
20250814
ぽかぽか春庭シネマパラダイス>2025映画80年目の夏(1)8時15分ヒロシマ父から娘へ
7月第3水曜日に写真美術館を観覧。シルバー券千円支払って「8時15分ヒロシマ父から娘へ」を見ました。200席弱のキャパで、観客数は20人ほど。
なぜ映画にシルバー料金を投じたかというと、第3水曜日65歳以上入場無料を目標として来館したのに、「被爆80年企画展 ヒロシマ1945展」は、水曜日老人券では入場できなかったからです。どのみち500円払うのなら、別の日にしようと思い、本日は映画、という判断で観覧。
2020年公開。高齢となった被爆者の父が存命のうちに、と娘が父の証言を記録したインタビューと再現ドラマ部分を編集したドキュメンタリー映画です。
爆心地から1.2kmの地点で被爆して九死に一生を得た美甘進示(みかもしんじ)。進示の娘、医療心理学者の美甘章子博士が、父の証言を後世に残すべく映画を製作しました。
「8時15分ヒロシマ」の映画紹介
広島に投下された原子爆弾を至近距離で被爆した父の凄絶な体験をつづった美甘章子のノンフィクション「8時15分 ヒロシマで生きぬいて許す心」を映画化。著者自らエグゼクティブプロデューサーを務め、地獄のような状況にあっても生きることを諦めなかった父の思いと、父から娘へ受け継がれた平和へのメッセージを描く。1945年8月6日、広島。父とともに建物疎開の準備をしていた19歳の美甘進示は、自宅の屋根に上り瓦を剥がしていた。その時、激しい光が進示を襲い、一瞬にして暗闇の中へと突き落とす。世界で初めて投下された原子爆弾は広島中を焼き尽くし、7万人以上もの命を奪った。焼けただれた体を引きずりながら助けを求めてさまよう進示は、激痛から解放されたい一心で死さえ願うが、父の力強い言葉に支えられ、懸命に前へ進むのだった。それから40年後、進示の平和への願いが形となってニューヨークの国連本部に届く。しかしその数年後、ニューヨークを訪れた進示の娘・章子は驚くべき事実を知る。
いっしょに被爆し、自分をがれきのなかから救い出してくれた父親。逃げ惑うなか、いつのまにか離れ離れになったあと、やけどのあまりの激痛にいっそ死んでしまおうかと思ったが、父に巡り合うことだけを望んで生き残った。美甘が見た原爆投下後の地獄図は、再現ドラマ部分でもその悲劇が伝わるが、被爆者自身の証言がひとことひとこと絞り出される音声となって見る者の心に残る。
どのような極限状態であっても、じぶんよりひどい状況の人を助けようとする人の心、激痛が体を引き裂きそうになっても、生き残ろうとする生命力、ひとつひとつの真実の記録が胸を打ちます。
美甘さんは1945年に19歳でした。かろうじて徴兵を免れた年齢でしたが、建物疎開の準備中に被爆。いっしょに被爆した父親と離れ離れになり、絶望の中にも九死に一生を得ました。画面に映る美甘さんの耳は、被爆時のやけどのため、右耳がつぶれています。そのほかもさまざまな不調はあったでしょうが、生き残り、証言を残してくれてありがとう、と思います。
美甘進示の娘あきこさん、大切な証言を記録してくださり、ありがとう。
再現ドラマ部分。」父と子の避難彷徨

80年前に経験したことを、記録していかなければならないとおもいます。80年前に10歳だった人も、現在90歳。残された時間は長くない。
私の父もそうでしたが、つらく苦しかったことを、人はできれば語りたくない。自分の胸に秘めて墓場まで持っていきたいと願うこともありましょう。
でも、私たちは記録しておかなければ。それは未来をいまより良くしたいと願う残されたものの義務です。
<つづく>
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