浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

カツカレー

2020-12-22 | B級グルメ

宮中晩餐会にカツカレーが出た場合、世界各国の要人たちはどのようにして食べるのだろうか。

世界がグローバル化してる現代、カツカレーだっていつグローバル化するか、わからないではないか。

JR宍道駅前、こわた食堂のカツカレー          

カツカレーはスプーンで食べるのか、箸を併用していいのか。

福神漬は添えるべきなのか、添えてはいけないのか。

カツ全域にカレー汁をかけるべきか、下半身のみとするか。

カレーだけならスプーンですくっては口に運び、すくっては口に運べばいいが、カツカレーの場合はときどきカツをかじらなければならない。

どういうタイミングでカツをかじるか、たまには白ご飯だけの領域も食べたい、カレーがたっぷり染みこんだ領域はいつにするか。

なんて検討していると、だんだん頭が混乱して興奮してくる。

カツカレーは、そういう食べ物なのである。

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不倫

2020-12-22 | 日々是好日

俳優が不倫をしたとかで、謝罪会見をしているテレビを観ることがある。

神妙な顔で何度も頭を下げ、まるで公開処刑のようだ。

不倫は契約、約束違反であり、絶対にしてはいけない事柄なのだが、それは夫婦の間で決めることだ。

夫婦のどちらかが不倫をしたとしても、夫婦関係を続ける人たちもいるだろう。

それはそれでいいわけで、他人があれこれいう問題ではない。

不倫は個人的な問題で、周辺の人以外には何の関係もない出来事だ。

それは芸能人でも同じだろう。

なのになぜ会見を開く必要があるのか。

不倫謝罪会見に時間を割くテレビ局は、何か得なことが起こるのだろうか。

それを必要としている人って誰なんだろう。

テレビ局側もそんな個人的な問題より、社会的に重要性のあるニュースを報じていただきたいものである。

昔の寿司屋には、酔っぱらいと不倫がいっぱいいたけどね。

不倫

そう、昔は愛人とか2号さんとか、セカンドワイフなんて言ってたかな。

不倫なんて言わなかった。

浮気って言ってました。

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キッチン 魚見坂

2020-12-21 | B級グルメ

出雲市多伎町小田、くにびき海岸通りにある「キッチン 魚見坂」        

サーファーたちが集まる海岸の、こ洒落た洋食屋さんであります          

まだオープンしてそんなに日が経っていない店だと思いますが、前々から気になっていたお店です。

たまたま平日ランチタイムに寄るチャンスがあったので、すごくラッキーだったので紹介します。

頂いたのは昔懐かしスパゲティナポリタン          

ペペロンチーノだとかカルボナーラなんて、舌がもつれるような食い物はオジサンたちの時代には無かった。

スパゲティといえばケチャップで味付けたナポリタンに決まっている。

ウィンナーの輪切りが入っていたり、マッシュルームがあったり、ケチャップまみれになって食べるのが当たり前のスパゲティ。

スパゲティの食べ方は難しい。

フォークをグルグル回しすぎて、大量のスパゲティを巻きすぎて、一からやり直すことが多い。

垂れ下がってしまった2本を、すすりこむべきか噛み切るべきか思案することも多々ある。

結局半世紀かけて、「スパゲティを上手にフォークに巻く」ことを覚えただけで、「それを上手に口のところへ持っていく」までに、あと何年かかることになるのだろうか。

 

 

 

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厳しい老後

2020-12-21 | 定年波止場

誕生日前になると「ねんきん定期便」が送られてきて、これまでの保険料納付額や老齢年金の種類と見込み額が記載されている。

これが届くと、老後はすぐ目の前といった気分になる。

若い頃はそれなりに想像した老後があった。

日向ぼっこをしながら好きな本を読んだり、盆栽いじりをしたり、膝の上に猫を抱いて頭を撫でてやったり、などと平和的な老後を夢見ていた。

それは病気もせず、不安やストレスもないうえにお金にも余裕があって初めて達成できることであることを、この歳になってつくづく思う。

健康であってもお金がない、あるいはお金はあるのに健康がすぐれない。

などと誰もが何らかの悩みを抱えている。

お金はあったらいいなぁ、と誰もが思う。

若い頃は全くお金がなかったので、働けばいいやとそれほど切羽詰まっていなかった。

若い頃から計画立ててコツコツと貯蓄に励んだ人は、老後の心配がないくらいにお金があるだろうなと感心してしまう。

やっぱり若いときに、何とかするべきだった。

と、ちっぴり反省している始末である。

後悔しても仕方ないけど…

 

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人生のまつり

2020-12-20 | 日々是好日

七五三、成人式、結婚式といった人生の節目には、家族の安全や子供の健やかな成長を祈願して、みんなでお祝いをする。

暮らしの中にもたくさんのまつりが息づいている。

冬至には柚子湯に入って健康を祈り、初詣は新たな一年の平安を祈願する。

思えば初宮参り、七五三詣、合格祈願、成人式、結婚式、安産祈願、歳祝いなど、これまで概ね経験してきた。

人生の残された時間が少なくなってきたので、心願成就や国家安泰、大漁祈願などは願わない。

もっぱら家内安全のみを祈るだけである。

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何となく暮らしてる

2020-12-20 | 日々是好日

某日の朝飯。

味ひとすじ、「永谷園・大人のふりかけ」を飯にかけて食べる。

シャカシャカとふりかけの小袋を振る          

こうしないと中身がよく撹拌されずに出てくることになる。

ひと振りで、海苔ばかり出てきたり、顆粒ばかり出てきたりすることがよくあるのだ。

ふりかけのかかったふりかけ飯をモシャモシャと食べる。

口の中がカサカサするので、いつものおみそ汁「アマノフーズ」の塩分25パーセントカットの「つるりなめこ赤だし」を一口すすった。

これはお湯を注ぐだけのインスタント味噌汁で、ポットをブシュブシュブシュと3回押して湯を注げばすぐに食べられるスグレモノだ。

これでも身体をいたわって、減塩タイプの味噌汁にしているのである。

インスタントものばかりで、身体をいたわっていると言うと何だか変なのだが、何となく暮らしているのであった。

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物忘れ

2020-12-19 | 定年波止場

ずいぶん前から、人の名前などが出なくはなってきていたが、最近はびっくりするくらい物忘れが激しい。

先日も某病院の待合室で声をかけられたのだが、どう考えても名前がでてこない。

マスクで顔半分が隠れているのでわかりませんでした、なんて言い訳してる間にも親しげに話してくる。

この人誰だっけ…と焦りまくる。

病院の会計受付がその人の名前を呼んだので、やっとその人の名前がわかったのが不幸中の幸いであった。

そうでなかったら、(どうかこの場が穏便に済みますように)と願うばかりであったに違いない。

脳の働きが弱ってきたのだなぁと実感するが、それもまた自然の摂理である。

歳をとって視力や聴力が衰えたりするのは、余計な物事を見なくても聞かなくてもいいようにと神様の配慮らしい、

本当に必要なことは、歳をとっても覚えるという。

物忘れが激しくなると、細かいことはいちいち覚えていないから、人間関係もスムーズにいくことだろう。

名前を忘れる人は、自分にとってそれほど重要な人ではないのだ。

人間の身体というものは、うまくできていると信じて、これからは呑気に構えることにしようと思うのであった。

本日の一句

衰えは 神さまからの 贈り物

お粗末…

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がんばれ中華丼

2020-12-19 | B級グルメ

中華丼はおいしい。

わたくしは中華丼の味方である。

このことを力強く申しのべておきたい。

どうもこの頃、世の中全体が中華丼に対して冷たいような気がしてならない。

内閣支持率というものがときどき発表されるが、最近の中華丼支持率はどうなっているのだろう。

支持する   23パーセント

支持しない  47パーセント

あとの30パーセントは関心がない、といったところではないか。

即ち、世の中の大部分の人が「そういえばここ10年中華丼食べてないね」的状況にあるに違いない。

中華丼はまだある。

たいていのラーメン屋風中華料理屋のメニューにあるし、スーパーに行けば「中華丼の素」が売られていて、中華丼はしぶとく生きのびている。

中華丼は白っぽい塩系のものと、やや茶色っぽい醤油系のものがある。

醤油系の中華丼          

中華丼はレンゲまたはスプーンですくって食べる。

最後の一口分のご飯がなかなかすくいあげられない。

追い詰めると相手は逃げる。

それにしても中華丼。

全中国料理を代表する華麗な丼料理だな、と思わせるではないか。

中華丼と称しているのに、丼ではなく皿で出てくるのはいかがなものか、と思うのはわたくしだけではないと思ったりして。

などとくだらないことを書く、くだらないじじであった。

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顔の大小

2020-12-19 | 日々是好日

若い頃には、そんな話題など出たこともなかったが、いつの間にか「顔が大きいのはよろしくない」という価値基準ができてしまったようだ。

若い頃は顔の造作や体形については、自分だけではなく友達もそれなりに不満を持っていたけれど、顔の大きさについて話題が出た記憶はない。

世代的にみんな顔が大きかったせいもあるのだろうが、顔の大きさは話題になるようなものではなかった。

自分は顔がでかい。

帽子は59センチか60センチだ。

どうして顔が大きいといけないのか。

はなはだ不愉快である。

自分の顔面や体形に満足している人なんていないだろう。

ここがこうなればいい、ここもいまひとつと悩みは尽きない。

しかし世の中に生まれ出るときに、自分の身体をそのように作っていただいたので、それで生きていかなくてはならないのてせある。

顔が大きくたって卑屈になる必要はない。

顔の大小より他に大切なことがたくさんあるのだ。

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灼熱の鍋焼きうどん

2020-12-18 | B級グルメ

日頃食べたいと思いつつ、なかなか食べられないのが鍋焼きうどんだ。

だから思いきって注文して、フタを取って鍋焼きうどん独特の匂いが立ちのぼったときは誰だって感激する。

やっと思いが叶った、という気になる          

鍋焼きうどんのツユは、時々刻々と味が変化していく。

様々な具からにじみ出る旨味が、ツユの味を刻々と濃くしていく。

鍋焼きうどんは、それほど上等なうどんでなく、あまりコシのない柔らかめのうどんのほうがうどんのツユをよく吸って、かえっておいしい。

鍋焼きうどんの卵は、温泉卵とも違うし半熟卵とも違う。

鍋焼きうどんのツユの中で煮られた「鍋焼きうどん卵」とでもいうべきものなのだ。

ぶ厚い白身に包まれて、破ればドロリと流れ出る熱くて黄色い黄身。

ドロリと流れ出る瞬間をすばやく拾いあげて口に入れれば、ツユのしみ込んだ卵のうまいこと、そして熱いこと。

ハフハフ、コタヘラレマへン。

こうしたツユ物のうどんは、熱い丼を手にもって、じかに口をつけてツユを飲みたい。

鍋焼きうどんのツユも、ぜひ一度そういうふうに飲んでみたいと思っているのだがまだ果たしていない。

そのあとの治療費の問題とかを考えると、なかなか踏みきれないでいる。

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