悉く、似非自然なのである。
   日本の庭園も、多少、これに似て人工的だが、森や林については、下草を刈ったり、ひこばえを払ったり、人工の手を加えながら、原生林を大切に維持してきた。

   大陸の原生林も、その多くは、牛の放牧など牧畜のために破壊されてきており、ヨーロッパ人は、自然のエコシステムを破壊し殆ど自分たちの都合の良いように訓化して来た。
   今、地球温暖化が問題になっているが、環境破壊、エコシステムの破壊は、有史以降、文明国であった筈のヨーロッパで、延々と続いて来たのである。

   ニコル氏は、大きく手振りを交えて、ブナ林の素晴らしさを語った。
   ブナは水の神様の木、涼しい風を作り出し、何とも言えない芳しい香りを放ち、木漏れ日はどのステンドグラスよりも美しく、何処からでも流れ出てくる水は素晴らしく美味しい、
   何処よりも人口密度の高い日本で、水俣病や公害の激しかった日本で、原生のブナ林が生きているのを見て涙が出たと言う。
   ヨーロッパのどの人種よりも古いドルイド教徒であったヨーロッパの主ケルトの血が、本当の自然に接して蘇ったのであろうか。

   アングロサクソンやバイキング等に苛め抜かれたケルトには、戦い好きの遺伝子があるのだと言う。
   それに、自然の中で自由に生きていた遺伝子であろうか、ニコル氏は、最大東京に4日、ロンドンに2日、パリには行く前から、それ以上居ると耐えられなくて蕁麻疹が出るのだと言う。
   広い所を見たい、不自然でないものを見たいと思って堪らなくなるので、都会生活は合わないのだと言うのである。

   放置されていた竹薮を買って、森を再生した。アファンの森である。
   美しい森の風景を映しながら、激しく鳴きしきる素晴らしい小鳥たちの鳴き声をバックに、森が蘇って行く姿や人々の活動などをビデオで流した。
   先日、チャールズ皇太子一行が訪れた話、東京のNECの同業者の女子社員が訪れた時に「木には種類があるのですか」と信じられないような質問をした話、親に虐待されて捨てられた子供たちが森で嬉々として遊ぶ姿、
   そんなことを話しながら、如何に森が人間にとって素晴らしいものかを、ニコル氏は語り続けた。

   40年前の日本の田舎、そして、里山には素晴らしい自然があり、人々との共生が、あったことを見て知っていると語った。
   ウサギ追いしかの山、小鮒釣りしかの川・・・そんな世界である。
   貧乏だったけれど、貧しくなかった。
   子供たちの目は輝いていたし嬉々としていた。
   野山は子供たちの天国。
   子供たちを森へ帰そう。
   We can do!
   ニコル氏は、そんな言葉を残して演壇を去った。
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あたたかい医療と言葉の力

2008年10月30日 | 学問・文化・芸術
   一橋講堂で、医療機関の3人のトップが一堂に会して、「あたたかい医療と言葉の力」と言うテーマで、医療の現場などにおける会話やコミュニケーションについて語るシンポジウムが開かれた。
   文字・活字文化推進機構と朝日新聞の共催だが、パネリストたちが推薦本を紹介していたし、丁度、隣の神保町で、古本祭りを行っていたので、読書の秋としては格好の企画でもあった。

   中京大学稲葉一人教授の司会で、日本医師会唐沢祥人会長、日本歯科医師会大久保満男会長、日本薬剤師会児玉孝会長に、エッセイストの岸洋子さんが加わって、医師や薬剤師の立場から、或いは、患者・一般人の立場から、夫々、医療の現場での言葉の交換やコミュニケーションにおける複雑な思いや人間関係などについて、非常に含蓄のある意見交換が行われた。
   聴衆は、やはり、、医療関係の人たちや文学関係の人たちが多かったのであろうが、沢山の昔のお嬢さんたちや昔のお兄さんたちも参集して熱心にメモを執っていた。

   冒頭、唐澤会長が、昔は、医者はぺらぺら喋っては駄目だと言われていたのだが、最近では、インフォームド・コンセントで、患者さんに納得して貰えるように説明しなければならないので、お互いに意思の疎通を図るために、良く話し合う機会を作り出すことが大切になったと語った。

   大久保会長は、患者と医師との言葉のやり取りは、普通とは違った環境の中での会話であり、これを理解していないと、一番大切な信頼が築けなくなる。口を開けて治療中に、「痛かったら言って下さい」と言って喋れるわけがないのだから、口を開ける前の、体を通したコミュニケーションは、病気の情報以上に大切であり、それを分かる鋭敏さが必要だと言う。

   児玉会長は、薬物療法が多くなってきた昨今の状況を踏まえて、薬は副作用との戦いであるから、如何に使い方を正しく伝えるか十分な会話・コミュニケーションが大切だと語った。薬店を訪れる人は、病気前の人、未病の人が多く、元気な中に適切なコミュニケーションを取れる立場にあるので、昔は、地域の一番の知恵者であり相談相手であったと、薬店の役割の大切さを語る。
   そう言われれば、昔、サンパウロに住んでいた時、病院に行けば長く待たされていい加減な治療しか受けられない貧しい人たちは、殆ど薬店に行って注射を打って貰ったりして、病気を治していたのを思い出した。

   岸本さんは、ご自身の癌との戦いを通じての体験から、医者や医療の場でのコミュニケーションの大切さを、実に、穏やかに誠実に語った。
   検査中に打たれた注射の痛みに耐えかねて(痛いと言ったら悪いと思って)ヒーッと言って耐えたら、看護婦さんに、「痛ければ痛いと言った方が気が休まりますよ」と言われたこと。
   手術を受けた夜、麻酔が効いているので大丈夫だと言われたが、痛みが酷くて、麻酔の入れ忘れかやり方が悪くてコントロールが利かないのか、雑菌が入って化膿したのかなど考えて不安になり、我慢していたがナースコールを押した。医師が飛んで来て丁寧に状況を説明し、医療ミスではなく想定内の痛みだと言われて、安心して気が休まり、痛みは同じだったが、眠りにつけたこと。
   聞いて貰った、受け止めてもらった、伝わったとの思いの大切さ、言葉を発することの大切さを感じたと言う。

   岸本さんが、医療の現場の人々は、非常に多忙なので、質問や疑問があれば、前もってメモに質問状を書いて渡しておくのだといったことについて、医療側も、図や絵を描いて説明したり、チャートを書いたりして、極力、患者に分かり易いように心がけているのだと語っていた。

   岸本さんが、「××日に検査の結果が出るので、その結果によって一緒に治療方法を考えましょう」と医師に言われて、自分も頑張らなければと連帯意識を持てたことなど、医師と患者との対応の仕方などを語ると、
   唐澤会長が、「対面スタイルが良くない、資料を前にして医師と患者が横並びでコミュニケーションを交わすスタイルが良い」とか、
   大久保会長が、「治療する時などの患者との距離のとり方、その対応の上手下手が重要である」とか、
   児玉会長が、「薬店のカウンターを低くして座って話せるようにしたり、仕切りを作って対話できるようにするなど心がけている」とかと、どんどん、医療関係者と一般の人々とのコミュニケーションのとり方への意欲的な試みに話が弾んで行った。

   司会の稲葉教授が、このように3巨頭が一堂に会するなど殆どないのだと言っていたが、文字・活字文化推進機構も気の利いたイベントをするものである。
   帰途、提灯に照らされた神保町の古本祭りのワゴンで、文化勲章のドナルド・キーン先生の読みそびれていた「明治天皇」上下巻を見つけたので、買って帰った。
   
   
   
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大学進学率がOECD水準以下の日本の貧困

2008年09月10日 | 学問・文化・芸術
   エコノミストの電子版を開いていたら、口絵の写真が掲載されていて、OECDが、先進諸国での大学生の急増に対処するために各国政府が有効な対策を打つべく迫られていると言うレポートを出したことを知った。
   まず最初にこのグラフを見てショックを受けたのは、高卒の大学進学率についてで、日本は45%程度で、OECD平均の57%よりはるかに低いことであった。
   オーストラリア、フィンランド、アイスランド、ポーランド、スウェーデンなどは、高卒の4人に3人は大学に進学しており、日本の水準は、アメリカには勿論、60%近い韓国の足元にも及ばない。
   日本より低い国で、一寸意外だったのは、IT立国のアイルランドで、スペインとドイツでは、2000年以降教育支出が落ち込んでいると言う。

   このブログで、欧米の大学やプロフェッショナル・スクール(大学院)等を含めて多くの教育問題について論じて来た。
   世界中が知識情報化社会に突入して以来、ITC革命とグローバリゼーションによるフラット化によって引き起こされた知の爆発と集積により、高等教育の重要性が益々増してきた今日、教育が最も重要な国家安全保障のひとつであることを強調せざるを得ない。
   先日も、ワーキングプアの問題を論じた時にも、教育訓練の不足とゆとり教育などによる教育の劣化について、そして、
   日本人の海外留学生激減による国際水準の学問・技術等へのアクセス減少と将来の国際的リーダーとのコネクションの消失、
   日本のリベラル・アーツ軽視の大学教育が世界的に通用しない国際戦士を育て続けてきたことの悲劇等々色々な日本の教育問題の深刻さについて論じてきたが、この大学進学率の低さは更にそのシアリアスさを倍加する。

   日本のノーベル賞学者など偉大な学者や研究者の大半が、欧米での教育や研究経験のあること、日本の今のトップ経営者の多くが、欧米でのビジネス経験や教育を受けて触発されて来ていることを考えれば、異文化との遭遇は勿論のこと、知の集積と爆発への接触によるスパークが如何に重要かと言うことが分る。
   このOECD報告でも触れているように、自国外の大学に入学する学生数は290万人を越えており、オーストラリアやニュージーランドなどでは25%以上が外国人だと言うことだが、世界中が俊英・秀才を求めて知の争奪戦を繰り広げているのである。
   
   ところで、教育の重要性については、とにかく、ひとつでも二つでもものを覚えて知を集積することが重要だとは思っているが、知識教育だけが重要だとは思っていない。
   私自身は、このブログの標題にも使っているように、文化と言うか、人の感性や命の叫びによって生み出された芸術や匠の技などには限りない憧憬を抱いている。
   それが、形のある絵画や彫刻、焼物や人形・玩具、一寸した素朴な地方玩具、或いは、生まれては瞬間に消えて行く音楽や演劇などのパーフォーマンス・アート、
   ガーデニング、素晴らしい新種の野菜や果物の創出等々数え切れないほどの人間の想像を絶するような素晴らしい創造物があり、それを生み出す素晴らしい人間の限りなき創造力と匠の技に畏敬の念を禁じ得ない。

   私自身が問題にしたいのは、日本の教育が、このような偉大な日本人の潜在的能力を最大限に発揮し活用して、創造力と崇高な人間力をスパークさせる力と機能を著しく欠いているではないかと言う懸念である。
   
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幻想のシルク・ロード

2008年07月31日 | 学問・文化・芸術
   全く訪れたこともないような土地を歩いていて、以前にこの風景はどこかで見た記憶がある、前にここへ来たような気がする、と思うようなことがよくある。
   話の次元が全く違うが、
   平山郁夫氏の対談集「芸術がいま地球にできること」で、渡辺淳一氏との対談のところで、平山氏が世に出た名作「仏教伝来」に描いた釈迦の騎行の姿は想像で描いたことや、
   また、井上靖氏が、司馬遼太郎との共著「西域をゆく」で、あの大作である「敦煌」も想像で書いたことを語っていたのを思い出して、想像と現実が人間の頭の中で無意識的に一致することがあるのではないかと思ったのである。

   平山氏も井上氏も、実際には、インドやシルクロードを訪問せずに、想像で素晴らしい作品を生み出したのだが、平山氏は、その後、西域やシルクロードなどを訪れた時に、自分の描いたのと全く同じ風景に接して、その場にお釈迦様を置けば全く同じだと感じた経験があると言う。
   また、井上氏は、渡航が許されていなかったので、実際に敦煌を訪れたのは、ずっと後だが、この敦煌にしても、「おろしや国酔夢譚」のイルクーツクにしても、行かずに描いていて、その後から、実際にその舞台の土地を訪ねるのが楽しいと語っていて、司馬氏に、私はそのような贅沢をしたことがないと羨ましがらせている。

   最近の小説や絵画では、海外旅行や移動が非常に便利になったので、徹底的な取材旅行を行って、その上で、作品が生まれることが普通になって来ているようだが、昔は、実見せずに、資料や文献、写真や絵画等を頼りにして作品を創作するのが普通で、マルコポーロなど、実際に、中国へなど行っておらずに「東方見聞録」を書いたと言う説もあるくらいである。
   京都の古社寺などにある国宝のトラなど動物の絵でも、実際に見たことがないので、絵師達は毛皮を見て想像で描いたので、リアリズムには欠けるのだが、迫力や芸術性には全く問題はないと言うところであろうか。
   尤も、虎や豹の知識がなかったので、豹をメス虎と間違えて描いたと言うから、作品のモチーフとしては正しかったのかどうかは疑問ではある。

   ところで、最近の小説を読んでいて、自分が良く知っている場所やその土地の状況が描かれていると非常に興味を持って、井上靖氏のように、反復・確認しながら追経験するような楽しみがあるのだが、このことは、紀行文や旅行記を読んでいても感じるし、歴史的な書物なら、時代の変遷などが感じられて、また興味が湧いて来る。
   しかし、このような作品が描かれた場所のイメージが読者を刺激して、その読者の実経験を強く印象付けて作品に接することが、特に小説などの場合に、作品鑑賞と言う面から好ましいことなのかどうかと思い始めている。

   ところで、井上靖は、莫高窟などから膨大な敦煌文書が出土したことから、風雲急を告げる乱世を眼前にして、敦煌の偉大な文化文物を後世に残すべく必死に守ろうとした人が必ずいた筈だと言う発想があって、「敦煌」を書いたとどこかで読んだ記憶があるのだが、西夏文字なども含めて、当時の中国文化や歴史或いは東西交渉史等の膨大な文献資料などを駆使して、想像力を働かせて壮大な歴史絵巻を現出したのであろう。
   司馬遼太郎氏の、資料と緻密な分析に裏付けられた歴史的なバックグラウンドに、透徹した司馬史観と豊かな人間性を具備した作品とは違った、大らかでスケールの大きな想像の世界が展開されていて面白い。
   私の書架には、岩波から出た井上靖の歴史紀行文集が並んでいて時々ページを繰るのだが、前述の想像で描いた歴史小説とは違って、実地に歩いて現場を実見した紀行文には、逆に、井上氏が反復復習しながら、納得しながら頷いているような気楽さがあって楽しい。
   偉大な芸術家は、想像の世界でも真実を描けるのだと言う感慨から、一寸、話がずれてしまったが、これは、最近、経済や経営関係の本ばかり読んでいて、スケールのおきな文学から遠ざかっているのを反省しての雑感でもある。
   
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ダンテフォーラム2008「フィレンツェ・ルネサンスに学ぶ」

2008年03月15日 | 学問・文化・芸術
   森永エンゼル財団主催のダンテフォーラム2008「混迷の時代の叡智フィレンツェ・ルネサンスに学ぶ」がイタリア文化会館で開かれたので聴講した。
   哲学者今道友信東大名誉教授の「哲学から見たルネサンス」と言う演題の非常に格調の高い講演に始まり、樺山紘一氏の「ルネサンス:諸言語の饗宴」、田中英道東北大名誉教授の「芸術から見たルネサンス」と講演が続き、最後に、松田義幸実践女子大教授の司会で3氏による討論会が開かれた。
   聴衆は、テーマがテーマなので、教育水準の高い老壮年が主体のようで非常に熱心に午後の4時間聴講していた。
   私自身、講師たちの著書を読んでいて深く感銘を受けている人達なので、是非聞きたいと思って出席していたので、非常に有意義であった。

   一番身近に感じたのは、芸術を論じた田中教授の話で、レオナルド・ダ・ヴィンチの専門家であり、これまでに何冊か著書を読んで、その学識と造詣の深さに感じいっていたので、興味深かった。
   ルネサンスの芸術について、アラビアやモンゴル文明の影響について触れ、特に、最近の発見であるレオナルドの母親がアラビア人であった可能性が強いと言ったことに言及し、彼の鏡文字や、風景に人物を入れない技法などアラビアの影響を受けているなどと語っていた。
   元々、ルネサンスは、ギリシャ・ローマ時代の文化文明の復活・再生なのだが、当時最も進んでいたのはイスラム文化であり、これを通じての移入で、サラセン系の学問経由でアラビア語で入って来ているものが極めて多いと聞く。

   興味深かったのは、モナリザは、フィレンツェ第一の貴婦人であるイサベラ・デ・デスティの肖像画で、レオナルドが絶対に手の届かない高貴で教養豊かな神秘性を帯びた理想的な貴婦人への騎士道愛を描いたもので、この愛は、ダンテのベアトリーチェのそれに匹敵するという指摘であった。
   そう言われれば、モナリザは非常に神秘的だが、ラファエロの聖母には、世俗的で美しいけれど精神性は全く感じられないのも頷ける。

   田中教授は、素晴らしい芸術には、そこへ行ってその前に立ってナマのものを見ようと言う人を惹きつけて感動を与える魅力があり、その価値観を理解することが大切だという。
   その為には、見て考えて感動する見る目・鑑賞眼を養う必要があり、豊かな教養、感受性や宗教観が必要であり、絶えず習慣づけて勉強して訓練しなければならないと言う。
   日本の芸術教育について、樺山氏は、進んだのは技術教育だけで、芸術の素晴らしさを味わう為の鑑賞教育が決定的に遅れてしまったと嘆く。
   今道教授は、良いものを良いと認識できるココロザシ教育の復活が至上命題だと言う。

   特に、全員が、日本の教養教育軽視、乃至、欠如を嘆いていたが、俗に言うリベラル・アーツ教育の貧困さが日本の教育の致命傷だと言うことであろう。
   松田教授が、ナベツネに頼んで、古典の森、中公クラシックスを出版してもらったが、殆ど売れずに帰って来ていると嘆く。岩波も売れないようで、これが日本の教養水準の限界と言うところであろうか。
   余談だが、更に、冒頭で、このダンテフォーラムの聴講者は熱心だが、今の大学の授業では、授業中に学生の相当数は携帯を操作していて、授業が終わる頃には半数の学生がいなくなってしまっていると言う。

   偉大な芸術が生まれ出でるためには、ルネサンス期に、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロと言った3大巨匠が同時に現れたように、創造の為の傑出した条件が整った時に起こるものであって、それはその瞬間限りであり、連続はない。
   パドヴァで成功していたドナテルロが、フィレンツェに帰ったのは、フィレンツェには批判する目がある、良いものは良いといってくれる人がいるからだ言ったが、これが、創造的な学問・芸術が爆発したメディチィ・イフェクトの真髄なのである。今道教授の話では、クリティクがあると言うことで、この言葉の意味は、良いものを発見すると言うことのようである。

   従って、文化は、偉大な文化遺産を修復して活性化することによって進化するのであって、遺産を守り再解釈し、その当時の時代を復元することに意味がある。
   法隆寺の金堂の壁画の消失や高松塚古墳の壁画の色彩退化などは、文化庁の怠慢・バンダリズムの極致で、文化政策の貧困の極みだと言う。
   フィレンツェの1966年のアルノ川の大洪水で、文化遺産が大きな被害を受けたが、その後の修復技術の進歩には目を見張るものがあり、この技術が、システィナ礼拝堂壁画の修復などに大いに貢献したと言う。
   21世紀は、観光の時代だと言う田中教授の指摘も面白いが、イタリアが過去の遺産で食っていると言うのも決して悪いことではなく、これこそ文化なのだと言うのである。

   
   
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