浜田屋遼太

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ダンボールへの道

2017-05-24 | 日々是好日

最近お父さんたちは危ない。

特に家庭内において危なくなってきている。

よく聞く話に「定年の日から離婚を言い渡される夫」というのがある。

お父さんは妻に見放され、子供たちからもうとんじられ、ふと気がつくと老人マンションの一室に、一人寂しく座っている。

ということになる。

老人マンションならまだいいほうで、ふと気がつくと吹きっさらしの地下街のダンボールの上に座っている。

ということだって考えられる。

お父さんの何がいけなかったのか。

妻へのいたわりがなかった。

時代の流れに気がつかなかった。

亭主関白が一番、と思い込んでいた。

徐々にではあるが、お父さんたちはこれではいけないと気づき始めている。

少しづつ改め始めている。

しかしお父さんたちの弊害として、気づきかたが遅い、ということがある。

時代の変化に、常に一歩遅れている。

食生活においてもそれはいえる。

お父さんたちの味覚と、子供たちの味覚は、かなり隔たりが生じ始めている。

お父さんたちは「ご飯にはなんてったってアジの開きが一番」、と思い込んでいる。

「なにぃ?、ご飯にマヨネーズ?」、と険しい顔つきになる。

ホラホラ、それがいかんということです。

いま「ご飯にマヨネーズ」は、女房子供たちの間では当然のことになっているのだ。

ご飯にマヨネーズは、まずおにぎりに定着した。

コンビニでは「梅干」や「明太子」より「シーチキンマヨ」のほうが売れ行きがいいらしい。

セブンイレブンの開店セールでいただきました          

慣れるとけっこうおいしいね、なんて言ってるお父さんもいるようだが、「慣れると」とか「けっこう」がいけない。

素直に「おいしい」と言わなければならない。

日本の伝統食、寿司にもマヨネーズが登場するようになった。

「な、なにぃ?、寿司にマヨネーズ?」

と、お父さんはまたしても眉を逆立ててしまうだろうが、それがいけないのだ。

それがダンボールに至る道、だというのです。

ここはひとつ耐えましょう。

ダンボールを避けるためには、寿司でも刺身にでもマヨネーズということを容認しなければならない。

刺身には醤油しか考えられない、という固定観念を破らなければならない。

これからの時代、どんなことだってアリなのだ。

お父さんたちとしては、今後どのように意外な組み合わせが登場しても、決して驚かず、けなさず、その度に「ダンボール、ダンボール」と唱え、「どれどれお父さんにも一口」

と、応じるのが賢い生き方といえよう。

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