かつて親子丼はカツ丼、天丼と共に日本の三大丼といわれる大きな存在であった。
その三大丼の一つであった親子丼の凋落がここのところ激しい。
なぜか。
親子丼は、実は親子という名前をつけたために、親子関係という関係に縛られて身動きがとれなくなっているのだ。
それが原因となって時代に取り残されようとしているのだ。
親子丼は「親子」の命名したために、親子以外を介入させることができない。
鶏肉と卵以外のものを入れると親子ではなくなってしまう。
古めかしい親子という関係に縛られているため、夫婦別姓とか核家族とかセックスレスカップルとかの新しい時代の波に取り残されようとしているのだ。
親子丼のは本尊がいない
これが親子丼の最大の悩みだ。
本尊のいない寺は寂しい、そして次第に寂れていく。
カツ丼にも天丼にも本尊がいる。
カツ丼などは丼のど真ん中に、本尊が堂々と横たわっている。
誰もがこのカツだけが頼りだ、と思う。
この祈願をカツはどっしりと、頼もしく受け入れてくれる。
天丼も同様である。
親子丼には本尊がいない。
いることはいるのだが、あちこちに分断されている。
どこを拝めばいいのか参拝者は途方に暮れる。
だが親子丼は生き延びてきた。
やっぱり親子丼は親子水入らず、しみじみと食べるもののようです。
じっとりと濡れた卵の中の地味な味の鶏肉が口の中にころがりこんできて…
というのが親子の味のようですね。
卓上の箸立てがいい味出してる
JR宍道駅前こわた食堂の親子丼でした。