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ぽかぽか春庭「言文一致のギャル語」

2024-05-21 00:00:01 | エッセイ、コラム
20240521
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>明治の日本語(5)言文一致のギャル語

 2012年の春庭ことばコラムを再録しています。
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2012/07/08
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>明治の語彙(3)
言文一致のギャル語

 私は、言文一致以後の現代書き言葉(口語文)で育ちましたから、文語文の味わいはわかるけれど、山本夏彦が、口語文に比べて、文語文の「日本語の美」が勝っている、と主張してやまないのとは、また感覚が異なっています。
 現代口語書き言葉でも十分に「日本語の美」は表現できると思います。ただ、こう言ってしまえない自分がいます。
 なぜなら、それじゃ、現代JK口語(女子高校生や大学生が仲間同士で語り合う口語)も、将来には「当然の現代口語」となって、「私たちにはこのしゃべりかたが美しいし、文章も、この口語で書きたい」という主張がなされたとき、それを美しいとは感じないであろうことがわかっているからです。

 では、永井荷風の「書かでもの記」を、未来口語翻訳してみましょう。
 「つうか、うちらのボディ、なにげにイクスキューズしちゃうってゆーか、はずいのパネェけど、やっぱ、テキトー書いて、キャリアっぽいこととかさぁ、チューボーんときのこととか?ウリやっちゃてクスリとかって買うのになれたかんね。(略)つうか、めんどい。もう、書くことねーし。

 現代文(近代書き言葉)を良しとするにやぶさかではない。が、JK口語のたぐいを「美しい日本語」と感じるようになるまで、百年はかかる。あ、そうそう、そのころ私は生きていないんだから、何を持って「言語にとって美となにか」と感じるかは、彼らの感性にまかせるしかない。

   言行一致文は「書き言葉」として命脈を保つことでしょう。そして、50年たつうちには、新たな「言文一致」運動がはじまり、100年後には、上記の「ギャル文章」が「正しく美しい日本語」とされるのです。

 阿修羅ガール語を、紹介します。三島由紀夫賞を受けた、舞城王太郎の出世作です。春庭の「いいかげんなギャル語訳」とちがって、ちゃんと文学賞を受けたギャル語ですので。

私の素早い応戦にもマキが怯んだ様子はちっともなかったが、剣道とテニスで鍛えた私のムチムチの右足のスーパーキックがわりと効いたらしくて「いってーなこのビッチ~」とか言って足をさすってて、私はすかさず「うっせーなおめーに何の関係があんだよ!」と言いながら私はマキの頭を上からぐいと押さえ込んで体重乗せて屈ませてそこに右の膝を思い切り上げてうつぶせたマキの顔にガツン!と当てた。』

 会話の部分「いってー なにこのビッチ」「うっせーな、おめーに何の関係があんだよ」というのが、10年前の女子高校生会話だったわけです。

 舞城王太郎の阿修羅ガール(2003)より
 『細くて背が高くてモデル体型で歩き方もカッコ良くてなんかいろんな事務所からスカウトされるのがウザくて原宿とか青山とか歩きたくない美人のマキは鼻血を流してトイレの入口で足を開いて体育座りしていてもなんだか映画の一シーンみたいにハマってる。』
 『私は黙った携帯を取って着信残ってたの消してからトートん中入れて、ブラつけてTシャツ替えてジーンズ穿いて髪まとめてクリップで留めて眼鏡かけて前髪下ろし眉毛隠してリップだけ塗ってトート持って外に出た。』 
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20240521
 2024年5月からみると、20年前2003年の女子ことばが、けっこう読めることがわかります。ほんとうに「イミフ」にしたら、小説読者に内容が伝わりませんから、わかる範囲の文章にして配慮してあることはわかりますが、2023年の「最新ライン文」はそもそも「文」ではなくなっています。昨年まで勤務していた日本語学校の先生たち。小学生の娘を持つ母親、中学生の娘を持つ母親のが言うには。そもそも小学生たちのコミュニケーションツールとしてのライン利用では、助詞が絶滅している。テンとマルもなし。単語を並べて通じる相手以外とは連絡しない。

A きょう しゅくだい 
B かんじ うぜえ
A テストまちがいかんじ 20こ かけ 
B イミフ
A やれねえ 
B がんむし
A おや メール
B おやばれ もと うざ
A それな

 漢字テストで間違えた字を、各字20字ずつ書いて宿題として提出しなければならないが、やりたくない。しかし、教師から宿題忘れとして親に連絡メールなんかいくと、もっと悪い事態になる、という小学生同士のやりとり。最後の「それな」は、「同意」の意味。2023年には使われていたが、2024年にはすでにすたれているかもしれない、
 
 この子らが大人になるまでに、ビジネス文章などで鍛えられていくのかどうか。少なくとも、「よき近代小説の読者」にはなりそうもない。国語教科書には編集者苦心の「すぐれた日本語表現」が並んでいるはずだが、国語教育の及ぶ力は、ラインやインスタグラムなどのコミュ力に及ばないのかもしれない。無念。
 あと20年は日本語ウオッチングを続けたいと願っていますが、20年後の日本語に悶絶爆死しているかも。

<おわり>

コメント
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