今日はロシア語の授業でした。雨の中を朝から荷物をいっぱい持って川口まで行ったので、教科書と辞書は持たず、一旦自宅まで取りに帰りました。午後からは太陽が出て蒸し暑い天気になりました。「疲れたなぁ・・・、このまま半休を取って、授業もサボろうかな・・・?」という軟弱な気持ちが横切ったのですが、何とか気を取り直し、6時30分ぎりぎりに三田の外語に到着しました。
今日の出席者は5人です。当たる順番を確認して、次に来るところを辞書で調べていると(十分に予習できないほど忙しいのです・・・これ言い訳?)、日本家屋の紹介の文章で縁側の話が出てきました。ベランダとかバルコニーという言葉で説明しているのですが、それを訳しているAさんが「縁側って屋根がついているの?」と言ったところから話が脱線して来ました。
こうなると俄然元気が出てくるのが僕で、「付いてるよ、ひさしがあるでしょ!?、縁側って知ってる?、近所の人がちょっと訪ねてきて、内に上がらずに座って話しするためにあるんだよ!」、と知ったような話をすると、若き女性INさんが「サザエさんで誰々(?、僕には分からなかった)がお茶飲んでたりするアレ?」
68歳のSさんからは、「縁側といっても地方によって色々で、屋根の付いていない濡れ縁と言うのもあるんだよ!」と言う意見が出ました。
その間にもフランス語に堪能な若者K君がフランス語でのバルコニーとテラスの違いを説明したり、しっちゃかめっちゃかになって来ました。でも、これがこの授業の面白さです。20代の若者から68歳の老人(失礼!、僕よりも元気だな・・・)まで世代によって、ひとつの言葉でも様々なイメージがあるようです。
とにもかくにも、この「縁側」というものは、非常に日本的なもので、外国語で説明するのは難しいのでしょう。
だいたい「縁側」のある家なんてもう無いですよね・・・?、田舎に行けばあるのだろうけど、この30年くらいの間に、都会では見られなくなってきました。
僕の記憶の中でも、「廊下」と「縁側」の区別、「縁側」と「濡れ縁」の区別があやふやになっていて、辞書を引いて見ると、庭に面した廊下部分が「縁側」、その外の一段下がった板張りに足が付いた(分かりにくい表現かな?)部分が「濡れ縁」で、それがひさしの下になると言う関係でした。
ちなみに、縁側は単に「縁」とも言い、それは人間同士の「縁」に通じているようです。言葉が無くなって行くと人間関係が変わって行くのか、人間関係が変わって言葉が無くなって行くのか・・・?、考えさせられる問題ですね。
今日の出席者は5人です。当たる順番を確認して、次に来るところを辞書で調べていると(十分に予習できないほど忙しいのです・・・これ言い訳?)、日本家屋の紹介の文章で縁側の話が出てきました。ベランダとかバルコニーという言葉で説明しているのですが、それを訳しているAさんが「縁側って屋根がついているの?」と言ったところから話が脱線して来ました。
こうなると俄然元気が出てくるのが僕で、「付いてるよ、ひさしがあるでしょ!?、縁側って知ってる?、近所の人がちょっと訪ねてきて、内に上がらずに座って話しするためにあるんだよ!」、と知ったような話をすると、若き女性INさんが「サザエさんで誰々(?、僕には分からなかった)がお茶飲んでたりするアレ?」
68歳のSさんからは、「縁側といっても地方によって色々で、屋根の付いていない濡れ縁と言うのもあるんだよ!」と言う意見が出ました。
その間にもフランス語に堪能な若者K君がフランス語でのバルコニーとテラスの違いを説明したり、しっちゃかめっちゃかになって来ました。でも、これがこの授業の面白さです。20代の若者から68歳の老人(失礼!、僕よりも元気だな・・・)まで世代によって、ひとつの言葉でも様々なイメージがあるようです。
とにもかくにも、この「縁側」というものは、非常に日本的なもので、外国語で説明するのは難しいのでしょう。
だいたい「縁側」のある家なんてもう無いですよね・・・?、田舎に行けばあるのだろうけど、この30年くらいの間に、都会では見られなくなってきました。
僕の記憶の中でも、「廊下」と「縁側」の区別、「縁側」と「濡れ縁」の区別があやふやになっていて、辞書を引いて見ると、庭に面した廊下部分が「縁側」、その外の一段下がった板張りに足が付いた(分かりにくい表現かな?)部分が「濡れ縁」で、それがひさしの下になると言う関係でした。
ちなみに、縁側は単に「縁」とも言い、それは人間同士の「縁」に通じているようです。言葉が無くなって行くと人間関係が変わって行くのか、人間関係が変わって言葉が無くなって行くのか・・・?、考えさせられる問題ですね。